26.空を見上げて読み上げた
バセロン・オーンはそこから、裏通りへ入り、あの中庭の知人宅を訪れる。厭味を言われて平身低頭し、ほんのしばらくだからと頼みこんで部屋を借りる。そして、ひたすら物語を書き、書き終わったところで中庭に出て、空を見上げて読み上げた。
空に妖精が飛ぶのをぼんやりと見て過ごし、再び中庭で物語を書いて、アッフェル・フォルトに捕まった。国に戻って来てからは、書いて読んで、空を見上げただけだったのだ。
アッフェル・フォルトが顔を上げるとシェルフォードも顔を上げた。バッセルとシェルフォードと、二人とも同じ物を見ていた。が、実は区長も脇に来ていて、目をまん丸くして宙を見ていた。ユルレシカも呆れた顔で宙を見て、映像が消えたせいで、顔を上げ、
「何でもかんでも人に見せるな。特に、出入国の門は、禁忌の門よ。どんな門か知っているといっただけで、不正をたくらんでいると疑われるほどの場所だわ」
と叱るように言った。区長は顔色を変えた。見ていない、と言うつもりなのか顔を左右に振って手も振って必死に否定したのだが、
「誰にも言わないならいいんじゃないか?」
とアッフェル・フォルトがのどかに言うと、区長は顔を激しく上下に振った。アッフェル・フォルトはそれよりも、と言うように息を吐くと、
「今ので、何か分かった人は手を上げてぇ~」
とふざけて言った。誰も手を上げなかった。
ただ、シェルフォードはいつもの落ち着いて声で、
「妻が歌い手になる前はどうやって暮らしていたんだ?」
と聞くと、アッフェル・フォルトは即答した。
「小説家」
「腐るほど書いていた、と言うことか。売れていたのか?」
「さっぱり。生活は請負記事だな。多くがでっちあげ記事で、やけになって、飲みつぶれている事の方が多かったようだ。小説は出版社に送るたびに、ちりちりして、嫌な思いをしていたようだ」
「しかし、作品はあったんだ。その時の小説をここで読んで、危機を作った」
「一度に、四十話を読める人間がいれば、できるだろう」
とアッフェル・フォルトが皮肉交じりに言った。シェルフォードが、
「しかし、仲間がいれば」
「四十話近い話を持って帰って来たように見えたか?」
とアッフェル・フォルトが聞く。荷物は抱えられる程の荷袋一つだった。
「荷に詰め込む様子も無かった」
とアッフェル・フォルトが続けた。
二人はそこで黙り込んだ。幾らでも書けるが、ここに作品はない。王都に来てからは妖精の話しか書いていない。と、そこに、バッセルの声が割りこんだ。
「変ですよね。別にわざわざここに来なくても、ここの景色くらい書けたんじゃないんですか?」
「本物を見てじゃないと書けない小説家だったのかもしれない」
「でも、ここ出身じゃないですか」
「そうだ、ここ出身だな」
バッセルは、自分の考えをさらに話す。
「なのに、ここに来ないと書けないって思ったんでしょうか? だから、あんなに何通も入国許可書を取ろうと手紙を書き続けたのでしょうか? あの手紙は、友人達への手紙もありましたよね。妻の為に、貴君の幼馴染でもある彼女の為に、戻れるようにしてほしいって、何通も書いていましたよね」
そう言ってから、
「宛先不明で戻って来たものも多かったみたいですけど。あの中に有力者がいて、歌姫は戻せないけど、売れない小説家なら戻せるって言って書いてきたんじゃないでしょうか?」
「自分じゃなくて、妻を国に返したかった、と言うことか?」
アッフェル・フォルトが聞くと、
「そうですよ。だから、この国に帰って来て、侵食の危機をおこしたんですよ。もし、妻を国に戻してくれないんだったら、もっと酷い事になるぞ、と脅しているのかもしれません」
「そんなことで本当に戻れると思っていると思うか?」
「思いそうなほど、思いつめていたじゃないですか! あんなに必死になっていたら、藁にもすがる思いになって、どんな事でもするんじゃないですか?」
と言った。
「確かに、何でもしそうには見えた」
とシェルフォードも言った。そして、さらに、
「あの出入国の門は嘘が通らない門だ。公家の許しを持って王が許可を与えた、とか、正確に誰がどう許可を与えたのかがカギになる。王の情けを持って、と言う許可なら、情けを受ける事情がある。だから、妻のために国の景色を描きたいと言う意味で通れたのかもしれない」
「許可が無いと通れない門だから、妻の為に、脅しを始めたと言うことか。妻を国に帰したくて?」
とアッフェル・フォルトが聞くと、
「ああ。妻の許可書を取ろうとして」
「で、書く能力を封じられてしまうのか? 来てすぐ。妖精の文章を書いて? 歌姫の誘拐はどうなる? 別件か?」
とアッフェル・フォルトがさらに言うと、シェルフォードは間逆の事を言い始めた。
「妻が誘拐されたなら、国から許可が出るだろう。王が歌姫の事を知り、ルフェンの大使の苦情を真に受け、身内の悪事を発見した。そこで夫に許可を出したら? 王は、大使を煙に巻く為に我らに依頼し、歌姫の、つまりは奴の妻を探させている。と言うか、開放させようとしているんだ」
「で、侵食の危機は、妻が誘拐された腹いせか? その夫が怒っている、と言う解釈になるのか? この国に帰したかったんじゃないのか? 喜んでいるんじゃないのか」
と言うアッフェル・フォルトの突っ込みに、バッセルが、
「誘拐されて喜ぶ人間はいません。どこへ連れていかれようと、助けたいと思っているんじゃないのでしょうか!」
と言ってから、三人とも黙り込んだ。バッセルは、遠慮がちに、
「もし、追いかけて来たのなら、だからこそ小説を書いたんです。あれを書いて、妖精が空を舞ったじゃないですか。あれを見たら、歌姫は夫が国に帰っているってわかるんじゃないんでしょうか。どこに居ようと王都に居れば見れるんですから。バセロン・オーンは、自分がここにいるって、この国に戻って来ているって、歌姫に伝えたかったんじゃないですか? 助けるぞって伝えたかったんですよ」
「で、侵食の危機を起こすのか?」
「ええ。もう、自分の事を歌姫に知らせる方法が無くなってしまったせいで。だから、恨んで、危機を起こして回ったんです」
「それで、午後のほんの数時間の内に、逃げ隠れしながら、街中に危機を起こす仕掛けをして回ったと言うのか?」
バッセルが再び口を閉じると、アッフェル・フォルトは、
「もしかしたら、歌姫は、まだ向こうにいるのかもしれない。と言うよりも、向こうにいるからこそ、映像を生むほどの文章を書いて持って帰ろうとしたのだろう?」
とバッセルに聞いた。バッセルは、アッフェル・フォルトを見上げるが、良い考えが思いつかないのか口を閉じたままだった。アッフェル・フォルトは、さらに静かに言葉を継いだ。
「あの映像では、歌姫がルフェンで病に伏せって起きられない、と言うだけだった。実際は、どこにいるのか分からない」
バッセルは黙ってアッフェル・フォルトの顔を見続けている。アッフェル・フォルトは淡々と話続けた。
「バセロン・オーンは、申請書を書き始めてからは、あの部屋には近寄らなくなる。妻の顔を見てもいないし、声を掛けることもしない。あれ以降の記憶はあいまいで、酒に溺れ続けている。バーで酔っぱらうバセロン・オーンに立ち寄って声をかける仲間や知人しか視界に入らない程で、助けを求めているのは分かるが、実際は、ろれつは回らず、何を言っているのか親しい知人でなければ分からないほど酔い続け、唐突に荷造りをはじめている。見ただろう? 全ての会話は、知人には分かるが、覗き見している我らには分からない。まるで、記憶を見られても平気なように細工しているかのようだ」
バッセルは目を大きく見開いてアッフェル・フォルトを見上げ続けた。アッフェル・フォルトはふんっと鼻で息をして、
「そうだ。あの記憶を見ただけでは、絶望している男にしか見えない。気の毒な男だ。その男が国に入り、妖精を飛ばし、光の柱を落したかと思うと、監察者から逃げおおせ、侵食の危機を作って見せる。単に絶望しているだけの男だと思うか? なぜ、こんな事をしているのか、いつ計画を立てたのかを、入国までの数週間の中で、欠片も見せない。まるで、覗かれるのを覚悟していたとしか思えない。捕まるを分かっていて妖精を飛ばしたと思うか? 私はそうは思えない。実際には、奴は捕まっていないんだ。逃げ出せると分かっていて妖精を飛ばしたようにしか見えない。枷を掛けられる為に覗かれるのを覚悟して、妖精を飛ばしたとしか思えない。しかし、いったい何のために? いったい何を望んでいるんだ? ルフェンで寝込んでいる妻を国に帰したいだけか? それとも、誘拐されて祖国に連れ戻された妻を取り返したいだけか? それとも、もっと別の望みがあるのか? 国に対する恨みはどうだ? あれほどの申請書を書いても妻の許可書を出さなかった国への恨みがあってもおかしくない。それとも、単に小説の力を試したかっただけか? 向こうで売れなかったからこの国で見せつけたかっただけか?」
「あの映像の中のバセロン・オーンの気持が、全部嘘かも知れない、と言うことですか」
とバッセルが呟いた。
「ほとんどが本物さ」
とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルが驚いたように顔を上げた。
「じゃなきゃ、私をだませない」
なのに、バセロン・オーンはだましおおせたのだ、と気づいてバッセルは背中の産毛が逆立った。計画的な犯罪者が目的も分からずうろついている。バッセルが、ぽつりと、
「歌姫は生きているのでしょうか?」
と聞いた。だから、あの扉を開かなかったんじゃないでしょうか。だから恨んで、侵食の危機を起こしたんじゃないでしょうか。と続けようとして飲みこんだ。




