美琴、看病に来る
惰眠を貪っていると、部屋の扉が数回ノックされた。その音が目覚ましとなって、ようやくクリーチャーとおさらばできる。寝ぼけ眼をこすりながら、「鍵は開いているはずだからどうぞ」と声をかけた。正直、俺から扉を開けるのは億劫だったのだ。
携帯を確認すると、時刻は午後四時を回っていた。よーこさんがバイトを終えて帰って来たのだろうか。ならば、都合がいい。あのトンチキな妖怪どもについてとっちめてやらねば。
腕まくりをしていると、予想外の人物が姿を現した。
「調子はどうだ、浬」
宇迦高校指定のセーラー服を身に着け、通学かばんを肩にかけている少女。おかっぱ髪を指で弄びつつも、まっすぐと背筋を伸ばしている。
「美琴、か」
「町中でハクビシンでも見つけたような反応はどういう訳よ」
「いや、ハクビシンよりも珍しい生命体と遭遇したからな」
「そんな生物、妖怪でもなければ早々いないわよ」
呆れた顔をするが、早々いない生命体と対面してきたんだよな。変態ばかりだが、家事を手伝ってくれる貴重な人材だ。美琴に祓ってもらうのは早計だろう。
そんなことより、彼女が訪問してきたというのが意外だった。
「部活はどうしたんだ。練習があるはずだろ」
「今日は休みよ。授業の復習でもしようかと思ったけど、あなたが風邪を引いているというし、仕方ないから看病でもしてあげようとしただけ。感謝しなさい」
気持ちはありがたいのだが、上から目線はどうにかならないものか。この調子なら瑞稀も訪ねてきそうだが、彼女は部活動があるのだろう。ならば、帰ってくるのはもう少し後のはずだ。
よーこさんもバイトが長引いているのか、あるいは買い物でもしているのか帰ってくる様子が無い。つまり、この部屋で俺と美琴の二人きりというわけだ。変態妖怪たちもいるかもしれないが、仕事を終えてとっくに帰ったと思われる。もし、残っていたら美琴が妖力を察知して討伐しに行っただろう。そして、「変態妖怪がいたから倒してきた」と意気揚々で報告しに来たに違いない。
「それで、調子はどうだ」
美琴はかばんを下ろし、俺の枕元で正座をする。大事なところが見えそうで見えなくて目のやり場に困る。ミニスカートの罪深さよ。
「朝と比べると大分楽になったかな」
嘘ではない。数時間でもぐっすり眠ったおかげか、体が軽くなっていた。ただし、寝間着は汗でぐっしょりだった。着替えたいけど、美琴がいるからな。
すると、特殊スキル「空気を読む」を発動したのか、美琴はあさっての方向を向く。
「き、着替えたいのなら早くしなさい。汗だくのまま私と会話して風邪がぶり返したなんて言われたら責任が取れないから。それに、男の着替えなんて、興味ないからね」
声が上ずっているが、好意に甘えることにしよう。タンスから別の寝間着を引っ張り出して、上着を脱ぐ。ここまではよかったのだが、ズボンに手を掛けた途端にさすがに躊躇した。美琴は背を向けているけど、どうにも気になって仕方ない。えっと、なんだ、このプレイ。普通は逆なんじゃないの。俺が背を向けている間に、布すれの音が聞こえてくるとか、さ。
「なあ、美琴もついでに着替えたら」
「馬鹿を言うな! 殺されたくなかったら、とっとと着替えろ」
冗談を抜かしたら恫喝された。せっかくだから、ラブコメの定番シチュエーションを体感しようと思ったけどダメだったか。両者ともに毒にも薬にもならないプレイを続けていても致し方ない。俺は思い切ってズボンを下ろし、着替えを済ませるのだった。
汗臭さから解放されたところで、俺は布団の上に腰を下ろす。向き直った美琴はこじんまりしていた。いつもは凛としているのに、背中も丸まっている。
「堂々とセクハラできるなら、心配することもないみたいね」
「まだ熱っぽいんだけどな」
「どうせ三十七度くらいでしょ。一晩眠れば治るわ」
体温計も使わずに体温を言い当てるとは。これも陰陽師の力か。まあ、それ以上の熱があったらまともに冗談も言えないだろうし、妥当な推理ということですね。
「そうそう、土産を持ってきてあげたわよ」
そう言って取り出したのはリンゴだった。お見舞いの土産として定番だよな。でも、木になっているままの状態で持ってこられてもどうしようもない。丸かじりしろということか。
リンゴを眺めながらため息をついていると、美琴がのぞき込んできた。若干驚きつつも俺は呟く。
「世の中、知らないことがいいこともあるんだなって。今日、嫌というほど思い知ったぜ」
「病欠している間に何があったのよ」
野口さんじゃないけど、「言えやしないよ」だ。風呂場がおっさんに嘗め回されていることや、おっさんがパンツを洗っているなんて知ったら、美琴は勇んで討伐に行くだろう。変態おっさん相手ならまだしも、あの山姥を相手にしたらどうなるか分かったものではない。
俺のため息に触発されたか、美琴も深々と息を吐く。幸せが逃げるぞ。俺も人のことを言えた義理じゃないが。
「この機会だから聞きたかったことがあるんだけど」
「おう、どうした」
「浬、お前は何者なんだ」
質問が漠然としすぎているぞ。僕らの世界を侵略している奴ではないから、目を覚まさなくてもいい。
さすがに質問がぶっきらぼうすぎたと反省したか、美琴は付け加えた。
「前から思っていたんだ。ただの人間にしては妖力が高すぎると。私の陰陽術を受けてもピンピンしているし、葛葉とよーこさんの攻撃にだって耐えている。常人ならとっくの昔に再起不能になってもおかしくはない」
「まさか、俺が風邪を引いたのは妖怪のせいとか言い出すんじゃないだろうな」
「それはないでしょう。川遊びしたせいよね」
ですよね。でも、昔は風邪を引くのは妖怪の仕業だと本気で信じられていたみたいだぞ。
しばらく思案しているように腕組をしていたが、思い切って膝を叩いた。
「浬、頼まれてくれないか」
俺の返答を待つまでもなく、美琴は一気に切り出した。
「私の家に来てくれ」




