浬、風呂場で不審者に遭遇する
眠れと強要されている時に限って眠気はやってこないものである。仕方なく、俺は百回近く繰り返して見ているガクドルズのブルーレイを視聴することにした。展開が把握できているものを見返しているわけだから、自然に眠たくなるだろう。高を括っていたが、物語が進むにつれて、逆に頭が冴えてくる。何度見てもガクドルズのアニメは最高だぜ。そうだな、アニメを見ていて眠くなるわけがないよな。
六話まで視聴したところで、ちょうどお腹が空いてくる時間帯になった。学校でも昼休みの時間だろう。もちろん、よーこさんが昼飯を片手にやってくるわけがない。購買でのバイトが最も忙しくなっているはずだからだ。
ずっとゴロゴロしていたのに、きちんとお腹は空くんだな。なんて、人体の不思議にしみじみしていても仕方ない。食料を調達せねば。
千鳥足になりながらも台所へと到着する。よーこさんが言っていた通り、冷蔵庫の中にはおにぎりやお浸し、空揚げなどが入った小さな弁当箱が用意されていた。レンジでしばらく温めればそのまま食べられるというわけだ。備蓄してあるカップ麺を食べてもよかったけど、彼女の行為を無碍にするのも悪い。俺は素直に弁当箱をレンジに投入した。
テレビでやっているバラエティ番組がうるさいぐらいに「昼なんですよ」と主張してくる。あのテーマソングは耳に残るけど、昔やっていた「ウキウキウォッチング」も至高だよな。益体のないことを考えながら、俺は弁当のおかずを口に運んだ。いつもそばによーこさんや美琴、瑞稀がいるから、一人で食事をするというのはなんだか味気ない。最近話題のお笑い芸人が持ちネタを披露したものの、大御所芸人から冷遇されていた。大笑いするところだけど、なぜだか笑えなかった。
逆に眠りたくないと思っている時に限って眠くなるものである。テーブルで頬杖をついていると、ウトウトとべこ人形の真似事をしてしまう。台所で寝ていては風邪がぶり返してきそうだし、よーこさんからはしたないと叱られる。会社の中でパンツで寝るよりはマシだろうが、せめて羽織るものでも用意しなくては。
睡魔と戦いながらふらついていると、俺の耳は妙な物音を拾った。台所と隣接して風呂場があるのだが、そこでピチャピチャと舌なめずりのような音が聞こえるのだ。
試しに、唇を舌で嘗め回してもらいたい。妙な音がするだろう。あの音をひときわ大きくしたような音が響いているのである。水滴が滴るのならまだ分からんでもない。でも、風呂場で舌なめずりってどういう状況なんだ。
便所飯ならぬ風呂場飯をしているとか。貴族が入浴しながら酒を飲んでいるんじゃないから、横着はやめてもらいたい。それに、そもそもの前提としておかしいのだ。
この寮には現在俺だけしか居ないはず。なのに、他の誰かが物音を立てている。
考えられる線は絞られる。最悪の可能性というと、
「泥棒、かよ」
空き巣に入るなら年季が入ったボロアパートよりも、やたらときれいだと噂の天源荘を狙えばいいのに。そんなことを言ったら輝夜が怒るな。とにかく、まずは謎の不審者だ。
武器になりそうなものを探し求め、俺は掃除機のノズルヘッドを構えて風呂場の扉の前で待機する。攻撃力が1しか上がらないだろうが、素手で挑むよりはマシだ。
相変わらず中からはピチャピチャと妙な音がしている。扉に「使用中」の札はかかっていない。陽湖荘の住人なら「風呂に入るときは使用中の札をかけること」というルールは徹底しているはず。たまによーこさんがわざと札をかけずに風呂に入り、美琴と言い争いをしているけど、それは現状問題ではない。中に誰かいるとしたら、不審人物であることは確定だ。
ノズルヘッドを握る手に力がこもる。開けると同時に先制攻撃だ。まともに肉弾戦に持ち込まれたら、風邪を引いている俺が圧倒的に不利だからな。心の中でカウントダウンする。3,2,1、ゼロ。突撃!
対面を果たした不審人物。そいつは、アリクイみたいな長い舌で浴槽を嘗め回している小人だった。
舌が異常なまでに長い以外は、禿頭で身長一メートルぐらいの小人と言うしかない。人間の子供にしては老けすぎている。あれは若く見積もっても四十代前半の顔つきだ。ちっこいおっさんが浴槽に張り付いて、一心不乱にレロレロしていたのだ。
「誰だ、お前」
不覚にも俺と不審者でデュオしてしまった。なんだこいつ。他人の家にもぐりこんで風呂場を嘗め回すってとんだ不審者だな。剣道の構えよろしくノズルヘッドを構える。大丈夫、あいつのメインウェポンであろう「舌でなめる」はマヒの追加効果こそあるものの、威力30の低火力技だ。受けても不快感しか残るまい。それに俺はノーマルだからそもそも効果が無いはず。効果があったら逆に悲しくなるぞ。
俺はじりじりと不審者との距離を詰める。リーチはこちらの方が長いはずだ。舌が無尽蔵に伸びるとかいうチート能力がなければな。俺は思い切ってノズルヘッドを振り上げる。
「ストップ! ストップ!」
不審者から静止を求められた。器用に浴槽の淵の上でしゃがんでいる。
「お前、よーこさんが言っていたここの住人だろ。学校はどうしたんだ」
「風邪を引いたから休んでるんだ。っていうか、よーこさんを知っているのか」
「あたぼうよ。俺はあいつに雇われて、ここで仕事をしているからな」
鼻を指でこすって、堂々と主張する。よーこさんが不審者を雇っただって。ますます意味が分からん。
「まったく、あいつきちんと説明していないのか。『妖怪もアウトソーシングするのじゃ』とか訳の分からんことを言っていたが」
ぶつくさ文句を垂れながら、舌を振り回す。アウトソーシングという現代用語が出たことで、俺はふと今朝の会話を思い出した。
出かける間際によーこさんは注釈していたではないか。「家事をアウトソーシングする妖怪がやってくる」と。
「まさか、よーこさんから家事をするように頼まれた妖怪なのか」
「あたぼうよ。俺はアカナメというんだ」
その名を聞いて合点がいった。確かに存在する。風呂場の垢を舐めるアカナメという妖怪が。どうして知っているかというと、森野が得意げに教えてくれたからだ。




