牟田先生、奮起する
長距離走を走り切った後のように息を切らす牟田先生。すると、八子先生はすっくと背筋を伸ばした。
「私もそうだったのだ。漫画を連載し始めたころは『ネコパラの二番煎じ』だの「劣化牟田馬論」だの散々ののしられたのだ。人気も上がらなくて、筆を折ろうとしたことも何度もあったのだ」
骨太犬太郎はアニメが人気を博したぐらいの知識しかないので、不遇の時代があったことは初耳だった。とはいえ、案外珍しいことではないのかもしれない。むしろ、最初から絶賛しかされていない作品の方が稀である。
「そんな時に支えてくれたのが牟田先生だったのだ。正直、人気作家が余裕をかましているだけと鬱陶しく思ったこともあったのだ。でも、先生は真摯に相談に乗ってくれたのだ。私がここまでやってこられたのは牟田先生のおかげなのだ」
「八子先生」
「畏まった呼び方をするなんて牟田先生、いや、蕪村さんらしくないのだ」
「蕪村?」
「富田蕪村。俺の本名だよ」
つい口を挟んでしまったが、牟田先生は投げやりに答えた。本名そのままでも漫画家のペンネームとして通用しそうだが、名付け親に文句を言われそうなので黙っておこう。
「昔に戻ってほしいのだ、蕪村さん。また昔みたいにバカ騒ぎしながら、漫画についてあれやこれや話し合いたいのだ。それに、蕪村さんにはもっと漫画を描いてほしいのだ」
まくしたてる八子先生。どことなく赤ら顔になっている。赤の他人な関係のはずなのに、胸が締め付けられる。
「でも、俺の作品なんて、待っている人なんかいないだろ。どうせ、描いても貶されるだけ」
「私がいるのだ」
断言され、ふてくされた牟田先生は動きを止める。瞳を潤ませ、祈るように手を合わせて八子先生は畳みかける。
「どんなに酷評されようとも、私は蕪村さんの作品のファンなのだ。だから、また読ませてほしいのだ」
「八重子」
聞きなれぬ名を呼ばれ、八子先生は破顔する。なんだろう、この心地。甘酸っぱい。俺たちが同席しているはずだが、二人の世界ではなかったことにされているみたいだ。
「蕪村さん」
唐突に予想外のところから声が上がった。一斉に視線が集まるが、当人はけろりとしている。なんという鋼のメンタル。
「君は、えっと」
「天源荘の小野塚さんだ」
「小野塚さんだったか。俺の本名を呼んでどうしたんだ」
「なんとなく呼んでみたかっただけ。それよりも、先生の作品は面白いと思う。浬から漫画を借りて読んでみたけど、笑いが止まらなかった。あんなのはなかなか描けるものではない」
グッドラックと指を立てる。あまりの自由奔放ぶりに、瑞稀はどうフォローしようかあたふたしているようだった。
とはいえ、言われた当人は恫喝するどころか、胸を押さえたまま固まっている。これは、チャンスなんじゃないか。むしろ、小野塚さんに便乗すべきでは。
「俺も面白いと思います。アニメがクソだったとしても、原作漫画がクソなわけないじゃないですか。原作は神なんて作品はいっぱいありますよ」
俺が説得しているのを前に、他の三人は目を白黒させている。なので、左手を振って合図しておいた。伝わったかどうか。
「私も、面白いと思います。女の私からしてもキャラクターは可愛いと思いますし、ギャグのセンスも独特でした」
「俺も面白いと思うな。なんていうか、もえたぜ」
「お前のもえるはどっちの字を使うんだよ。ともあれ、俺も面白いと思ったな。なんていうか、単純に面白い」
森野と小泉はまともに読んでないのがバレそうなあやうい感想だった。でも、感想のクオリティはこの際関係ない。
要は、これだけ支援者がいる。その事実を牟田先生に伝えられれば十分なのだ。俺たちの意図をくみ取ってくれたのか、八子先生は姿勢を改めて牟田先生に向き直る。
「蕪村さん。みんなが先生の作品を待っているのだ。だから、また描いてほしいのだ」
しばらくうつむいて押し黙る牟田先生。心なしか肩が上下していた。目にゴミでも入ったのか、はげしく腕でこすっている。
「しばらく描いてねえから、どれくらいのものができるかは分からねえ。でも、また挑戦してみるのもいいかもしれねえな。正直、このままじゃダメだと思っていたんだ。色々と単発でバイトをしてみたが、これというものには出会えなかった。なんつーか、筆を握っていないと落ち着かなくなる。俺は腐っても漫画家なのかもしれねえな」
「そうなのだ。描かねえ牟田はただの豚なのだ」
「そいつは俺が昔、お前に言ったことだろ。スランプで悩んでいた時に、『描かねえ八子はただのアホだ』ってな」
「覚えていて、くれたのか」
堰が切れたように目に涙を浮かべる八子先生。圧倒されて後ずさる牟田先生の胸へと、彼女は勢いよくダイブした。人目をはばからず大泣きする先生。例え積年を経て醜い姿に変わったとしても、変わらないものだってある。小野塚さんが言っていた通り、話してみないと分からないことだってあるものだ。




