浬、しょうもない悪戯を仕掛ける
だが、直後に一気に奈落の底へ突き落される。
「じゃが、力を使うには妖怪としての本性を現さないといかん。今は妖力を発揮しておらんから悟られてはおらぬが、ここで力を使ったら大変なことになるのじゃ」
指摘され、俺は項垂れる。そうだ、この場には美琴と遥がいる。陰陽師である二人の前でよーこさんが本性を現したらどうなるか。美琴はまだ聞き訳があるにせよ、よーこさんのことを妖怪だと知らなかった遥は間違いなく退治しようとするだろう。よーこさんと契りを結んでいる以上、彼女が祓われるわけにはいかない。よーこさんが死ねば俺まで死ぬ可能性があるからな。
そうなると、壁抜けすら使えない。いや、待てよ。方法が無いわけではないか。
「あいつらの気を逸らすことができれば術は使えるってことだよな」
「理屈としてはそうじゃが、やれるのかえ」
よーこさんに気が回らないほど大騒ぎさせれば隙が生まれるかもしれない。問題は、どうすればそんな状況を発生させられるかである。
一番手っ取り早いのは俺が直接姿を現すこと。だが、即座に通報されて本末転倒だ。ならば、他に方法はないか。俺は壁に額をくっつける。
「さっきから妙な音がするけど、他に人はいないわよね」
遥が唐突に妙なことを言いだす。よーこさんがびくりと跳ね上がったものだから、疑惑の視線が集中してしまった。
「言われてみれば、変な視線も感じるかも」
美琴、そいつはお前の第六感を超越した感覚のせいじゃないのか。気のせい、気のせい。
「妖怪の仕業じゃないかの」
「小学生じゃないんだから、なんでもかんでも妖怪のせいにしないでもらえる」
遥があきれ果てたように両手を広げる。少なくとも妖怪のせいでは……ないよな。
まずいな。気配を悟られたか。ならば、早々に偽装工作を図らなくてはならない。話題を強制的に変えさせられるほどの出来事といえば。
頭の中で風呂を連呼して、ようやくある思い出に行き着いた。それは小学生時代の林間学校のこと。クラスメイトと一緒に入浴していてちょっとした事件があったのだ。あれをこの場で再現することができれば。
思い立ったが吉日だ。この作戦は即座に存在がバレる危険性がある。でも、そのくらいのリスクを冒さないと脱出は不可能だ。俺は大きく息を吸うと温泉の中へと潜った。
ほふく前進をしながら美琴たちの近くへと潜水していく。彼女たちの生足を嫌が上でも目撃してしまう。プールで水中ゴーグルをかけていないとまともに目が開けていられないように、温泉の中では視界が不明瞭だ。だから、うまい具合にモザイクがかかった状態になっている。鮮明に焼き付けてしまったら温泉に紅が混じってしまい、俺が紅に染まってしまう。もちろん、慰める奴はもういない。
こんなしょうもない作戦で注意を逸らすことができるのか。疑念がわいたが、急接近してしまったのだ。もはや、実行する以外に道は残されていない。俺は唇を右腕に当てる。そして、水を飲み込むのを覚悟で思い切り息を吐いた。
ボビブゥ。
間抜けな音とともに、水面に泡ぶくが立つ。誰かいるのではと喧騒が繰り広げられていたのだが、一瞬で静寂が訪れた。うまくいったのか。俺はよーこさんの元へと逃げ帰っていく。
「美琴。あんた、屁をこいたでしょ」
「はあ!? そんなわけないし。あんたでしょ」
「バッカじゃないの。こんなとこで放屁するわけないでしょ」
美琴と遥が言い争いをしている。よし、うまくいった。俺は水中でガッツポーズをする。
小学生の時に風呂場で起こった事件。その名も「放屁したのは誰だ事件」だ。大層な名前をつけたが大したことはない。風呂場で誰かがおならをして、犯人探しが始まっただけだ。
だが、相手が女子高生なら話は別だ。日常生活においても人前で放屁するなど御法度。ましてや、ここは風呂場だ。こんなところで屁でもかまされたら、一緒に入っている身としてはひとたまりもない。それ以前に、公然と放屁する女と認めるのは断じてできないはずだ。
「聞き間違いじゃないですか」
「でも、音といい泡といい、どう考えてもアレじゃない」
「そうね。なんか臭ってきたかも」
実際にこいたわけではないから、臭いが発生するわけはない。これがプラシーボ効果というやつか。
「まったく、これだから分家は。見境なく放屁するなんてしつけがなってないわね」
「言わせておけば。自分がやったと認めたくなくてほらを吹いているんじゃないの」
「違うし。そっちこそ認めなさいよ」
「あの、そんなツンツンしなくても」
「意外とあなたがやったんじゃないの」
「そんな。私、そんなはしたないことはしないです」
「あー、遥。あんた、瑞稀を泣かせたわね」
「泣かせてねーし。この三人のうち誰かだから、容疑者に含まれるってだけの話でしょ」
瑞稀が湯船にうずくまってあぶくを立てている。ちなみに、よーこさんが蚊帳の外にされているのは、俺が美琴たち三人の集結する付近で放屁偽装したからだ。よーこさんが彼女たちから離れた位置にいてよかった。




