16.協力しに来た
老師とウウローカは、生垣の脇で、そんな三人を見送った。竹林に吸い込まれるように姿が消えると、老師がぽつりと、
「長の会に参るかの」
とつぶやいた。ウウローカは存外しっかりとした声で、
「みなさま、カリカリと怒っておられるかもしれません」
と言いながら、立ち上がる。クッションを手にすると、
「遅刻はいつもの事ですが。危機にも、となるとさすがに言い訳が」
と呟くと、老師が笑って、
「おまえの傷さまさまだ。言い訳なんぞ無くても、誰も文句は言わぬじゃろ」
と人が悪い声で言い、
「とくれば、やはり一緒に来てもらうかの」
「もちろんです」
とウウローカが答え、クッションも毛布も、あっという間に小脇に抱えて、本当に怪我をしているのだろうか、と思うくらいしっかりと背を伸ばしたのだった。それが、老師付きの監察者となる人間の矜持だった。
「もそっと痛そうにしてくれなくては。わしは小言は好かぬのじゃ」
と老師が勝手な事を言っていたのだが、ウウローカは穏やかな笑みで、聞こえなかったかのような顔をした。
アッフェル・フォルトは、竹林を抜けて、回廊が見えてくると、足がさらに早くなった。周囲を見回し、竹林ばかりで、畑も生垣も館も老師達も見えなくなると、風に声が乗ったとしても届かない、と思うほど距離が出て来たところで、
「昼の男だ」
と言った。シェルフォードが、すかさず、
「手がそっくりだ。同じだな」
と答えた。そして、
「街の外へ出ていたはずだ。なのに、中に戻って来ている」
「しかも、侵食の危機にあわせたかのように戻って来た」
と言いあった。二人は黙る。回廊は、見習いも誰も通らない、静かな小道になっていた。三人は、駆けるように大股で抜けていく。
「侵食の笛は誰が吹いたか」
とアッフェル・フォルトが低く言うと、
「検証者のはず」
とシェルフォード言い返す。バッセルは、検証者以外に笛は吹けないはず、と思って二人を見上げた。息一つ乱していないアッフェル・フォルトが、
「銀の小箱を盗りに入った。危機の前に侵入して、危機にあわせて館に飛びこむ。光が出せるなら、音だって出せると思わないか」
「忍び込めたんだ。侵食の危機の笛が鳴らなくたって、盗めた。いるのは老人だけなんだからな」
「盗めたって、逃げきれない。便乗したから逃げられた」
「おまえの枷が掛っているんだ。できないはず」
「枷があっても、光は出せた」
アッフェル・フォルトが言い返すと、シェルフォードは視線を外した。回廊は終わろうとしていた。植え込みの向こうに表門の屋根が見える。
「笛を奪って吹いたって言うのはありじゃないか」
とシェルフォードが低く言うと、アッフェル・フォルトが、
「そっちの方が、ありえないよ」
と呆れたように言い返し、さらに、
「それなら、そろそろ、誤報だったと、誰かが駆けまわって来る頃だ」
と鼻で笑って言い足した。
回廊の向こうに明かりが見えた。表門の両脇に松明が掲げられ、遠くの街が暗く見える。両側に立つ門番は街に目を向け、両脇を駆けて走り出る鎮静者達は物々しい。
「バッセル。おまえは、門番の下へ行け」
アッフェル・フォルトが立ち止まると言った。
さらに、
「レフォルと言う門番に、アッフェル・フォルトに街の様子を聞いて来いと言われたと言って、聞いてくれ。侵食の危機の笛はどこから出たか、街の外は大丈夫だろうかと言って、探れるだけ探って来い。この危機は、正常化の為に出張るだけじゃ、何も分からず終わってしまうかもしれないぞ。監察者にまで仕事が回ってくるのを待っていられない。鎮静者の仕事を調べろ。ついでに、と言う顔で、街の外にいる男は捕まったのかも確かめろ」
「バセロン・オーンは街の外へ走り出ていたはずなんだ。中に戻って来たのはいつか、分かっていたら確かめろ。そして、門から出て行った者はいないか、使いか何かいつもと違う人間が通っていないかも確かめるんだ。相手を刺激するなよ? 門番の仕事をしていないって思わせるなよ。出待ちの監察者の為の準備をしているとでも思わせておけ。厄介事は避けて通れ。で、シェルフォード」
と言って向きを変える。
「侵食の危機の方を確かめてほしい。本物なら、この館にも影響があるはずだ。が、何も無い。偽の笛だと見まごう程だ」
とアッフェル・フォルトが言って、ちらりと空を見ながら、回廊を抜け、門前の半円形広場に出る。
アッフェル・フォルトは夜空を見たまま、立ち止っていた。シェルフォードも同じように空を見て、バッセルも空を見た。地上の空気に薄い夜の膜が掛っているのが見えた。
眠っている子供が夢を見ているような膜の掛り方だった。侵食の危機の、濃く重い膜は無い。目を凝らさなくても、はっきりと見えるはずの膜がない。風が流れるように頬を撫で、夜空を薄い雲が流れる。
「私は、歩いて、濃度を探そう」
シェルフォードが短く答えた。バッセルが驚いて顔を上げた。街を覆うのが侵食の危機だ。王都は広い、全てを回れば、一日では終わらない。ぎょっとしたバッセルに、シェルフォードが丁寧に教えた。
「全部を見て回るわけじゃない。早足の者が、伝送者代わりに動く。誤報予防にかけずり回っているはずだ。その動きで、監察者の館が把握している、侵食の範囲が分かる。彼らを抑えれば、濃度があるなら、濃度の濃い場所も分かるだろう。危険な場所ほど、連絡を密に取るから、早足の者が自然と多くなっていく」
最後の部分は、そこはそこで、やっかいなんだがと言うようにつぶやいた。アッフェル・フォルトは俄かににやにや笑いだした。
「うるさいぞぉ。早足の奴らは意気揚々だろうからな。体力に自信があって、腕っ節が買われて、視る目も確かなのに、いつも遠方への伝達で、聴き耳の者と伝送者達に牛耳られているからな」
そう言ってから、ぱっと表情を冷静なものに切り替えて、
「私は、オレンジの肩掛けの司令所へ行って来る。もっとも早く情報が行くようで、多分あそこが一番最後になるだろうが、これからどうするつもりなのかは、あそこに居なきゃ分からない。嫌な顔をするだろうが、部下に指示を出す間、あそこでぶらついていれば、方針くらいは分かるだろう。それを聞いて合流しよう」
そして、三人は、門の前で、ばらばらに分かれた。
アッフェル・フォルトは、門の広場から塀沿いの赤土の道を歩いた。
途中、森の奥へと曲がり、低く垂れた枝を避けながら奥へ進む。土が広がり、巨木が目立つ古い森に入る。木々の向こうに、月明かりに照らされた、古びたレンガの建物が見えた。
初期。監察者の館ができる前に、初代の監察者が住んでいた家だった。森に散っている、木と漆喰でできたアッフェル・フォルト達の屋敷とは随分違う。千年も昔に、森の境の寂しい場所で、レンガの館に住みながら、妖精の起こす危機を鎮める為に戦った男が住んでいた家だった。
戦いの起点。その意思の表れか、代々、イメージの騒動に一番に駆けつけて行く、鎮静者達の司令所として使われていた。
森を抜けて、赤土の広がる広場に出る。腰丈に石を積み上げただけの塀が建物をぐるりと囲っていた。
塀の中には、建物の窓の下や玄関近くに、警戒や連絡のために集まっている男達がいた。オレンジ色の肩掛けを無造作に背中や前に、思い思いに垂らして、灰色の長衣を払って腕を組む。一筋縄では行かない男達が、中から指示が出るのを待っている。
見上げると、小さな尖塔がある。二階、三階は暗く、人気が無いのだが、一階の高い所に窓があった。煌々と明かりがもれる。また、一階にはアーチ型の片開きの扉が見え、隙間から明るい光が漏れていた。
アッフェル・フォルトが森から姿を現すと、塀の脇に立つ夜警の男が睨んでいた。森を抜ける前に気づいていたらしい。また、同じように、周囲にたむろっていた男達も気づいていたようで、アッフェル・フォルトが近づくと徐々に、声が低くなり、沈黙へと変わっていった。
夜警の脇から、厳つい顔の男が、構えだけの門から出て、立ちはだかるようにして声をかけた。
「銀の帯のお方が何故このような時においででしょうか?」
喧嘩腰のような険しい声だった。
「このような時だから、お出でになるのさ」
とアッフェル・フォルトが面倒くさそうに呟いて、周囲の顔をぐるりと見渡しながら、
「侵食の危機について話に参った。銀の帯の者としての責務を果たす」
と声を張って言うと、目の前に立ちはだかった男がぐっと顎を引き、せせら笑うように言った。
「まだ、場所も原因も特定できていないんでさ。出番はもうちょい、まって頂きたいんですがね」
おじょうちゃん、と最後に付けたしたいような言い方だった。粗仕事の最中に出てくるな、と男の声は言っていた。
その男に、
「アッフェル・フォルトの訪問を、中のオレンジの帯にお伝え願いたい。紫の肩掛けのお方が居られるのなら、そちらへも伝えていただければ幸いである」
と真正面から眉一つ動かさずに言うと、男は動揺したようだった。脇から別の男がぼそっと、
「紫のはいねぇよ。さっき、街へ防御の者を連れて出ていっちまったんで」
と言う。
紫の職位はオレンジの上だった。管理職と言う名目だが、事務方だ。実戦部隊と一緒に率先して出るような者たちではないはずで、主に今回のような大掛かりな被害の場合に、記録を取って、後に、王宮や都の区長へ連絡や被害の修復のために動くのが仕事だった。
記録することはあっても、まだ、彼らが外へ出る番じゃないはずなのだが、アッフェル・フォルトは怪訝な顔で、
「なぜ、紫が防御に? 行かれたのは誰だ? どこへ行った?」
と聞くと、男が言いにくそうに、
「ユルレシカ殿でさ。外壁が崩れると再度の修復に経費がかさみすぎるから、と言うことで…」
「ユルレシカ…殿」
とかろうじて敬称を付け、
「あの女は、こんな時に金勘定で、貴重な鎮静者を使ったのか」
と吐きだすように言った。しかし、ユルレシカが出て行くほどの、危機がある、と俄かに嫌な感じになった。ふと、
「笛を吹いたのはここからか?」
と聞くと、彼らは後ろを見た。塔のような司令所を見上げる。その目から、そこから笛の音が響いたのだと、アッフェル・フォルトにもすぐに分かった。
と、低いきしみ音がして、建物の扉が開いた。彼らがはっとして振り返る。扉は、中の光がまぶしくて、一瞬空の星がかすむ。
「誰かと思えば、銀の帯か」
イラついたような声で、光の中に立つ背の高い男が言った。バイラム・フォッドと言う名の男で、オレンジの肩掛けが汗じみてえんじ色に見えるほど、肩掛けと一体になっているような男だった。
鎮静者なら顔にフードを被って動くはずなのに、不思議とよく日に焼けている。ごつごつした顔に、鋭い濃紺の目がいらいらしたようにアッフェル・フォルトを見た。
「何の用だ」
「協力しに来た」
「おまえがか?」




