38.火事は怖い、と思わないか?
バッセルは、その顔を見上げた。意味が分からなかった。誰が? と思った。しかし、ここに来た時に一緒にいたのは食堂のアルしかいない。あの男が? と思ったところで、アッフェル・フォルトは言った。
「迎えに来ただろう? 鎮静者達をどけてくれって言いに」
「客を遮っている紐をどけてほしかったんですよ。だから、わざわざとなりの出張所まで顔を出したんじゃないですか」
「そうだよ。顔を出したら何をされるか知ってるか?」
「受付で受付をして、苦情を聞いてもらうんです。上手く言ったらその日のうちに、検証者が来てくれますよ。今は忙しいですから、明日になっちゃうかもしれませんけど」
「逆に、忙しいからこそ、今日中に見てくれるはずだ、と思うだろう。侵食の危機の翌日なんだから」
「でも、だから? 普通に文句を言いたかっただけですよね? あの食堂のお嬢様って言う女性の勢いがすごいから」
「バッセル。検証者が来たら、彼らは何をすると思う? この危機のさなか、わざわざ火事の場所から紐をどけてくれって訴えに来たら」
「疑わしいって意味ですか? でも、どんなに疑わしくっても、どうぜ心の中を覗かれてしまうんですから。後ろめたかったら、逆に訴えになんか来れないですよ」
「そうさ。問題があれば、覗くだけだ。そして、この忙しさなら、検証者は覗き込んですますだろう、と思わないか? わざわざ一軒一軒回ったりはできないだろうって。なのに、私は覗かなかった。紐は解けない、と言って帰ろうとしたら、必死になった。裏へ行こうと呼び込んだんだ」
「そりゃ、紐を解いてほしかったから」
と言いながらも、バッセルは思いだしていた。アルは並木道を歩きながら、バッセルに監察者は心の中を見れるのだろうと聞いてきた。覗かないと教えてやると、でも、銀の監察者なら見て分かるでしょうと、確認していた。
「なあ、バッセル。火事は怖い、と思わないか? また、いつ火の手が上がるかもしれない、そう思うと、逃げられないところに住んでいるのは怖いって思わないか?」
「でも、裏に道があって逃げれるんですから」
「家財道具を抱えて逃げれると思うかい? 閉めてあった店の人達は逃げて行ったそうだよ。火事が怖いから。焼けて財産が無くなるのが怖いから、道具を抱えて逃げているんだ」
「借金があるからですよ。そう簡単に動けない」
「そうだね。でも、新しく買いそろえた物が全部燃えてしまうかもしれないって、思ったら怖くなったりしないだろうか? 紐が外れてから戻ってくるって事はできないだろうか? だいたい、お客が来ないのに店の準備を始める気になるかい? どうしてか、すぐに紐が外せるはずだって思っていたんだ。なんでだろう?」
バッセルは考え込んだ。そして、
「危なくないって思っていたから」
「そうだよ。危なくないのに、紐を張って用心するなんてナンセンスって思っていたのさ。そして、覗かれればすぐに外してもらえるって思っていたんだ」
「でも、それじゃあ、安全だって説明すればいいだけなんじゃ?」
「どうして分かる? 私たちにも分からないのに。犯人だったら分かるだろう。でも、かれらは犯人じゃないのだろう。犯罪者だって思われるのは怖かったんだ」
「でも、覗かれたら同じでしょ?」
「たぶん、そこが違うんだ。覗けば分かる、と言う事だろう。でも、どうやって? 何がある? それが知りたい」
「じゃあ見れば良かったじゃないですか! そこまで分かっていたんなら」
「犯罪者じゃない、と分かっているのに覗くのかい? 宣誓してても、見れると思うか?」
「許可をもらえたら」
「区長に聞いて?」
そう言ってから、アッフェル・フォルトは再びバッセルに背を向けて歩きだした。いつもならもっと融通を効かせるのに、とバッセルは舌打ちしたいような気になった。でも、それが宣誓の力だった。勝手に使えないからこそ、宣誓なんだ、と思いなおした。そして、バッセルは、
「なんで、ここなんですか? ここへ呼んだって分かるんですか?」
と追いかけながら問いかける。すると、アッフェル・フォルトは、
「この入口が見えるところまで連れて来ただろう? 検証者を見て歩き出した時に青ざめていたし、なにか意味があるんじゃないか。最後に謝っていたくらいだしな」
確かに遠くに謝るような声を聞いた。
バッセルはこわごわ周囲を見回した。どこかに何か罠があるような気がしてきた。心を覗いてほしかったなら、犯人らしい事を何か言えば良いだけの事だ。なのに、そぶりも見せないで、こんなところへ呼びこんで、罠じゃなくて一体何があるんだろう? とバッセルは不安になって振り返る。出れなくなるのが怖かった。
すると、真後ろにいた、シェルフォードと目があった。まるでこちらを見透かしているように見下ろしている。監察者と言うよりも、騎士に近い。帯剣をしているせいもあるのだが、それよりも、雰囲気や立ち方が、他の監察者と違っている。目が合うと、「一人で戻るか?」と無言で問いかけられたような気がしてきた。何もかも見透かされているような目に、バッセルは思わず唾を飲み込んで、ぱっと前を向きなおし、アッフェル・フォルトを慌てて追った。
「へたくそな妖精のイメージだった」
しばらく、無言で歩いていると、アッフェル・フォルトが呟いた。延々と続く地下道に飽きたのか、ぶつぶつと呟き始める。バッセルは黙って聞いた。
「何か、どこかが変なんだ」
そう言った声は考え込む様な声だった。
「確かに書いた文章が映像になっている。空を飛んだ妖精はバセロン・オーンが書いていた。始めてあった中庭で妖精を書いていた。両方奴が書いているのに、あれほど、空を舞う本物と見まごう程の妖精を書けたくせに、中庭では獣にしか見えない、下手な妖精を書いているんだ。書き分けているんだ、と言うならその通りかもしれないが、どこかがおかしい。こっけいさを狙っていたのか? 森の獣もへんだった。あの赤い目を、妖精だ、と言ったのは、あれを見ていた警邏の男だけじゃないのか? あんなのを本物の妖精だと言う監察者達はいないだろう」
言ったあと、
「森の妖精を書いたとは、まだ断言できないんだったっけ」
と呟きなおした。アッフェル・フォルトは歩きながら水をはねた。
一瞬立ち止まって、枝別れした穴を見る。右の奥に光を飛ばすと、ぼとっと何かが落ちるのが見えた。奥深く網が張ってあるのが見えた。そこに土砂や布が詰まっていた。その布が、上へ釣りあげられたのが見えた。棒が突っ込まれて、土砂を砕く。水がどろっと流れ出た。
掃除がはじまっていた。水が流れ出すのも時間の問題のように見えた。バッセルが息を細く吸った。緊張が忍び寄る。アッフェル・フォルトも早足になった。これが罠なら完璧だ、とバッセルは思いながら、アッフェル・フォルトの先に浮かんだ地図を見た。地図の中の、茶色の灯りは、まだ地図の端っこにある。中央広場は随分先だ。
「何かがおかしい。小説を書くのが奴の力なら、なぜ、能力を差し出したのか? あの中庭で捕まれば、生涯書かないと宣誓させられたっておかしくない。小説家になりたくて、祖国を出たはずなのに、なぜ、その能力を封じさせようとしたのだろうか? それとも、ルフェンに戻れば宣誓は効かなくなるから大丈夫だと思ったのだろうか? 宣誓をした事があり、ルフェンで解けたと分かっていたのか。それとも、誰かに聞いて、ルフェンに戻ればまた書けるんだと思っていたのか。どちらだろう? まさか、もう、二度と書けなくても良い、と言う覚悟があって、やった事なのだろうか? もしもそうなら、何の為にやったのか?」
アッフェル・フォルトは奥の奥まで灯りを灯した。枝分かれする道は立ち止らずに足早に駆け抜ける。バッセルにとっては、もう、駆け足に近かった。アッフェル・フォルトはそれでも呟き続ける。
「妻を取り戻す為? 向こうで待っていれば、ルフェンに帰ってくる妻を、わざわざ書く能力を封じさせてまで、取り戻すのか? そんな必要があったのか? にしても、あれでどうやって妻を取り戻せるのだろう? あの後、侵食の危機が起こったのは彼にとってのラッキーで、全てがたまたまだったらどうする?」
と言ったところで、息を吐いて立ち止まる。首を左右に振ってから、
「銀の小箱を盗んだところで捕まっていたら、監察者の館の管轄外の罪になる。王の面子が掛って来るから、宣誓で終わらせるなんて事では終わらないはずだ。命にかかわる。なら、なんで?」
と言ったところで、後ろから、
「アッフェル・フォルト。急げよ。水音が大きい」
とシェルフォードに言われ、慌てて再び歩き始める。そして、ふと、振り返って、
「なあ、シェルフォード。国を出るほど書きたかった小説なのに、その書く力を取り上げられると分かっていて、捕まるまで待つと思うか? 侵食の危機の準備はばっちりだから、次々に人々が小説を読み始めると知っていたから、できたんだって思うんだが、おまえはどう思う? 誰も手紙に返事を書いてくれないと言うのに、誰かがちょうどいいタイミングで小説を読んでくれると、おまえなら信じられるか? 私は無理だ。絶対に、誰も読まないと言う気がするね」
「私が他人を信じると思うのか? バッセルなら信じるだろうが」
と言い返されて、アッフェル・フォルトは頷いた。
「そうだ、バッセルならきっと信じる。返事が来ないのは、身の危険があるからダメだと思うだろうが、きっとこの呼びかけに答えてくれる、と何の根拠もなく信じるだろう」
とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルが、
「信じませんよ。家族の命が掛っているなら、絶対に、そんな事はやらないし、やってはいけない事なんですから」
とここにいないかの様に言われて、むっとした声で言い返した。アッフェル・フォルトは、
「でも、もしも、もし、絶対に、読んでいる場所が見つからない場所で読めるなら? もし、こう言った地下で、読んだあと、読んでいないと思わせるイメージを掛けてくれていたら? もしかしたら、読むんじゃないのか?」
と言うと、バッセルは、その時、駆け足で息が切れ始めていたのだが、簡潔に、
「監察者に、心を覗かれるような危険はしません」
と言い切った。バッセルにとって家族は友情よりも重かったようだった。アッフェル・フォルトは大股で、ちょっとゆっくり目に歩きながら、
「まあ、心を覗かれたらすぐばれるか。ここに小説が隠されているんじゃないかって思ってたんだけどなぁ」
と残念そうな声で言った。バッセルが真面目な声で、
「それならとっくに見つかっています」
「と思うんだが、あのアルの目的が分からないから」
とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルは、きっぱりした声で、
「この排水の早さを知っていて、誘い出したんです」
と言うと、水音はさらに大きくはっきりした物になっていた。後ろから来るシェルフォードが、
「あの男に、この排水作業の早さをどうこうできる力は無いと思うぞ」
と言うと、バッセルは、
「じゃあ、何のために、ここなんですか? この地下水道が、あの家の下に続いているって証明したかったんですか? 火事になっても、ここからだって逃げられるんだとかなんとか。でも、裏口があるって言ったくらいなんですよ。逃げれるって力説しますよ。アルは店を開けたかったんだから。そして、紐を外したかったんですから。外すには、二度と火災のイメージは起こらないって証明しなければならなくて、そんな証明をするには記憶を見せるしかないって思っていたのに、見せるようなきっかけをつくれなくて。そして、それよりは、ここに人を入れた方が早いって思っていたんですよ。その理由は、ここで銀の監察者を流してしまえば、火事騒ぎどころじゃならなくなって、紐を解いてくれるかもしれないって思っていたから! だからなんじゃないんですか!」
と言った後、ごぉっと風が吹いて、三人の髪を吹きあげた。




