浬、温泉での定番ハプニングに遭遇する
急によーこさんが入ってきたために、てんやわんやになってしまった。若干落ち着きを取り戻したとはいえ、すぐに発狂しそうである。バスタオルで隠しているとはいえ、はち切れんばかりの双丘がすぐそばにあるのだ。丈があまりにも短い裾から艶めかしい太ももが伸びる。履いてないというのは明らかなので、不埒な想像がよぎってしまう。これで平生を保てなんて土台無理だ。俺は生唾を飲み込む。
どうにか顔を背けることには成功したものの、よーこさんは攻勢をかけてきた。じらすようにバスタオルに手を添えたのだ。ゆっくりと時間をかけて解かれる最後の砦。これ以上はまずい。だが、反応できない。無限に立ち上る湯気は俺の頭の中を如実に再現していた。
そして、バスタオルが取りさらわれる。それより前に事態は思わぬ方向に転んだ。なんと、いきなり浴場のドアが開け放たれたのである。まさか、よーこさん以外の客人が来てしまったのか。
俺はとっさによーこさんの手を引いて浴槽へとダイブする。どうにか顔を出したよーこさんの背後に回り、彼女をそのまま盾にした。
「すごい音がしましたけど、先客がいるのでしょうか」
「子供が浴槽で泳いでいるだけでしょ。いるのよね、温泉とプールを勘違いしている子が」
どこかで聞いたことがある声だ。立ち上がろうとするよーこさんを必死で押さえつけながら、ちらりと確認する。
訪れたのは絶対に見つかってはいけない面子だった。美琴に瑞稀だと。どうしてここに。いや、普通に風呂に入りに来ただけか。のれんが女湯のままなら、なんらやましいことはしていない。
どうにかよーこさんをなだめているおかげで、まだ俺たちの存在には気が付いていないようだ。二人でおしゃべりに夢中になりながら体を洗っている。それどころか、もっと厄介な存在まで合流してしまった。
「あら、分家の子。あんたも風呂に入りに来たわけ」
「入っちゃ悪い、ハルカス」
「もう、温泉に来てまで喧嘩しないでください」
タオルで全身を隠しながら仁王立ちしているのは遥だった。あろうことか知り合いの女子高生三人組が集結してしまっただと。こいつはまずいなんてもんじゃない。こっそり脱出するなんて、スペランカーが椅子の上から飛び降りて生還するより難しいじゃないか。
浴槽から脱しようとするよーこさんに俺は必死にしがみつく。彼女という最大の壁を失ってはまずい。俺が執拗に抵抗するものだから、よーこさんは不満を丸出しにして睨みつけて来た。
「うちと一緒に風呂に入りたいのなら素直にそう言えばいいのに。どうして乱暴するのじゃ」
「状況が状況だからだろ。考えてもみろ。俺が女湯に忍び込んだということが美琴たちを通して広まったらどうなると思う。まして公衆浴場だぞ。妖怪に目くらましされたなんて理由が通るはずもないし、間違いなく迷惑防止条例違反とかで通報されるだろう。そんなことになったらよーこさんも困るはずだぞ」
「うちがどう困るというのか」
「まだ分からないのか。俺を婿にするつもりなんだろ。俺が犯罪に手を染めでもしたら、『お前は犯罪者の嫁だ』と後ろ指を刺されることになるんだぞ」
俺の説得が響いたのか、よーこさんは息を呑んだ。人間世界の常識に疎い部分があるとはいえ、「犯罪者の嫁」という刻印は堪えるものがあったのだろう。猫を被ったようにおとなしくなるのだった。
とにかく打開策を思いつくまでは俺の存在を悟られてはならない。よーこさんに壁際まで移動してもらい、俺は壁とよーこさんの間に隠れることとなった。風呂自体の熱気とよーこさんの体温でサンドイッチになり、頭が沸騰してくる。つい先日夏風邪を引いたばかりなのにぶり返してきそうだ。でも、なんとかして脱出しないとならない。期末テストの時以上に頭をフル回転させる。
しかし、妙案を出すより前に事態は悪化の一途をたどった。
「あれ、よーこさんじゃん。先に来ていたなら声をかけてくれればいいじゃない」
「ひ、久しぶりなのじゃ」
「久しぶりって、ついさっき会ったばかりですよ」
瑞稀が苦笑する。隣で仁王立ちする美琴はバスタオルがはがれそうで目のやり場に困る。どうしよう、こっちに来ちゃったじゃないか。いや、危惧するまでもない。入浴するなら、遅かれ早かれ浴槽に居るよーこさんとは対面することになる。
俺がすぐそばにいることなどつゆ知らず、二人は入浴してくる。生足が轟かせる水面の音が艶めかしい想像を掻き立てる。これだけでもお腹一杯なのに、更なる追い打ちが待っていた。
「あんたら、風呂の中ではタオルを取るのがエチケットよ。まさか、自分の体に自信が無くて恥ずかしいってわけじゃないでしょうね」
ハルカスゥゥゥゥ! 余計な助言をしてんじゃねえ!
「ば、馬鹿なことを言うな! ここには女しかいないのだぞ。恥ずかしいわけないじゃない」
いや、男がいるんですけどね。胸元を隠していたタオルを風呂場の縁に叩きつける。瑞稀も躊躇していたが、丁寧にタオルを置いた。
湯船の中にいた二人はまだマシだった。問題は遥だ。あいつ、勝ち誇ったように立ち上がりながらタオルを払いのけ、堂々と入ってきたのだ。ひょっこりはんしていたせいでくっきりとは見えなかったが、大事なものが映ってしまった危険性がある。
温泉の魔力にかかり、三人はしばし言葉少なに堪能している。作戦を立てるのなら今だ。他の人に聞かれないようこっそりと、よーこさんに耳打ちをする。
「どうにか入り口まで脱出できないか」
「無理じゃろ。美琴たちが出ていかぬ限りはそこからは動けぬ」
よーこさんの言う通りだった。素直に脱衣所へ行こうとするなら、美琴たちの前を横切らないといけない。水中でやり過ごせたとしても、風呂から上がった瞬間に見つかってアウトだ。
ならば、他に方法はないか。俺は壁に拳を当てる。その時、ふと思った。
もし、ここが男湯だったら、「この壁の向こうで裸の女の子たちがキャッキャウフフしているだろうな」と想像を張り巡らせていただろう。実際はすぐそばでキャッキャウフフしているわけだが。ならば、想像を逆転してみればいい。この壁に向こうにあるのは本当の男湯ではないのか。
「よーこさん。俺を壁抜けさせることってできるか」
「人間を壁抜けさせるのはやったことはないのう。じゃが、できなくはないと思う」
それを聞き、俺はガッツポーズをした。普段、彼女は壁をすり抜けて勝手に俺の部屋に侵入してきている。ならば、その力を他人に付与することができるかもしれないのだ。俺の推測は即座に確信へと変わった。




