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39.目の前には淡い光が輝いていた

「酷い匂いだ」

とアッフェル・フォルトが呟くと、バッセルは鼻を歪ませて腕で押さえた。どこかの排水溝の入口のゴミがどかされ風が通ったようだった。三人は駆け出した。バッセルに合わせてゆっくり走っていたらしい。バッセルはしゃべる余裕もなくなって、ただアッフェル・フォルトの背中を見つめて駆け続けた。そして、その背に、ぼそっと、

「でも、そんな人には見えなかったんです」

と呟いた。あの食堂のアルが、そんなアッフェル・フォルト達を殺してまで何かしようと言う人間には見えなかったのだ。アッフェル・フォルトがそれを聞いて立ち止まった、とバッセルは思った。顔からアッフェル・フォルトの背中にぶつかる。

「すいません」

と慌てて言って見上げると、アッフェル・フォルトは前を見ながら呟いた。

「当たってるぞ。バッセル」

と言われ、バッセルは思わず正面を見た。下水が唸りながら襲ってくるのかと思ったのだ。が、目の前には淡い光が輝いていた。気が付くと明るい笑い声が聞こえてきて、

「そっちそっち。ほら、すくいあげて! その桶は使えるわ!」

と言う少女の声を聞いた。


見ると、淡い蝋燭の光の中で、子供が五人遊んでいた。そこは地下水道の中だった。煉瓦の壁に張り付くように水に長い棒を突っ込んでいる少年がいた。その脇で、指をさして流れて行く桶を拾ってと声を上げる少女がいた。どこかで見た少年と少女だった。黒い髪の少年は、真剣な眼で棒を持ち桶を狙う。あの食堂のアルに似ていた。少年の袖を握って指差す少女は、栗色の毛のはっきりした目鼻立ちの少女で、あの食堂のお嬢さんに似ていた。そして、二人と離れて立つ少年に、少女が言った。

「バイン! 棒で波を作るの!」

と声を上げる。バインと呼ばれた少年は棒を手に、ばしゃばしゃっと水を跳ねあげる。ひょろりと背の伸びたそばかすの浮いた少年で、ばしゃばしゃしながら、

「左へやるよ、左に!」

と言い返した。


 バッセルは、淡い光に浮かぶ子供達を見て、誰に聞くともなく呟いた。

「これはなんでしょう?」

「イメージだよ」

「誰の?」

「あのアルの」

「これを見せる為に、地下へ誘ったんですか?」

とバッセルが聞くと、まるで、その声が聞こえていたかのように、イメージの少女が、

「オーン! ねえ、流れる波を書いてよ! 桶をこっちにやってって!」

と叫ぶと、オーンと呼ばれた少年が浮かび上がった。

 床に腹ばいになって、広げた布に消し炭で文字を書きつけていた。下水の上に板があって、小さな床になっていた。入口近くで見た、古ぼけた流木や板だった。今は、壊れたドアに折れた柱を引っ張りこんで作った水の上の床だと分かる。床の上には、蝋燭台があって、その脇で、オーンと呼ばれた少年が一心不乱に文字を書き続けていた。青白い顔の少年は一重の灰色の目を輝かせながら、何度も為眇めすして読み返しながら書いている。その脇にクッションを膝に抱えてしゃがみこんでいる少女がいた。見たことのない少女だったが、きっとこの子が歌姫だ、とバッセルは眺めながら考えた。バセロン・オーンとその幼馴染がそこにいた。

五人は声を上げ、笑い、はしゃいでいる。バセロン・オーンとその脇の少女は、ほつれた裾や破れかけた肘が目立つ服を着ていた。下水を跳ねあげていた三人は汚れているが頑丈の布地でできた身体にあった服を着ていた。

「ねぇ、オーン、聞いてる?!」

と再び、桶を狙っていた少女が声を上げると、

「無理だって。見るだけで、触れないし動かせないんだから」

とオーン、と呼ばれた少年が、蝋燭の光の中で布を覗き込みながら答えた。そして、

「ほら、できた!」

と言うと身体を起こした胡坐をかいて坐りなおした。横の少女が顔をよせ布を覗いた途端に、

「おさげ髪の少女がこの不思議な手紙を読み始めると、暖かな香りが漂い始め、大皿一杯の豆の料理が現れました」

と言って宙を眺めた。全員が、じっと同じように宙を眺めた。でも、何も現れなかった。読んだ少女は、すぐに剥れたような顔になり、

「やっぱり何にも出て来ない。オーン。バインも入れてよ。わたし、豆料理が見たい!」

と言うと、

「どうせ食べれないのに」

と言いながら、消し炭を手に、布の上に書き足した。と、脇から覗き込んでいた少女はそれを見て、声高に、

「バインが水を棒で波立たせています。その時、おさげ髪の少女がこの不思議な手紙を読み始めると、暖かな香りが漂い始め、大皿一杯の豆の料理が現れました」

と読んだ。すると、読んだおさげの少女がくすくす笑いながら、両手を伸ばした。五人でじっと手を睨む。すると、その手の先に、本当に湯気の上がった大皿が現れたのだった。少女はさらに、

「不思議な事に、豆の料理はとってもとっても無くなりません。少女は手にしたスプーンでみんなと一緒に頬張りだして」

「お腹が減っちゃうよ。何か、もっと謎解きみたいな話を書いてよ!」

とのっぽのバインと呼ばれた少年の声が響いたかと思うと、ついさっきまで棒で水を跳ねあげていたアルに似た黒髪の少年も、

「いいよ、これ。なんか、ピクニックみたいだよ。これ、ピクニックだろう? そうだろ、オーン!」

と言いながら、棒を手に、板の床に載って来た。バイン少年はそれを羨ましそうに眺めながら、ばしゃばしゃと棒で水をはじき続ける。

「ねぇ、オーン、まだ駄目? もっとする?」

「いいよ。たぶん」

「えぇ、たぶんって、何よ」

「消えたらまた書けばいいよ。布はまだまだあるんだから」

とすぐ横の少女を眺めながら言って、

「バイン、おいでよ」

と声を掛けた。


 アッフェル・フォルトはじっと映像を見つめながら低い声で、

「能力がある者が、登場人物になっていないと、物語は映像にならない」

と呟いた。それから、

「この映像も、誰かがこれを読んだからこそ、ここにでてきたんだ。この地下水道で、監察者が子供達を探しに来ると、この映像が浮かび出したのです、と言った話をどこかで読んでいるんだ」

と言って、ぶるっと震えた。バッセルは、はっと顔を上げて、

「今、アルは、これを読んでいるのでしょうか? これを読んでいるところを見られたくなかったから、だから、ここへ来させたのでしょうか?」


子供達の声が響いている。

「これが食べれたらいいのにねぇ」

と言ったのは、壁から飛ぶようにして板の床に上がった目じりのはっきりした少女だった。読み上げていたおさげ髪の少女が、

「良い匂い! 食べたって思えるほど、良い匂い!」

と言ってはしゃぐ。

「アイファ、続きを読んでよ」

と黒髪の少年も、オーンの脇に、蝋燭の周りにしゃがみこみながら言った。

少女はさらに読み続ける。次から次に出てくる料理に、見ている子達は声を上げる。辺りは、草原に変わり、眩しい光の差す木陰になって、広げた白シーツの上に寝転び出した。本当に、ピクニックだった。


「子供達の遊び場だったんですね」

とバッセルが見ながら呟いた。こうやって隠れて、でも、誰よりも豊かな世界で遊んでいたんだ。そう思うと胸が突かれた。

大げさに手を広げて、バケットに手を伸ばす、おさげの少女の袖はほつれて、手はあかぎれだらけだった。胡坐をかいて、膝に手を置いて上半身を前に傾けながら、少女をじっと見つめる灰色の目の少年は、少女が笑うと眩しそうな顔をした。


 その時、響くような音がした。映像の一部かとバッセルは思った。しかし、アッフェル・フォルトの、

「お、来たか」

と言う声に、本物の水音だ、と気が付いた。そして、さらに、アッフェル・フォルトは、

「検証者さえいなければ、あそこに火災は起こらない、と言いたかったんだ。そして、きっかけがなければ、二度と火災のイメージは起きないのだと。子供のころとは言え、映像で遊んでいたとは言えなかったんだろう。自分が捕まるのを恐れていたのか、お嬢さんが捕まるのを恐れていたのか。仲間思いだからか」

と呟いた。バッセルが顔を上げると、アッフェル・フォルトは明るい光の靄の中を突っ切っていた。バッセルは慌てて後を追い掛けた。シェルフォードは無言だったが、やはり後を追って来た。

バッセルが立ち止まって振り向くと、同じ場所で、淡い光の中で子供達が遊び続けていた。

「水が来た」

シェルフォードの冷静な呟きに、バッセルは飛びあがるようにして駆け出した。肌を震わすような音が響いていた。なんでこれに気づかなかったんだろう、と思うほど地下水道に音が響いていた。

「水が流れ出した」

とアッフェル・フォルトが言って、本気で走り出した。シェルフォードがゆったりと後ろを見ながら、同じように再び速度を上げ始めて、

「仕事が早いな」

と呟いた。側溝掃除のことだった。


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