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37.真っ暗なはずの側溝

 真っ暗なはずの側溝は、アッフェル・フォルトの灯した灯りのお陰で隅々まで見渡せた。正確には、灯りは灯しておらず、昼間のように明るいだけでどこにも松明もなければ炎も無かった。

「なんで、火を消してしまったんですか?」

周囲は明るく、自分の足元に影まであるのに、空がなくて太陽もない。なんとなく不安になったバッセルが呟いた。すると、アッフェル・フォルトが当たり前じゃないか、と言う声で、

「手を差し出して、かざし続けなきゃならないじゃないか」

面倒くさいぞ、と言うように答えた。見上げると、アッフェル・フォルトがいる。この長身の女性が立っても、悠々と歩ける高さがある。天上が丸くくりぬかれている。底や縁は岩をほってくりぬかれているのだが、天井は煉瓦だった。大地の岩をくりぬいて作ったようだ。脇に細い段がある。本当はそこが通路らしい。屈みながらしか通れないが、水が満ちていたらこれが無ければ通れない。

「昔の王族の抜け穴だろうか」

そう言ったのは、バッセルの後ろから気配に気を配りながら歩くシェルフォードだった。アッフェル・フォルトは、滴の落ちる天上を見上げ、壁に手をやって濡れている、と指先で確認しながら、

「水にボートを浮かべて王族を載せて、松明を持った兵士に紐で引かせて走らせるのか? 走る方は大変だ」

と屈んで走る兵士を想像したのだろうか顔をしかめる。アッフェル・フォルトが手を伸ばす。肩の高さに濃い汚れと乾いた土との境があった。水が満たされている時の水位だろう。

「こんなところで遊ぶのか」

とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルははっと顔を上げた。手を伸ばすアッフェル・フォルトを見る。この人は、空間の記憶も読めのか、と驚くのだが、すぐに、アッフェル・フォルトが、

「違う、違う。汚い壁なんか読まないから。」

と言うので、バッセルは苦い顔で立ち止まってしまった。口に出していなかった。心を読むのは、犯罪者に対してだけで、部下の叱責の為だって、何か一言言ってから読む。マナー違反もいいところだった。が、アッフェル・フォルトは首を横に振っている。今の声も聞いているかのようだった。が、笑いながら、

「おまえは顔に全部でるんだ。心を覗かなくたって嫌でも分かる」

「アッフェル・フォルト様は前を歩いていたんです。顔を見ていません」

「行動が読めるんだ」

バッセルは、単純だと言いたいのだろうか? と思っていると、

「その実直さが分かりやすさになるんだよ。まっすぐだから、読みやすい。無言でいても、後ろめたそうな表情をしたり、驚いたりするのが、歩き方でも分かるんだ」

と言った。暖かい目をして見下ろしていたのだが、バッセルはそれを聞いて動きを止めた。右手を曲げて拳を作って文句を言おうと構えたまんま。口をぐっと閉じ、読まれてたまるかと思ってにらんだ。それを見て、アッフェル・フォルトがぱっと笑った。後ろにいたシェルフォードもくくっと笑う。その動きこそが分かりやすい、とバッセルも気がついた。

「いいんです。正直であれって育てられたんですから。私は」

と言って、ぷいっと横を向いた。地下水道の壁はところどろこ汚れが落ちるように削れていた。バッセルの目の上の方でも、段になったとこに小さな指の跡が見えた。縁を歩いた人が手をついていた跡だった。

「子供の手? こんな所に?」

とバッセルは呟いてから、顔を上げた。アッフェル・フォルトは、もう、前を向いて歩きだしていた。バッセルはばしゃっと水音を立ててアッフェル・フォルトを追い掛ける。だから遊び場だなんて言ったんだと思い、こんな事も気づかなかっただなんて、とバッセルは恥ずかしくなって無言になった。


バッセルが、黙々と歩いていくと、足元を鼠が駆け抜けた。びくっとして見ると、壁を駆けあがるようにして、煉瓦の割れ目に消えて行く。奥へ入るにつれて、巨大な下水道の中は、様子が変わって行った。アッフェル・フォルトの明かりのお陰で周囲が見えるのだが、びちゃっと跳ねる下水には、大雨の時に流されてきたのか、誰かが持ち込んだのか、朽ちかけた倒木がテーブル替わりのように据えられていたりした。単なる倒木じゃない。と言うのは、上にクロス変わりに板が置かれていたり、燃え尽きたローソクがこびりついたローソク台が置かれていたりしていたからだ。また、朽ちかけた椅子があったり、時には、中身のはみ出た青カビの浮いたクッションがのっかって居る時もあった。誰かが、今さっきまで坐っていたかもしれない、と思うような窪みまである。バッセルは、今にも誰かが、測穴から、やぁ、と言って顔を出すのではと、不安に思って周囲を見渡しながら歩いた。


鎮静者達が、地下の住人達を追いだした後だった。だから誰も居るはずが無い、と思うのだが。こんな場所に住みついて、いったい何を思って生きているのだろう、とバッセルは暗い気持になった。油断して、水に浮いていた盥をけ飛ばすと、中に入って居たのか、無数の虫がざっと飛び出す。バッセルは、飛びのいて逃げながら、こんな場所に暮らしたいだなんて思う気持ちは分からない、と思って身震いした。


ここにバセロン・オーンが潜んでいたのだろうか、とバッセルは思った。実は、どこかで息を潜めて、見付けてほしいと思っているんじゃないだろうか、とも思った。ずっと潜んでいたい場所じゃないから、だから、と思うのだが、それなら、鎮静者達がとっくに見付けているはずだった。ぴしゃっと落ちる水が額に掛る。足を跳ねる水が腕に掛る。匂いが分からなくなって、昼のように明るいと言うのに、少しも明るい気になれない。

「左だな、この道は」

アッフェル・フォルトの声を聞いて、バッセルがアッフェル・フォルトの前を見る。そこには、地上の街を上に重ねたような地下道の地図があった。あの革通りで見た地図の数倍も精緻なはっきりとした地図だった。今来た道に、地上に重ね合わせて場所を探していたらしい。どうして、この方向が分からない地下で、そんな地図が描けるのだろう、とバッセルが思っていると、

「太陽の位置が分かるからね」

と言って、足元の影を見せた。バッセルは、ぎょっとした顔で足元を見た。確かに、影が、徐々に左から後ろへ伸び方が変わっている。

「徐々に南に向かっていたから、だいたい、この辺に来ているはずなんだけど」

とアッフェル・フォルトは、こともなげに言う。


この暗闇の中で、松明を辞めて、昼間の太陽をイメージしたのは、地図を造る為だったのだ、とバッセルは気がついた。太陽をイメージしたからと言って、本物と全く同じように南を過る太陽を描ける人間がどのくらいいるだろう。描けたとして、歩きながら実行するのは難しく、銀の監察者だからこそできるのだろうが、思いつく事こそがすごい、とバッセルは思った。こんな人に、バセロン・オーンは喧嘩を吹っ掛けるだなんて馬鹿げている、と思った。そして、ふと、どこに向かっているのだろう、と地図を眺めた。茶色の点が明滅している。これは自分達の位置じゃないだろうか? と思いつつ、見ていると、

「中央広場の裏の方に向かっているんですね」

と呟いた。アッフェル・フォルトが、

「そうだ。歌姫の幽閉されていたところだ」

「コーザス卿のお屋敷、ですよね。でも、どうしてですか? もういないんですよね、歌姫は、そこには」

「でも、行けるんだ。水を止めた地下水道をくぐって行くと」

と言って、地図にするっと線を描いた。青い線で、東の街壁の端から、中央へ、今来た下水道を道のように見せて。地下道は、中央広場の下まで行ける。

「出来過ぎた道だろう?」

とアッフェル・フォルトが笑って言うと、

「それなら、上を行きましょうよ。地上の方がはるかに早く着くはずですよ」

「それだと、見落としがあるかもしれない」

「無いですよ。あったら、とっくに、鎮静者のみなさんが見付けていますよ。どうせ、みなさんが通った場所なんですから」

と言うと、アッフェル・フォルトは頷いて、

「なのに、誘いに来た。そのわけを知りたい」

と言うと、地図を明るく光らせて、先の道を照らしだした。


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