浬、よーこさんにハメられる
服がお茶まみれで気持ち悪いが、それでもホテルをさまよい、どうにか温泉へと到着した。秘境のホテルのくせに妙に広いのだ。RPGで初見のダンジョンを探索する心地だったぜ。
当然のことながら、男湯と女湯で分かれている。これまた当然のことながら、俺は男湯ののれんをくぐる。まだ宴会の真っただ中なのか、脱衣所には誰もいない。広々としたロッカールームの中で一人きりというのはどことなく落ち着かなくなる。とりあえず、お茶まみれの不快感からいち早く脱したかったので、俺は躊躇することなくすべての服を脱ぎ去った。
タオルで大事な部分を隠したものの、誰もいないなら配慮する必要はなかろう。完全に生まれたままの状態で浴場へと足を踏み入れる。
洗面台が整然と立ち並び、浴槽の壁一面に大きな富士山が描かれている。町の銭湯を一回り大きくしたような感じだ。大浴場自体中学の修学旅行で入ったきりなので、嫌が上でもテンションが上がってしまう。盛り上がったところで一人しかいないから虚しい。
手早く体を洗い、さっそく湯船につかる。
「あ~、極楽、極楽」
昇天したわけではないが、定型句として言わずにはいられない。雰囲気を楽しむために、タオルを頭の上に乗せてみた。
やや熱いぐらいだが、海で冷えた体にはむしろ心地いい。波音を立てると反響音がいつまでもこだまする。絶え間なくつぎ足される原泉が耳に心地いい。うっかりするとつい夢見ごちになりそうだ。温泉で眠って風邪を引いたなんて知れたらどんなにからかわれることか。
それにしても、全然人が来ないな。酔っ払い集団が暴走していて、制御するのに精いっぱいなのだろう。俺だけ離脱して心苦しいすらある。些末事は安楽の湯の前ではどうでもよくなってくるが。
高揚してガクドルズの曲を鼻歌で歌っていると扉が開かれた。ようやく他のお客さんもやってきたか。だが、姿を現したのは、
「ほう、噂通りのいい湯じゃの。ゆっくりできそうじゃわい」
まさかのよーこさんだった。
「よーこさん! あんた何やってんですか」
「身体の清潔、病気の治療を目的として大気以外のものに身体を浸すことじゃ」
「百科事典の説明文で入浴を説明してなくていいから。どうしてここにいるか聞いてるんだよ」
彼女は絶対にここに居てはいけないのだ。なぜならここは男湯。相撲の土俵と同じ空間なのである。
「浬こそどうしてここにおるのかの。酔うてもいないのに、間違えるとは」
「言いがかりはよしてもらおうか。ここは男湯だぞ。ちゃんとのれんを確かめてきたんだ」
「それはどうかの。本当に自分が男湯に居ると言いきれるのかえ」
自信たっぷりに探りを入れるよーこさんに、俺は言葉を詰まらせる。ここで論争していても仕方ない。俺はタオルで大事な部分を隠し、駆け足気味で脱衣所へ赴く。途中で滑らなかったのが奇跡だった。
そして、のれんの色を確認すると、一目散にとんぼ返りした。
「おい、どうなってるんだよ。いつの間にか女湯に変わっているぞ」
信じたくないが、掛けられていたのれんの色は赤だったのだ。日本において温泉ののれんの色が赤ということは、示す事実は一つだ。
まさか、時間差で女湯に変わる仕様なのか。いや、男女で入り口が分けられていたから、そんな面倒なことはしないはず。ならば、あらかじめのれんが入れ替わっていたのか。わざわざそんなしょうもないいたずらをする奴といえば。
俺の鋭い眼光にもおびえず、よーこさんは勝ち誇ったように腰に手を当てる。
「前に受けた術に再びかかるとは。ぬしもまだまだじゃのう」
越前リョーマよりむかつく口調だったが、術と聞いてふと思い当たる節があった。前にもよーこさんの術によりてんやわんやしたことがあったが、そいつを繰り返されているとしたら。
戦慄していると、よーこさんはニカリと笑って種明かしをした。
「ぬしにはこっそり、うちが術をかけておいたのじゃ。女湯ののれんを男湯ののれんだと錯覚する術をのう」
「ピンポイントで嫌がらせするだけの術を使ってんじゃねえ」
人間の認識を操るという、使い方を間違えなければ凶悪過ぎるよーこさんの妖術。そいつにまたも引っかかっていたというのだ。歯噛みするが、よーこさんは飄々と高笑いするだけだ。
ここで立ちすくんでいてはとんでもないことになる。事情を知らない女性が入ってきたら通報されること間違いなしだ。俺はとっとと脱衣所へ帰ろうとする。
しかし、行く手をよーこさんが塞いだ。瞬間移動かと思えるほどの機動力だった。かいくぐろうとするも、執拗に通せん坊する。地団太を踏むと肩を掴まれた。
「最近、浬は学校に行ってばかりでうちは構ってもらえんかったからの。夏休みとやらを利用して、浬と一緒に遊ぶのじゃ」
「学生だから学校へ行くのは本分だろ。っていうか、まさか風呂場で俺と二人きりになるためにこんないたずらをしたんじゃねえよな」
気持ち悪い顔をしているということは間違いなく肯定だった。よもや、大人のイケナイビデオの中でしかやらないようなドッキリを男の俺が受ける羽目になるとは。イケナイビデオだとAVじゃなくIVになると、しょうもないことを考えている場合ではなかった。




