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よーこさん、看病する

 目覚めてまず視界に入ったのは天井だった。未知の天井。なんてことはなく、既知の天井である。大袈裟なことを言っても仕方ないので打ち明けると、俺は現在自室にいる。


 時刻は午前九時。とっくに授業が始まっているが、俺は未だに惰眠を貪っている。まずいことをやらかして退学になったということはないから、安心してほしい。では、どうして授業があるにも関わらず布団の中にいるのか。答えは簡単。風邪を引いて病欠したのだ。


 早山奈織について情報を得ようと、彼女のことを知る元漫画家の牟田馬論先生のもとを訪ねた。紆余曲折あったものの、早山奈織はガクドルズの花園華に似た女子高生であることが判明した。大きな手掛かりを得たものの、代償は大きかった。道中、川で溺れかけたうえ、ずぶ濡れのまま歩き回ったせいで俺は風邪を引いてしまったのである。


 道の真ん中で倒れた時はみんなに心配をかけてしまったが、ただの風邪と判明して一安心となった。とはいえ、高熱のせいで滅茶苦茶けだるい。三十九度近くの熱なんて久しぶりに出したぞ。


 ちなみに、同じく水落ちしたはずの小野塚さん、もとい輝夜と八子先生は無事だったようだ。前は輝夜と呼ぶと怒ったのに、なぜか名前呼びを許されたからな。それはともかく、八子先生は「最近病気になったことはないのだ」と豪語していた。漫画家って病気になりそうな生活をしているイメージがあるけど、彼女は異様にタフなのか。

 そして、輝夜は「お化けは死なないし、病気もなんにもない」とこれまたどや顔をしていた。お前はお化けではなく妖怪である。それに、学校や試験はあるんだな。彼女はきちんと俺と同じ学校に通っているし。


 ずっと寝ているのもいかんせん暇だ。病欠の時につい教育テレビを見てしまうというジンクスは分からんでもない。暇つぶしにストレッチマンと一緒に体操しようかと思ったが、風邪が悪化しそうなのでやめておこう。


「具合はどうじゃ、浬」

「ノックもせずに入ってこないでもらえますかね」

 いきなり部屋の入り口から顔が飛び出してきた。最近になってようやく慣れたが、心臓によくないのは確かだ。人間が壁をすり抜けてやってくるという不可思議現象を日常茶飯事だと片づけられるのは異常だと思うのだが。


「その壁抜けマジックってどうやってるんですか」

「妖術を使えばちょちょいのちょいじゃ」

「まったく参考にならない」

 ちちんぷいぷいで壁抜けできたら泥棒し放題だ。そういう世界観だと、防犯用に反射魔法を壁にかけているんだろうな。

「ちなみに、ぬしに壁抜け魔法をかけることもできるぞ」

「やってもらいたいような、もらいたくないような」

 壁をすり抜けるって変な感覚を味わいそうである。風邪が治ったら試してもらおう。


「それはそれとして、勝手に部屋に入ってくるのはいい加減やめてもらえませんかね」

「ええじゃろ。管理人だから……」

「管理人だから自分の部屋みたいなものだ、でしょ。耳にタコができるぐらい聞かされたから知ってる」

 よーこさんのセリフを横取りすると、彼女は露骨に不機嫌な顔をした。中途半端なジャイアニズムはどうにかできないものか。ため息をついていると、よーこさんはなぜだか目を丸くしている。

「なんと、耳にタコがいるのか。ヌルヌルして茹でるとうまいやつじゃろ。それは大変じゃ、うちの炎で焼き払ってくれよう」

「慣用句だ。耳にタコができる病気なんて聞いたことないぞ」

 マギー審司でも耳をでっかくすることはできても、耳を海洋生物のタコに変化させることはできないからな。耳元で「ヌルフフフフ」と囁いてきそうでうるさそうだ。


「冗談じゃ、冗談。うちとて、そのくらいは知っとる」

 カラカラと笑っていたが、本気で言っていそうで末恐ろしい。だってこいつ、壁をすり抜けられるんだぜ。おまけに炎も出せるんだ。本当に耳がタコになっても不思議ではない。今更ながら注釈しておくと、耳にタコができるのタコは海洋生物の蛸ではなく、角質化した厚い皮膚を意味する胼胝である。


 うるさいやつに構っていたせいか、熱がぶり返してきたようだ。ああ、だるい。布団の中にもぐろうとすると、香しい香りが鼻腔を突いた。

 枕元に置かれたのは梅干しがゆだ。典型的な病院食ではあるが、あまり食欲がない時に手軽に食べられるメニューはありがたい。

「朝ご飯もまだじゃったろ。うちが元気になるようにまじないを込めて作ったのじゃ」

「変なものは入れてないだろうな」

 妖術がかかっていそうで末恐ろしい。あるいは「おいしくな~れ、萌え萌えキュン」とかやっていたのだろうか。

「安心せえ。病気が治りますようにと願っておいたのじゃ。さあ、食うがええ」

 まさかの後者だと。虚を突かれながらも、俺は半身を布団から乗り出す。


 十分に冷まして一口いただく。おかゆだから味気ないかと思いきや、適度に塩分が利いている。おまけに梅干しのすっぱさも加わるものだから、口直ししようと自然に箸が進んでしまう。さすがは和食の名手というか、おかゆがこんなに美味いとは思わなかった。俺ががっついているのをよーこさんは微笑みながら眺めていた。


 あっという間に完食し、満足のまま俺は布団に戻る。食べてすぐ眠ると牛になるとか言うけど、病気の時に迷信に配慮している余裕はない。

 しばらく枕のそばで佇むよーこさん。なんか、明らかに俺の隣を狙っているような。

「ところで、ぬし。懐がさみしくないかの」

「ガクドルズのグッズを買って常に金欠だ」

「そっちの懐ではない。もう少し節約するのじゃ」

 うん、知ってた。まさか、病気の時に説教されるとは思ってもみなかった。

「そうじゃなくて、ほれ、病気は体を温めて治すのじゃろ。じゃから、もっとぬくい方がええと思うてな」

「病気が移るからやめておいた方がいいと思うぞ」

「ぬう、看破しおったか」

 露骨に舌打ちしたけど、お前の考えそうなことなどお見通しなんだよ。風邪を引いている人と添い寝するなど自殺行為なので絶対に真似しないでください。


 物惜しそうに留まっていたよーこさんだったが、おもむろに立ち上がった。

「ずっと看病しておきたいのじゃが、うちはそろそろ仕事に行かねばならぬ。浬よ、きちんと眠っておるのじゃぞ。昼ご飯は冷蔵庫に用意しておいたから、レンジでチンするのじゃ」

 それだけ断りを入れておくと、きちんと扉を開けて退出する。と、思いきや、思い出したことがあったかのように立ち止まり、人差し指を立てた。

「あと、昼間にアウトソーシングを頼んだ妖怪がやってくると思うのじゃ。うるさくなるかもしれんが、勘弁してやってくれ」

お前が一番騒がしいと思いますが。皮肉をかますより前に、よーこさんの姿は消え去っていた。

台風みたいな奴が立ち去ってほっと一息。そう行きたいところだけど、どことなくもの寂しさを覚えてしまうのはなぜだろうか。

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