玄徳、結婚を勧める
「それで、どんな用件じゃ」
たった一言の声音で弛緩した空気が一変した。数秒で目の前の人物の中身が入れ替わったみたいだ。俺はとっさに美琴へと視線を送ってしまう。彼女もまた、緊張して父親と対面している。ただの耄碌したおっさんかと思いきや、そうではない。
「この少年、浬には軒並みならない力が備わっているかもしれないのです。私の術はおろか、妖狐の術さえも跳ね返しました。ただの人間ができる所業じゃありません」
「妖狐。よもや、葛葉の術を拒んだというのではあるまいな」
髭をさする玄徳に、美琴は無言で首肯する。いかなる発言も封殺されそうな雰囲気ではあったが、どうしても気になることがあって俺は口を開いた。
「あの、葛葉のことを知っているのですか」
「ここらの陰陽師の間では有名な相手だ。千年妖狐葛葉。幾多の同士が挑み、敗れ去った仇敵である」
とんでもない強敵めいた風格を醸し出してはいたが、本当にやばい奴だったとは。どうしよう。俺、売ってはならない喧嘩を売ったかもしれないぞ。
「千年もの長きに渡って戦い続け、ついには討伐できなかった相手だ。よほどの力の持ち主が現れん限り、むこう数百年は討伐できんと睨んでおる。まして美琴、おぬしが勝てるような相手ではない」
「十分承知しています。葛葉をどうこうしようという話ではありません」
美琴は深々と頭を下げた。なんだろう。実の親子のわりによそよそしいような。
「討伐はできんでも、術を防いだというのは興味深いの。浬と言ったか。そなたは陰陽術に心得はあるか」
「ありません」
即答しておいた。嘘は言っていない。
見当違いだったのか、玄徳は禿頭をひっかいている。
「ただの人間がやってのけたというのはまことに信じられんが。本当に心得はないのだな」
いかめしい顔で迫られると肯定しそうになる。宇迦市に来るまで陰陽師とは縁もゆかりもない生活を送っていたはず。ただ、もしかしたら意外な繋がりがあるかもしれない。可能性を求めて、俺は服の襟を引っ張った。
「もしかして、こいつが関係あるのではありませんか」
首の六芒星が晒された途端、玄徳の細目がはっきりと開眼した。
「契りの刻印じゃと。面妖なものを刻まれておるな」
美琴と同じ診断が下された。消えない油性ペンで描かれたいたずらと思いたかったけど、淡い期待だったようだ。
「私が話したいことはそれとも関係があるのです。浬はとある妖怪と誓いを結んでしまいました。そのせいで、文様を刻まれたのです。父上だったら、解除できませんか」
「できぬ」
即答しやがったぞ、おい。
呆気にとられる俺たちをよそに、玄徳は髭をいじくりだした。
「契りの刻印は妖怪の術の中でも特に複雑だ。そいつを無理やり解除するとなると、葛葉クラスの妖怪を百体まとめて倒すぐらいの力が必要になる。そんなもの、現存するすべての陰陽師の力を合わせたとて無理だ」
やはり、素直によーこさんとの約束を果たすしかないのか。肩を落としていると、玄徳はうってかわって優しい口調で語り掛ける。
「それで、どんな契りを結んだのだ」
これは白状したほうがいいかな。美琴は渋面を作っていたが、こっそりと右手で丸を作った。
「学校を卒業するまでに彼女を作らないと、よーこさん、陽湖荘の管理人である妖狐と結婚するという約束です」
それを聞き、腕組をして指で腕を叩く。理不尽なメトロノームに時の流れを任せるしかなかった。やがて、その場を支配していた指は動きをとめ、勢いよく両膝に打ち付けられる。
「ならば、解除方法は簡単ではないか」
マジか。さっきは無理だと断言したのに。いやが上でも期待が高まってしまう。俺が前傾姿勢をとっていると、玄徳は娘を指さした。
「みーたんと結婚すればええ」
待て待て待て待て待て待て! どうしてそう短絡的な結論に至るんだよ。
「父上、それはいくらなんでも」
美琴が赤面しながら抗議する。あなたも似たような対処法を提案していなかったか。
「問題はなかろう。他の女と結婚すれば契りは達成するのだろ。ならば、みーたんと結婚すれば契りは消える。そして、我が阿部家の跡取りも決まる。一石二鳥ではないか」
「理論としては間違っていませんが、でも、結婚なんて」
もじもじと身をよじる。美琴が臆病な所作をするのは珍しい。素っ頓狂な提案をされていなかったら、庇護欲を掻き立てられる所作を堪能しているところだった。
「だが、他に方法はないぞ。真偽はどうあれ、葛葉の術に耐えたというのなら、陰陽師としての素質は十分だ。わしがしっかりと手ほどきすれば、立派な跡取りになるだろう」
広げた左手に何度も右手の拳をうちつけている。よしよしする意味じゃない方の可愛がりをされそうで末恐ろしい。
「か、浬にはほかに意中の人がいるみたいなんだ。そうだろ」
「まあな」
ガクドルズの花園華というアニメキャラクターの名を挙げたらどんな反応をするだろうか。想像するまでもなく、玄徳はオタク文化には疎そうな雰囲気だ。「世迷言を抜かすぐらいなら、素直に美琴と結婚せえ」と恫喝されそうである。
「なるほどの。出会ったまだ数か月。その間、ろくに見合いもしておらん。そんな状況でいきなり娘を嫁にしろというのは無謀だと分かっておる。結婚してすぐに破局しては元も子もないからな」
ある程度の常識は持ち合わせているようだ。俺と美琴はほっと胸をなでおろす。
「だが、みーたん以上の女子など、そうそうおらん。まして、わしとて有象無象の男に美琴を嫁がせようとも考えてはおらぬ。せっかくわしが許可しておるのだ。素直に従っても罰は当たらんと思うぞ」
おっさんのウインクなどキモイだけのはずなのに、別の意味で身の毛がよだった。
俺たちのことなど眼中にないように、玄徳は婚活雑誌をあさっている。さて、どうしたものか。美琴は胸を押さえて荒い息遣いをしているし。
「ところで、よーこという妖怪の討伐は進んでおるか」
好々爺とした顔つきから一変、当初のいかつい皺顔へと戻った。美琴はびしりと姿勢を正す。
「いえ、思うように進んでいません」
「情けないの。あの程度の妖怪ならば討伐するのは容易いはずなのに」
つまらなそうに髭をいじる。美琴は元々よーこさんを倒すためにやってきたんだよな。でも、わざわざ倒すような相手か。こちらの迷惑を鑑みずに不法侵入したりするけど、そこまで性悪というわけではなさそうだし。
「あの、よーこさんって過去に悪いことでもしたのですか」
「あやつは三百年来ずっと陰陽師が追ってきた相手だ。なにしろ、当時の地主の家を燃やしおったからな」
ギリギリと拳を握る。そういえば、前に白状していたな。力の使い方がよく分からずに炎を放ったら家を燃やしてしまったと。不慮の事故だし、とっくの昔に時効が成立していそうだが。
「本家の奴らに後れを取らぬよう、こちらとて威厳を示さねばならない。強力な妖怪の復活も迫っておるというのに」
玄徳は床を拳で叩いた。そのまま床がぶち抜かれそうだった。
ところで、さらっととんでもないことを言っていなかったか。
「強力な妖怪が復活するって本当ですか」
「あくまで兆候でしかないが。宇迦市からは離れておるからわしらの範疇ではない。だが、遠出するなら気をつけよ。例えば、重井沢とかな」
やけに具体的な地名が出てきたな。重井沢は知る人ぞ知る秘境の避暑地だろ。夏の行楽にピッタリとはいえ、そうそう行けるところではない。でも、最近どこかで耳にした覚えがあるんだよな。
「話が紆余曲折してしまったが、浬といったか、君については要経過観察としか言えぬ。断言するには情報が少なすぎるからな。我が家に籍を入れるというなら、じっくりと解き明かしてやってもよいぞ」
カッカッカッと笑い飛ばすと、「どっこいしょ」と口にしながら立ち上がった。そして、「チャオ」と場違いな挨拶を残して退出するのだった。




