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Act23.「女王の白バラ(後)」

 トランプ王国サード領。そこには昔、豊かな田園風景に囲まれた小さな村があった。気候に恵まれ、一年を通して様々な薔薇に彩られる村。そこに住むのはバラの化身である白バラ族のみで、彼女達の人目を引く容姿も相まり、王国一美しい村と呼ばれていた。


「あ! あの子あんなところに……」

 村娘は、外の畦道を歩いている“干し草の山”を見つけ、大きな声で呼び掛けた。すると山はピタリと立ち止まり「はい」と返事をする。干し草の下から、一人の少女が顔を覗かせた。


 大人が抱えきれる何倍もの量を物ともしない少女は、パタパタと軽い足取りで娘に近付く。

 干し草の絡まった髪、化粧っけのない太陽の匂いに、娘は呆れた顔をした。美への執着が強いバラ族の中で、着飾ることに一切の関心を見せないこの少女は、村の皆から変わり者扱いされている。


 ただ村にとって、それは都合の良いことでもあった。大の男をも打ち負かすこの怪力少女に、力仕事は任せきりなのだ。


「どうしました?」

「薔薇園の門が歪んで閉まらないのよ。直してちょうだい」

「はい。……なんだか皆さん、ここ最近忙しそうですね」


 ここ数日、村中が環境整備に精を出している。古くなった設備を修繕したり、道という道を掃除したり、妙に慌ただしくしていた。

 不思議そうに首を傾げる少女に、娘は目を見開く。


「あんた、この間の集会で話を聞いてなかったの?」

「……何でしたっけ」

「女王様よ女王様! ハートの女王様が、この村にお忍びでいらっしゃるのよ!」

 大仰に身振り手振りを交え、興奮気味に話す娘。対して少女の反応は「ああ」と冷めたものだ。


 王国一美しいと称される村を一目見るため、王都サーティーンスから女王が来訪するという話は、少女も覚えていた。興味が無く、すぐに頭の隅に追いやってしまったが。


「シャルロット様は、お人形のように可愛らしい方だそうよ! 楽しみだわ! どんな素敵なお召し物でいらっしゃるのかしら。ああ、気に入られたら、お城に招待してくださるかもしれないわね!」

「はあ」

「まあ、あんたには関係ない話ね。とにかく、それまでに村を完璧な状態にしておかないといけないの。分かったら早く来なさいよ!」


 白いワンピースを翻し、村へと戻っていく娘。少女はぼんやりとそれを眺めた。


 理由が分かると、他の村人たちの浮足立った様子にも合点がいく。皆、女王や城に憧れ、あわよくば王都で行われるという“バラの品評会”の出場権を得たいのだろう。そこでの受賞は、バラ族にとってこの上無い名誉になる。数多いるバラ達の中から抜きん出て“特別”になれる。


 それの何がそんなに良いことなのか、少女にはさっぱり分からなかった。


 ハートの女王に対しても、こんな田舎まで物好きだなと思うだけだった。



 ――ハートの女王来訪の日、村は朝からお祭り騒ぎだった。皆が自分の箪笥の中から一番上等なドレスを身に纏う中、いつも通り質素な服装の少女は場違いもいいところ。誰に何を言われるでもなく、邪魔をしないように村の外に出ていた。


 田んぼの先にある、緩やかな流れの小川。そのほとりに少女はごろんと寝転び、足を水につけて涼む。草の香りが少女を抱きしめ、水音がしゃらしゃらと心を解いた。少女が好むのは手入れされた薔薇園ではなく、こういう自然の中だった。


 いつの間にか眠っていた少女は、不自然な音に覚醒する。カサ、カサ、と草の根を掻き分ける音。……誰かが近付いて来る。気配を隠す気の無い呑気な足音だ。

 少女が体を起こすと、その誰かは人がいるとは思わなかったのか「きゃ!」と細い悲鳴を上げた。


 驚いた拍子に足を滑らせ、小川に落ちそうになる小さな体。少女は持ち前の反応速度でそれを抱きとめた。


「……大丈夫ですか?」

 少女は腕の中にいる、自分より遥かに幼い少女を見て――息を呑む。


 陽光を浴びた稲穂よりも眩しい、金色の髪。明るい蒼穹の瞳は、村の娘達ご自慢の、どの宝石とも比べ物にならない輝きを放っている。淡く紅色に染まった頬、ふっくらとした小さな唇。現実味がない程の美しさに、少女は呆然とした。これが生まれて初めて、見惚れるということを知った瞬間だった。


 幼い少女は「は……」と言葉にならない吐息を漏らし、大きな瞳をぱちぱちと瞬かせる。長いまつ毛の先で光が弾けた。


「あなた、誰?」

「私は――そこの村の白バラです。女王様」

 少女はすぐに、目の前にいるのがハートの女王シャルロットだと気付いた。彼女が放つ異彩は、キャラクターと呼ばれる特別な存在に他ならないと、本能が察したのだ。


 少女はシャルロットを優しく立ち上がらせると、自分は膝をついたまま、慎重に話しかける。


「何故、このような場所にいらっしゃるのですか? お一人ですか?」

「その、シャルは、えっと……」

 もじもじとドレスを握るシャルロット。その幼い仕草に少女は緊張を解いた。


「村は退屈でしたか? 私達の村には、薔薇くらいしかないですからね」

「そ、そうなの。一番綺麗な村だっていうから、期待してたのに! ……あなたは、ここで何をしていたの?」

「小川で休んでおりました」


 女王の前で裸足は失礼だろうと、慌てて靴を履こうとする少女。しかしシャルロットはそれを止め、あろうことか自らの歩きにくそうな靴を脱ぎ捨てた。


「女王様!?」

「シャルも水遊びしたーい!」

「……ふふ。こちらへどうぞ。私のワンピースを広げますから、上にお座りください」


 幼い子供なら、薔薇を愛でるより水遊びの方が楽しいに決まっている。少女はシャルロットと一緒につま先で水を跳ねさせたり、得意の水切りを披露して楽しませた。



 少女との遊びがあまりに楽しかったのか、初日に帰りたいと文句を言っていたシャルロットは、翌日も、翌々日も、五日経っても去る様子はなかった。それは村が気に入ったからではなく、村のたった一人が気に入ったからである。


「ねえねえ、今日はどこへ行くの?」

 目をキラキラさせ、ぴょこぴょこと少女の後ろを付いて回るシャルロット。村の白バラ達は、嫉妬と羨望の視線を少女に向ける。少女にはその双方がくすぐったく、落ち着かなかった。


「今日は薔薇園の水やり当番なんです」

「ふーん。シャルもお手伝いする!」

 少女は女王の侍従から、シャルロットの対応に専念するように言われていたが、シャルロットがありのままの少女を好んだため、いつも通り(よりは少なめ)に仕事をしている。


 シャルロットは慣れない手つきで楽しそうに水やりをし、花弁や葉の上で丸くなった水滴を、不思議そうに指でつつく。


「宝石みたい! 薔薇って、よく見るととっても綺麗ね!」

「お褒め頂き有難うございます。皆が喜びます」

「あなたも?」

「え? はい、勿論です」


 それは嘘だ。少女は確かにその時、シャルロットに褒められた薔薇を憎く思った。


 いくらでも咲くありふれた花が、いい気になるなと。

 それは自戒でもあった。


「お城にここの薔薇を持って行こうかしら? でも、お世話に詳しい人がいた方が良いわよね」

「そうですね」

 空返事をする少女。シャルロットは暫く黙った後、普段よりずっと小さな声で言った。


「ねえ……シャルと一緒に、お城に来て?」


 思いつきではなく、ずっと考えていた、という質量を持ったその言葉。意を解した少女の全身が熱く痺れる。

 シャルロットのその誘いは、心の底で望んでいたものであり、同時に恐れていたものでもあった。


「――有難うございます。ですが私は、シャルロット様のお傍には相応しくありません。ただの、野に咲く数多のバラの、たった一本ですから」

 静かに、穏やかに、そしてある種の冷たさを持って、それはシャルロットに返された。断られるとは思ってもいなかったシャルロットは狼狽える。


「え……ど、どうして? シャルがいいって言ってるのに」

「力仕事を担う私がいなくなると、村の皆が困りますから」

「そんなの、いくらだって代わりがいるわ」

「はい。私の代わりなど、いくらでもいるのです。もし“白バラ”をご所望なら、希望する者に心当たりがありますから、連れて行って差し上げてください」


 少女の言葉は、少女自身の心を抉った。


 いくらでも代わりの利く存在。アリスネームを持たないノンキャラクター。その中でも、バラ族を始めとする花の化身は比較的短命で、個の価値が薄く、入れ替わりが激しい。だからバラ達は美しさを競い合う。個の価値を高め、特別な存在を目指す。


 それをどこか冷めた目で見ていた少女だったが、自分の中にも同じ欲が隠れていたことを知ってしまった。


 圧倒的な輝きを放ち、誰をも魅了するハートの女王。世界で唯一無二の存在。少女はその光に焦がれ、特別な彼女に愛される、特別な花でいたいと思ってしまった。


 しかし、自分と彼女はあまりに違う。自分は所詮“モブ”で、彼女の世界を彩る一色にも満たないのだ。物珍しさだけでは、いつまでも関心を引き続けることはできない。例え飽きられなかったとしても、永い時を生きるだろう彼女を置いて行くことになる。そして、いずれは忘れ去られる。


 特別な彼女に自分は相応しくない。

 それを思い知らされるのが怖かった。


「シャルは、他のバラなんていらないわ!」

 シャルロットは絞り出すようにそう言うと、顔を歪ませて下を向く。地面に点々と出来る染みに、少女は気付かないふりをした。


 シャルロットは少しの間嗚咽を漏らしていたが、突然ぴたりと静かになる。そして、小さな声で呟いた。


「……そう、あなたは特別じゃないから、シャルのものにならないというのね」

「シャルロット様?」

「分かったわ」


 ハートの女王の澄んだ蒼穹が、暗く曇った。




 ――その日の夜、王国一美しいと称された村は炎に呑まれた。

 火を放ったのは女王の随伴兵。逃げ惑う白バラ達に、兵士達は躊躇なく剣を振るった。


 白いバラが、赤く染まる。

 断末魔の叫びが、黒い煙と共に夜空に吸い込まれていく。


 その光景はまるで地獄だった。

 地獄の中心で艶やかに微笑む女王を前に、少女は崩れ落ちる。


「シャルロット様、何故……」

「これはシャルを騙した罰よ。王国一美しい村だなんて、嘘ばっかり」

 少女が見たこともない残酷な顔と、いつも通りの愛らしい声。カツ、カツとヒールを鳴らして歩み寄るシャルロットに、少女は体が動かない。


「……私達が、何をしたと言うんですか?」

「シャルの目を汚したのだから、それだけで重罪でしょ? ちょっと目をかけてあげたら調子に乗る、無礼者もいたことだしね?」

「そんな……どうして」


 項垂れる少女の背後に、剣を手にした兵士が迫る。少女はその剣を蹴り落とす気力もなかった――が、シャルロットが叫ぶように制止する。


「ダメよ! このバラだけは生かしておくの。一番罪深く、一番醜い白バラ。お前は生きて、シャルの傍でずっと罪を償い続けるのよ。……さあ兵士達! 他の白バラは、一つ残らず赤く塗ってしまいなさい!」


 シャルロットが声高らかに命じる。白い花が一輪、また一輪、赤く散る。それは少女が最後の一人になるまで続いた。


 このような騒ぎがあれば近隣の自警団が駆け付ける筈だが、いつまで待っても来ないのは、女王が手回しでもしているのだろう……と、少女は上手く機能しない頭の片隅で考えた。


「……ふふっ。これで“白バラ”は、お前だけね」

 舞い上がる炎を背に、ハートの女王は笑う。


 その瞬間、少女――白バラは、唯一の存在となった。

 かつて呼ばれていた固有の名は、誰も呼ばなくなった。

 

 女王の呪いにより、彼女以外の白バラが咲くことは、二度となかった。



 ――その夜のことは、シャルロットの残虐性を世に知らしめる契機となった。グレンはシャルロットに兵を動かす権限がないことを明文化し、護衛および侍従が彼女にたぶらかされないよう、側近の配置を短期交代制へと改めた。ただ一人、シャルロットがどうしても手放さなかった白バラを除いて。




 *




「え……」

 白バラの話を聞いた夢子は、彼女のあまりに凄惨な過去と、想像以上のシャルロットの恐ろしさに言葉が出ない。誘いを断られた腹いせで村を壊滅させてしまうなんて、とても信じられなかった。きっかけを作ってしまった白バラが、どれほどの罪悪感に苦しめられてきたかは計り知れない。


 どんな同情も安っぽい気がして、夢子は膝を抱いて俯く。


「これで、分かったでしょう?」

 白バラの声は穏やかだった。

 シャルロットに逆らうとどうなるか、身をもって知っているから、抵抗を諦めているのだろう。夢子にはそれがとても悲しく、悔しかった。


「分かったら、もう私達には関わらないで」

「でも……っ、」

 顔を上げた夢子は目を瞠る。白バラの表情に浮かんでいたのか、悲しみでも憎しみでも、およそ予想していたどの感情でもなかったからだ。


「私はシャルロット様のバラ。世界で一番醜い、唯一の白バラなのよ」


 純白の瞳が、愛を語るかのように甘く緩むのを見て、夢子は唖然とする。

 手出しは無用だと言った意味が、ようやく分かった。



(歪んでる……)

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