尊い者に毒を吐く
革靴か、あるいはハイヒールか。
少しだけ気にはなったが、この際もうどうでもいい。
も、もう目を開けてもいいのか…?
直感的に僕は、その答えは「yes」だと思ったから、少し戸惑いながらも、恐る恐る目を開けてみた。
この人はだれなのか、大体の予想はついていた。
でも、どんな人なのかは想像すらついていなかった。
だから僕は、驚いた。
白くて半透明の足元まで伸びた、長くてきれいな髪の毛。前髪はM字型だった。一見優しそうに見えるその目は、透き通った緋色。胸下まである五角形の襟が付いたロングコートは、水樹のものとはずいぶん違って、前が短く後ろが長いデザインになっている。それを腰のあたりできゅっと結んだ柔らかい素材のリボンが、もともといいスタイルをさらに良く見せていて、同時に統一感も出していた。両手に振袖のようなつけ袖をつけていて、二の腕のあたりから天の羽衣の様なリボンが、これはまた神々しく見えた。靴は残念ながら布地のハイカットブーツで、ひざ下の足を入れる部分が広くなっていた。
優雅にほほ笑んだ顔からは、彼女の優しさがにじみだされていた。
これは錯覚かもしれないが、彼女の後ろには後光が見えた気がした。
一言で言うと〝神様〟。
その言葉以上に最適な言葉は見つからないし、それ以外に言い換えられる言葉はないと思う。
…ねぇ?水樹…。
僕は、さっき水樹がいた方向へと目をやる。
…水樹が、いなくなっていた。
…というか、水樹以外もいなかった。
情さんも億さんも火菜さんも風香さんも花乃さんも人衣さんも舞衣さんも獣優さんも音羽さんも時和さんも虫紬さん鳥利さんも地菜さんも霊子さんも文子さんも。
一緒にここに来た精霊使いたちが、誰一人としていない。
…そっか。こういうことなんだ。
生暖かい大粒の水滴が、ゆっくりと頬を伝っていくのを感じた。
一粒…。二粒…。三粒…。
次第に流れ落ちていく頻度は多くなっていく。
今までは、全然現実味がなく、実感もわいてこなかった。
でも、ここにきて、現実で怒って、初めて実感してしまった。
そうやって気が付いたときには、もう、手遅れなんだ。
僕はこれから、どうすればいいんだろう…。
そんな風に、放心状態になっているときだった。
僕の様子をおろおろと見ていた彼女が、ようやく話しかけてきた。
「…あ、あの…星斗くん、ですか…?」
なぜだろう。知らない美少女が話しかけてきてくれているのに、何も感じない。
それほどにも、ショックが大きいのか…。
僕は無意識にも、何の感情も子も会っていないうつろな目で、彼女を見つめてしまった。
「…はい」
彼女は「ど、どうしよう…」というような感じで、話をつづけた。
「えっ、えっと…はじめまして…ですよ、ね?」
「…はい」
「私の名前は精華です。…よろしくお願いしますね」
「…どうも」
彼女は少し、ほっとしたような様子を見せた。
まさか、僕のことを「はい」しか言えないイエスマンのような人だとでも思っていたというのか?
「情から、詳しいお話は聞いたのですか?」
「…はい。まあ…」
ずいぶんと、僕のことを見下しているかのような口ぶりだった。
そして、そんな態度が鼻についた。
「じ、じゃあ、状況はわかっていらっしゃいますね?」
「…はい。まあ…」
彼女が優しかったのは、ここまでだった。
次の瞬間、彼女は豹変してしまった。
「…だったら、そんな風な態度はとらないでください。そんな風にめそめそと泣かないでください。迷惑です。目障りです。今すぐにやめてください」
彼女の纏っているオーラが、明るいものから暗いものへと変わった。
それを見た僕の、彼女に対しての認識が〝神様〟から〝鬼〟へと変わった。
だから僕は、何も言えなくなってしまった。
でもその様子が、彼女にとっては鼻についたのだろう。
さらに攻めてきた。
「…まだ、やめないんですね。…ていうか、何も言い返してこないんですね。あなたなら、そうしてくれると思っていたのに。…残念です」
この言葉が、あいにくにも引き金となってしまった。
僕の堪忍袋の緒が切れ、腸が煮えくり返ってくるのを感じる。
「…なんでっ…なんで泣いてはいけないんですかっ。一緒に戦い、一緒に生活し、一緒に昼食をとり、一緒に話をしていた仲間たちが…みんなみんないなくなってしまったというのにっ」
今まで精霊使いとして過ごした、たったの四日間の濃密な思い出が、走馬灯のようによみがえってくる。
「…なんでっ…なんでみんなを僕から奪い取っていくんですかっ。なんでっ…なんでっ…もう、なんでっ…」
一日目。水樹と出会って、海岸で話をしたこと。風香さんと火菜さんと出会って、水樹と一緒に泊まらせてもらったこと。
二日目。一樹さんと偶然再会し、火菜さんが教育係になって、バイトがはじまったこと。水樹が僕をかばって事故にあい、一泊だけ入院をしたこと。初の仕事先で、花乃さんと出会ったこと。
三日目。全精霊使いがたまたま集まって、情さんの精霊使いについての話を聞いたこと。僕だけ、みんなよりも詳しい話を聞けたこと。僕と水樹と情さんでお昼ご飯を食べて、話をしたこと。水樹と夕日を見ながら話をしたこと。
四日目。今日。今。この瞬間。
そのすべての思い出を、僕は嚙み締めつつ言う。
「…すべてはっ…すべてはあなたのせいですっ。あなたがあんなわがままを言ったからっ、たくさんの犠牲者が出たんですっ。自覚しているんですかっ」
「…っ」
「あなたがあんなわがままを言わなければよかっただけの話なんですっ。それらを分かってこんなことをしているんですかっ?
振り回されている私たちの気持ち、全然知らないくせにっ」
もう、彼女に対しては憤怒の念しか抱いていなかった。
「あなたのせいで僕がっ…どれだけ辛い気持ちになったかっ。どれだけ苦しい思いをしたのかっ…。あなたには想像もつかないんでしょうけどっ」
僕は、やっとの思いであふれかえるほどの涙を汗ばんだ手で拭った。
「あなたは、自分のことばかりを考えすぎですっ。少しは…少しは僕たちの気持ちを考えてくださいよっ」
何とか一区切りを言い終え、荒れた呼吸を何とかしてでも整えようと努力する。
それでもなお、ハア、ハア、ハア…という荒れた息遣いが喉の奥から聞こえてくる。
それでも生暖かい涙は、とめどなく流れ落ちていく。
ふいに、前方から声が聞こえた。




