浬と美琴、水泳勝負する
よーこさんが持参した無駄に大きいアヒルさんにつかまりながら、俺は漂っている。沖に流されたわけじゃないから安心してくれ。無為にプカプカ浮いているだけでも心地いい。時折やってくる波に体を揺らされ、気分はクラゲだ。クラゲっていいよな。普段、こうしてプカプカしているだけで暮らしていけるんだから。奴らには奴らなりの苦労があるかもしれないが。例えばマンボウとか。あいつ、クラゲを食べるらしいぜ。
砂浜近くでは瑞稀と美琴が海水をかけてじゃれあっている。すぐそばで早々に海水浴に飽きた茜さんが馬込さんを埋葬しようとしていた。爆乳になった馬込さんとか全く需要が無いからやめてさしあげろ。そして、よーこさんは「夕飯のおかずはおらんかの」と野生の狐だった時の本性をむき出しにしている。食材だったら前に訪問して来た山姥に頼めば手っ取り早いんじゃないか。
クラゲごっこを満喫していると、美琴が見事なクロールを披露しながらやってきた。
「浬、あそこまで競争しないか」
指さした先にあるのは沖にあるブイ。遊泳可能地域を示すやつで、あの先には行っちゃいけませんと誇示している。
「俺に競争を挑むなんていい度胸だ。河童と呼ばれた俺の泳ぎを見せてやる」
口から出まかせである。勝負を受けたからには口上するのが筋ってもんだろ。でも、そう簡単に負けるつもりもない。小学生の頃スイミングスクールで鍛えた腕前を披露してやらあ。小学三年生の時に辞めたけどな。
「私は、遠慮しておきます。泳ぐの自信ないですし」
そういいながら、浮き輪にしがみついている。カナヅチというわけではなさそうだが、体育全般が得意ではないのだろう。海まで走っていった時もぶっちぎりでドベだったし。
「負けたら、今日の夕飯のメインディッシュをおごるというのはどう」
「よーこさんが海を漁っているから、海産物になりそうだな。カニか、ウニか。いずれにせよ、美味いものには違いない」
「あなたが勝ったつもりでいるみたいだけど、そう簡単には勝たせないわよ」
水中で器用に準備体操をしている。俺はアヒルさんを瑞稀に預けて臨戦態勢に入った。
どうせ泳ぐだろうと思って持参した水中ゴーグルを装着する。目指すは推定三十メートル先にあるブイ。俺はフリーしか泳がない。むしろ、フリーぐらいしかろくに泳げない。戦法が決まったところで、俺は両腕を前に突き出した。
「位置について、よーい、スタート」
瑞稀の号令で俺と美琴は同時に泳ぎだした。予想通り、美琴が選んだのもフリー。しかも、予想以上に速い。男の矜持として圧勝されるのだけは避けたい。必死にくらいつくが、差は広がる一方だ。これが現役運動部員と現役帰宅部員の差だというのか。
腕を必死に動かすが、美琴のしなやかな生足は遠ざかっていくばかりだ。バタ足に呼応して起伏する尻。あ、これ、無理だわ。まっさきに脳を殺されては勝てるものも勝てやしない。
なんら面白みもなく俺の敗北に終わる。そう思われたのだが、美琴がブイまであと五メートルかという付近で事件は起きた。
快調に飛ばしていた彼女がいきなり失速したのだ。その場で立ち泳ぎになり、必死にもがいている。俺も少し前に似たような動作をしたことがあるから、彼女の異変は大方把握できる。
「あいつ、張り切り過ぎて溺れたんじゃないだろうな」
足をつってしまったとか。いずれにせよ、海で溺れたとあっては冗談抜きで命の危機に直結する。どうする。彼女のもとへ向かうか。それとも、引き返して助力を請うか。
悩んでいると、更なる異変に気が付いた。水中に潜っていたために彼女の足元を目撃することができたのだが、なんとクラゲみたいな生物に絡まれていたのだ。しかも、ただのクラゲではない。傘の部分に大きなどくろマークが描かれている。おまけに、一般的なクラゲは透明無色なのに、そいつは禍々しい紫色をしていた。
新種のクラゲに襲われて溺れたって、色々な意味でニュースになりそうだ。いや、ゆっくりと所感を述べている場合ではない。非常に厄介なことになったぞ。クラゲの毒に侵されているのなら、一刻も早く引きはがさないと溺れるより先にアウトだ。でも、引っぺがしたところで俺一人じゃどうにもできないし。どう考えても第三者の助力が必要。頼りになるのは……泳ぎが苦手な瑞稀。詰んだか、これ。
とにかく、美琴のところへ向かわねば。バタ足を開始しようとしたとき、猛然と俺の横を泳ぎぬける影があった。髪をサイドポニーにまとめ、紫色のビキニを着ている。中肉中背で美琴と同じくらいの年頃の少女だった。だが、ある。何がとは言わない。
ともあれ、渡りに船だ。「そこの君」と俺は彼女を呼び止める。
「俺の友人があそこで溺れているんだ。力を貸してくれないか」
「端からそのつもりよ」
ぶっきらぼうに言い捨てると泳ぎ去ろうとする。
「足元に変なクラゲがいるんだ。気をつけろよ」
その言葉を耳にした途端、少女の動きが止まった。険しい顔で俺を睨んでいる。まずいことは言っていないよな。
「あんた、そのことは他言しない方がいい。頭がおかしいと思われるわよ」
「で、でも」
「安心して。あいつはあたしが祓う。あなたは早く助けを呼びに行って」
いきなりの命令口調に辟易しつつも、俺は指示されたとおりに砂浜へと引き返す。どういうことだ。間違いなくクラゲがいたのに。
ともあれ、アヒルさんのもとに到達すると、おあつらえ向きに瑞稀とよーこさんが合流していた。




