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17.これこそ、侵食の危機ってもんだ

全く信じていない顔で聞かれたのだが、アッフェル・フォルトは大人しく頷いた。常に、面倒くさそうに動き、好きな時に、気まぐれな力を使う、と言うのがアッフェル・フォルトへの一般の評価だった。


だからこそ、従者のバッセルが必要になり、老師が毎回目くじらを立てているのだが。アッフェル・フォルトは、自分の評判を良く知っていたのだが、気にしたそぶりは微塵もなかった。


それよりも、良い事をしているだろう、と言いたげな顔で、にやっと笑った。すると、バイラム・フォッドが脱力したように笑う。


「全く、今日はなんて日だ。紫が俺の部下を連れて街へ繰り出したかと思えば、今度は銀が協力すると言って出向いてくれた。ありえない。これこそ、侵食の危機ってもんだ」

と言って、疲れたような顔をした。しかし、すぐに、分厚い手で、顔をつるりと汗ごと撫でると、

「入ってくれ。おい、おまえら、これからも無関係なやろうは誰も近づけさせるんじゃねぇぞ!」

と言う。こんな所に無関係な人間が来るはずもないのだが、男達は「おう」と声を上げた。


アッフェル・フォルトは、彼らの横を通って中へ入る。後ろで、バイラム・フォッドの命令を受ける男達がいたのだが、振り向かずに中を見る。中から笛が吹かれていた、と思うと、気になった。危機の場所から鳴る物なのに、なぜ、この部署から、と。


中は熱気でむんっとしていた。天上からぶら下がったランプに、ちらちら揺れる暖炉の明かり、石の床は中央がくびれ、壁の煉瓦はむき出しで、奥に木の手すりのある階段が見えた。狭い部屋だ。


殺風景な部屋の中央に、大きな楕円のテーブルが据えられ、その上に、街の立体地図が鮮明に浮かび上がっていた。老師の造る地図ほどではなかったが、見事なものだ。


テーブルの前には無表情に立体地図を見続ける若い男が座っていた。灰色のマントにオレンジ色の肩掛けをひっかけるように後ろに垂らす。中はくすんだ黄色の帯で、バイラム・フォッドの部下の一人だろう。ピクリとも動かない姿は、その若者が映像を造り続けているのだと言うのが分かる。


そして、映像の中がピクリと動く。見ると、小さな建物の扉が開き、灰色のマントの小さな縮尺の男達が駆けだして行くのが見えた。

「聴き耳の者を使っているのか」

アッフェル・フォルトがやはり、と言うように呟いた。呟きには、なぜ、と言う意味もあった。


座り続ける若者の後ろに、その両肩を掴みながら、背の高い頬のこけた男が立っていた。ランプの方の宙を見ながら、口の中で何かをぶつぶつ呟いている。男が目を閉じると、テーブルの像がピクリと変わる。立ちつくす男が、街中の情報を受信して、映像を造り続ける若者に、情報を送っていた。


アッフェル・フォルトは、テーブルの周りを見た。オレンジの肩掛けの男達がいた。暖炉のそばで、突っ立って小声で話しあっている者もいれば、階段の下で地図を睨むように見ている男達も居た。


各班のリーダー達で、その中に、高位を示す、白い帯の者がいた。バイラム・フォッド以外にも、白い帯の者がいた。と言っても、バイラム・フォッドの白帯は、灰色にみえるほど汚れてくたびれていたのだが。目の前にいた男の帯は、光沢があるほど手入れの行き届いた物だった。


男は、細い面の、病的に青白い顔の男で、ドトレームと言う名だった。そのドトレームが、地図を見下ろしながら、

「第三班の様子も出してくれ」

と低く言う。彼の班だ。


 すると、映像が霧の中に崩れ、森の近くの街外れの映像に切り替わった。街と森の境で、低い煉瓦塀が伸びている。ところどころ崩れていて、その煉瓦の向こうに、黒く闇のような森が見えた。奥から獣のような声がした。「音も再現できるのか」とアッフェル・フォルトは小声で感心したような声を出すと、

「能力者はあなただけではありません」

とドトレームが冷たい声で言った。


映像の森は、闇ばかりだ。ときどき中から赤い眼が光るだけで、本体は見えない。アッフェル・フォルトが、なんとも言えない顔で、

「これが、侵食の危機なのか?」

と呟いた。その声に、この程度、と言う雰囲気が含まれていて、テーブルを囲む全ての視線が跳ね上がった。テーブルの映像がわずかに歪んだかと思うと霧消し、

「バイン! 絵を出せ!」

と言う怒声を受けて、再び地図が蘇る。外から戻ったバイラム・フォッドだった。


バイラム・フォッドは、近くの椅子を音を立てて引いて、テーブルの前で背を丸めるようにして腕を組んで座りこんだ。立ったままのアッフェル・フォルトを目だけで見上げ、

「分からんのだ」

と言った。自分で言った言葉が、気に入らなかったのか不愉快そうな顔になる。


そして、不愉快そうな顔のまま、

「協力すると言ったな。この意味を言ってくれ」

とアッフェル・フォルトへ問いかけた。アッフェル・フォルトは、目だけで聞いた。どの意味の事だ、と言う顔で。バイラム・フォッドは、腕を上げて頭をぐしゃっと混ぜたかと思うと、

「あんたでも分かっていないのか」

と腹立たしそうに言うと、アッフェル・フォルトが、

「濃度が見えない」

とすかさず答えた。

「なのに、なんで笛を吹いたかって、いちゃもんを付けに来たのかよ」

とバイラム・フォッドが、この忙しい時に、とイライラしたように言った。アッフェル・フォルトは、肩をすくめた。


笛のせいで、老師の部屋に不審者が忍び込み、ウウローカが倒されて、銀の小箱が盗まれている。笛を吹いたのは、誰かの罠か? と思っていると、バイラム・フォッドがあっけらかんと、

「笛を吹いたさ。だが、わかんねぇ」

と言う。アッフェル・フォルトは、唐突に、視界を周囲に広げた。何が起こっているのか分からない。なのに笛を吹いたのは、ここがイメージに侵食されいているからか、と思ったのだ。が、すかさず、バイラム・フォッドが、

「違う! ここじゃない。震源はここじゃなく、あらゆるところで起きている。それが危機って意味だ! 変な探りは止めてくれ!」

と声を荒げた。アッフェル・フォルトは、視線を目の前の男に戻す。バイラム・フォッドが疲れたように、

「ちんけな侵食ばかりが、ありえない数で起こっているんだ」

と言った。


「いくつくらいだ?」

とアッフェル・フォルトが聞くと、バイラム・フォッドが首をめぐらせ、階段の下で地図を見ながら細かく脇の人間に指示を出し続けていた男に言った。

「ヨーゼ。今の数は幾つだ?」

「三十二件。と、三十三件に増えました」

と低く言った。脇に伝送者を置き、街に散った鎮静者達と話しあっているらしい。


 アッフェル・フォルトは大きく息を吸い込んだ。日に二件重なったりしたら大騒動で、原因究明に館の人間達が動き出す。十件を超えたら、それこそ歴史に残るような惨事を意味する。

「かつての初代が数えた最大数が、三十八件だったっけ」

とアッフェル・フォルトが珍しく、監察者の館の過去を語る。妖精が跋扈し、危機が無い日の方が珍しかった時代の話だ。バイラム・フォッドが、

「今日と言う日が、歴史に刻まれるぞ。初代を軽く超えそうだ」

と言うと、アッフェル・フォルトはとりあえず、と言うように、

「まずは、危機を見せてほしい」

と、テーブルの地図を見下ろした。


ちょうど地図が書き変わっていて、森の手前の小屋の入口が映っていた。中から、華やかな長い栗色の巻き毛が表れた。灰色のローブを肩にまといつけ、美しい紫色の肩掛けをこれ見よがしに見せびらかしながら、小顔の美しい女性が飛び出して来るところだった。そこにあった、森の境の塀は盛り土のような低いものでほとんど消えかけている。


「彼女は…」

とアッフェル・フォルトは呟いて、誰に言うともなく、

「ユルレシカは、ほとんど消えかけている塀を気にして出て行ったのか?」

となんとも言えない声で呟いた。


危機の最中だと言うのに、こんなのまで直せと言われるほど、区長達に監察者の館は弱みを握られているだろうか、と思ったりもした。しかし、低い尖った声が、ドトレームだったのだが、

「あの赤い目の獣が侵入したら、辺り一帯は避難区域になる。意志のバリケードのために、人員を割いていますが、あの広域の森では、街の能力者も駆り出さなければならなくなります」

「足りないのか?」

と言うアッフェル・フォルトの声に、

「ここをどこだと思っているんです?!」

と言う厭味な声が返り、アッフェル・フォルトが返事をするのを待たずに、

「もちろん足ります。ここは都だ。ただし、ここは都なんですよ」

「だから?」

「日当が馬鹿にならない」

「日当が…」

とつぶやいて、アッフェル・フォルトは地図を見た。必死に両手を振って、奥へ行け、と言うように栗毛の女性が叫んでいる。意図したものか声が全く聞こえてこないが、その必死さだけは見て分かる。

「そんなに、我が館はひっ迫していたのか」

とアッフェル・フォルトが呟くと、ドトレームがほっそりした眉の片方を軽く上げて、

「今年の収支の責任者はあの女です。もっとも潤沢な収支になっていると思いますがね」

と乾いた声で言った。アッフェル・フォルトが地図を眺めながら、

「あの赤い目がなければいいのか?」

と気持を切りかえるように言うと、

「とりあえず、侵食の危機の核はあれではない、と言うことになります」

とドトレーームが答えた途端に、映像を見ていた男が声を上げた。


その後ろで立っている男も額に汗がたらりと流れ、そして、ゆっくりと焦点が合いだすと、驚いたような顔になって、こちらを向いた。その瞬間、地図ががらりと変わった。


 森の中に月明かりが差し込む、中まで見通せそうなほどの光に満ちた場所に変わっていた。森の中にいたはずの赤い目も、その気配どころか、その本体も見当たらない。アッフェル・フォルトが地図を見ながら、

「森なら森の顔がある。違う顔は、森自身が嫌がるものさ」

と言って、動かない地図を見て、

「ユルレシカ殿はどうした?」

と地図を作る男に聞いた。すると、その後ろの男が慌てて宙を睨み始めて、地図が再び変わり出す。突っ立ったまま動かない、栗毛の女性の姿があった。そして、その周囲の人々が、森を見てゆっくりと両手を上げて、そして、ぱっと突き動かされたように喜びの声を上げた。テーブルの周りでも歓声が響き、ユルレシカが何か声を上げて森の方へ走って行ったのだが、そちらの声は聞こえなかった。アッフェル・フォルトはその地図を見ながら、

「それで、侵食の危機の核はこれではない、と言うことになったわけだ」

と言った。

 そこに、扉が乱暴に開かれて、汗だくの男が掛け込んで来た。手には紙を握り締め、

「ハーフェルドの森の奇異が消滅しました!」

と声を上げて、握り締めた紙を差し出した。それを受け取ったバイラム・フォッドは、読みながら、

「ご苦労だった」

と言うと、汗だくのまま背筋を伸ばして無表情に立ち続ける男に、さらに、

「あれは、ここの銀の帯の仕事だ」

と言ってやると、ぱっと顔を輝かせ、

「じゃないかと思ったんですよ! 知らせてきます」

と言って、また、風のように駆け出して行った。バイラム・フォッドはその後ろ姿を見て、アッフェル・フォルトへ告げる。

「こうやって、一つ一つ、映像と、早足の者の届ける実地の情報との違いを比べ、局地的な歪みが、伝達に影響を及ぼしていないか確かめている。と言っても、伝達に支障はない。歪みどころか、変質もしてない。全体には侵食していないのに、全体に広がっている。こんな異変は、今までないな」

「一つ一つ、と言うことは、あと、三十二件か」

とアッフェル・フォルトが言うと、バイラム・フォッドは頷いた。根気よく事に当たる、と言うのが今回の方針らしい。やっかいな危機だった。そこに、脇にヨーゼを呼んで話していたドトレームが、

「三十四件。一つ減って、別の場所で二つ増えた」

と静かな声で彼らに告げた。

 侵食の危機の笛は、ここで、異変の数を数え続けているからこそ、吹かなければならなくなったと言う事だった。小さな異変は増え続けていた。


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