12.バセロン・オーンの妻は歌姫だったんだ
回廊は、木々の中へ分け入って、低い垣根は、イバラの雑木にとって変わる。外部の者が入らない奥は、美しい庭園など無用だと言うように、手入れの無い森の世界に変わりだす。足元の石灯も無くなり、暗い回廊を行く。
アッフェル・フォルト達が、平屋の前を通ると、仕事をしている人々がいるのか窓から明かりが漏れていた。その灯りを便りに、回廊を渡っていく。時折、この暗がりを、見習いの少年達が全て見えているかのような素早さで駆け抜けて行く。手に、波打つ酒壺を持って駆けて行く姿もあれば、書類を掴むようにして駆けて行く姿もある。そろそろ、用事を終わらせて眠りたいのか、失敗は最小限で、叱責でさらなる寝不足にならないようにと、真剣そのもので駆けて行く。
アッフェル・フォルト達の脇をすり抜ける時でも、
「失礼いたします」
と小声を掛けるだけで、足も止めずに駆け抜ける。その速さでは、脇をすり抜けて行く者の顔は見えない。と誰もが思うのだが、実は、この少年達は誰よりも情報通だった。すり抜ける前に、誰がいるのか監察し、もし癇癪持ちの脇を通り抜けなければならないようなら、別の回廊へ迂回して走り去ってしまうのだった。
そして、普通の監察者達よりも、ずっと多くの少年達が、アッフェル・フォルト達の脇を駆け抜けて行った。二人に気付くと、わざわざ、遠回りになるのもかまわず、立ち話でも聞けないかと耳を傍立てながら駆け抜けていく。アッフェル・フォルト達にとってはいつものことで、自分達を見て駆けて来ているとは気づかない。ただ、まだまだ、見習い達が忙しい時間帯か、くらいにしか思っていない。
「バセロン・オーンの妻は歌姫だったんだ」
と少年達が走りすぎると、アッフェル・フォルトが呟いた。シェルフォードは、
「そう言っていたな」
と頷き返す。アッフェル・フォルトは続けて、
「バセロン・オーンの妻が誘拐された。それで、誘拐犯を探すために国に戻って来た、とか、ありそうだろう?」
「陛下に訴え出たかもしれない、と言う意味か?」
「そうだ。あるいは、ルフェンの大使に訴えたとか」
とアッフェル・フォルトは言ってから、考え込んだ。
「でも、バセロン・オーンの心情では、そんな風には見えなかった。もっと、向こうにいる妻の為にという感じがしたんだ」
「なら、向こうにいるんじゃないか。歌姫が二人。この国ではありえない数だ。だいたい、妻を追い掛けて、誘拐犯を探そうとしている最中に、監察者につかまってどうする。あんな妖精を飛ばす暇があったら、妻を探して歩くんじゃないのか?」
と言うと、アッフェル・フォルトは、
「そうだよな。陛下に訴えている最中だったら、やらないだろう。二度もイメージを造っているし、二度目は神だ。じゃなくて、光だ。犯罪者になってたら、妻が見つかっても、一生、塔へ幽閉されて会えないし戻れない」
と言って、さらに、
「明日、歌姫に会えば分かる、か」
と呟いた。再び、少年達が駆け抜けて行くのを黙って眺めた。通り過ぎると、
「バセロン・オーンの所在も分かると良いのだが」
と付けたした。
それからは黙って、アッフェル・フォルトは駆けて行く見習い達の姿を見送って、奥まった自分達の屋敷に向かった。暗い回廊が続き、長屋の前を通る。長庇の下に廊下があって格子窓と引き戸が並ぶ。と、途中で長屋が途切れた。
その奥に、月に照らされた屋敷があった。アッフェル・フォルトの屋敷だった。玄関があって、雨樋の鎖が手水に落ち、玄関前には石畳の空間もあった。立ち話の為か、長椅子があり、低い石のテーブルもある。と言っても、銀の監察者の玄関先で、語りあう人間はほとんどいなかったのだが。
屋敷の周囲には玉石を引きつめた庭園が広がっていた。森の中で、視界が広がる。他の建物に比べてずっと贅沢な屋敷だった。そんな贅沢さを楽しむ時間は、ほとんどないのだが。また、王侯貴族の屋敷はもちろん、王都に散らばる商家の館もこれに比べたら、ずっと贅沢だったのだが、この静かな場所は、アッフェル・フォルトにとって十分贅沢な家だった。
隣のシェルフォードの屋敷は、もっと簡素で寝る為だけの家だった。寝室に寝台が一つ。入口の部屋にテーブルが一つ。その他にも部屋があるのだが、全く使うそぶりもない。青銀の監察者だから、もっと贅沢もできるのだが、出自に比べて、まったく頓着しない性質らしい。
それに比べて、アッフェル・フォルトの家は、奥には見習いや給仕用の部屋もあるし、居間には木彫りで飾った家具はあるし、庭は広いし、のんびりする時間さえあれば、幾らでものんびりと庭を見て過ごせるし、と、アッフェル・フォルトにとっては最高の家だった。
アッフェル・フォルトが向かう入口には、老師の屋敷と同じように色ガラスがはめられていた。と言ってもこちらは両開きの扉なのだが。彼らの足音が分かるのか、中で慌てたように人影が動き、アッフェル・フォルト達が到着する前に、素早く扉が開け放たれた。
「お帰りなさいませ!」
そう言って元気に顔を出したのは、先に戻ったバッセルだった。顔が赤く上気しているのは、先ほどすれ違った少年達のように、廊下をかけずり回って食事の用意をしたせいだろう。
アッフェル・フォルトが、中へ一歩踏み込むと、温かい辛みスープと、甘辛い肉野菜の炒め物の香りが部屋いっぱいに広がっていた。アッフェル・フォルトが笑みを全開にし、
「やるじゃないか。どうやって火の落ちた食堂から、こんなのをせしめて来たんだ?」
と、扉を抜けて、石敷きの部屋に入って、陽気に言った。
扉を抑えて立つバッセルは、誇らしげな顔で、中央に花を飾った長テーブルと、その上で湯気を立てる熱い夕食を見ながら、
「まだ、外出の検証者の方達がお帰りじゃなかった為です。彼らの物を、分けていただいて来ました」
と言った。
得意げだったのに、声が小さくなったのは、検証者達が帰らないのは、ある意味バッセルのせいもあり、後ろめたかったからだ。しかし、この夕食をアッフェル・フォルト達が戻る前に用意するのには、それ相応の工夫が必要だった。
つまりは、アッフェル・フォルト達の食事を特別な物として、でも、高慢にならないように取引半分に、至急、でせしめてくるには、結構な工夫が必要だったのだ。それで、
「焼き菓子は、厨房の方が、是非召し上がっていただきたい、と付けてくださったものです」
と、きちんと彼らのアピールを入れてみる。
アッフェル・フォルトの菓子好きは、そこから旨いという感想が出れば、プレミアム付きの旨いお菓子になって、厨房の人間達の小遣い稼ぎになる程有名だった。レシピを懇意の商家に売るのか、実際の菓子を監察者の屋敷の中で多めに作って陰で監察者達に売るのか定かではないのだが、この感想が欲しいらしい。
外で売るのは禁じられているのだが、袖の下として利用している者もいる。時には、厳しい意見も出るのだが、総じて旨いと答えるアッフェル・フォルトの感想は、厨房では無くてはならない物だった。
それで、それを梃子に、集めた料理を眺めながら、バッセルはさらに、注目してほしいと言う気満々で、
「冷酒をお召しかと思い、裏の氷室から氷をいただいてまいりました」
と言った。そして、シェルフォードが入ってくるのももどかしく、扉を閉めると飛び上がるようにして、部屋の奥へ突進する。
冷やした酒を飲むほどの贅沢はできないが、氷を入れて冷たくした酒なら飲める。味が薄くなるとは言え、冷たくして飲めるのは、銀の帯と青銀の帯の夕食ならではの贅沢だった。しかし、それでもかなり離れた氷室小屋に行って戻ってくるだけの時間が必要だった。この短時間にそこまでできた自分に、バッセルはちょっとならずも胸を張る。
その努力が全然分かっていないのだが、ちょっと薄くなった方が酒はおいしい、と思っているアッフェル・フォルトは機嫌よく、
「よくやった。偉いぞ!」
と言って、マントをするりと脱ぐと、入口のマント掛けにひょいとかけ、テーブルへずかずかと近寄った。
アッフェル・フォルトは、勢いよく中央テーブルの椅子に腰を下ろすと、振り返って、入口脇の赤々と燃えている暖炉を眺めた。バッセルが部屋に入って真っ先に手を付けた仕事で、アッフェル・フォルトはそんな気遣いに気づいているのかいないのか、暖かい目の色で、目を細めた。
バッセルは、彼らが座り終わる前にと、奥にある扉を開けて内廊下へ飛び出して、再び盆に銀の縁取りのグラスを掲げて戻って来る。優雅にと言うか、落ちないようにゆっくりとグラスを掲げて、アッフェル・フォルト達に近づくと、グラスの中で、からりと硬質な氷の音がした。
「腹減ったぁ」
とアッフェル・フォルトが言う。その脇で、シェルフォードが自分のフードを丁寧に払って金具に掛けた。大股で歩き出すと、アッフェル・フォルトの反対側の椅子を引いて腰かけた。
そして、シェルフォードは、バッセルがグラスを配るのを待ち、アッフェル・フォルトが手洗い用に出した盥で指先だけを省略して洗うのを見ながら、自分の手を丁寧に水ですすいで自分のハンカチでぬぐう。バッセルは、全てが完璧に過ぎるのをじっと待って、盆を脇に突っ立っていた。が、
「何してるんだ、おまえも座れ」
と言うアッフェル・フォルトのいつもの注文に、一瞬迷った。これから、粥を運んだり、裏の暖炉で温めていた肉を運んだりするには、立ったままの方が都合が良かった。しかし、
「食事が醒めてしまうじゃないか!」
と言うアッフェル・フォルトの癇癪に、慌てて、椅子を引いて自分も座った。
そして、自分の皿は、裏のテーブルに残したままだと思いだす。見ていたシェルフォードも気づいたようで、
「持って来なさい。アッフェル・フォルトは全員とじゃないと食べないぞ」
といつものように言われた。バッセルは、いつものように、自分の皿を重ねて慌てて戻る。給仕をする見習いが同じ食卓についていると他の監察者見習い達に知られたらどんな顔をされるだろうかと思いながら、いつものように座りなおした。すると、アッフェル・フォルトは、幸せそうな顔をして、
「今日の、良き日に乾杯!」
と言ってグラスを手にして手荒く振った。氷の音がして、滴が散って、滴が料理の上に舞う。それが乾杯の礼儀で、アッフェル・フォルトは機嫌よく、全てをゆったりと眺めてから、くいっと冷酒を一息に干した。
「旨い!」
と言うと、シェルフォードも同じようにグラスを煽った。
バッセルは、頑張った、と言う気持ちを胸に、慌てて立ち上がりながら、冷酒をアッフェル・フォルトとシェルフォードのグラスに注いで回る。そして、自分の食事をしながら、料理を出したり、裏の暖炉で暖めたりと、あわただしく動きまわった。
食べている間じゅう、アッフェル・フォルトがしゃべることと言ったら、旨い、と言うのと、これは何を使ったんだ? と言う問いかけと、明日もこれが食べたい、と絶対にできない注文を出すばかりで、それ以外は何も無い、穏やかな時が流れて行くのだった。
シェルフォードは、静かに食器の音一つさせずに食事をする。バッセルは旧家の生まれで、それなりに食事の作法を叩きこまれていたのだが、それでもこれほど上品に食事をする人は見たことが無い、と思うほど上品に食事をするのだった。
そして、食事も最後になり、バッセルがくだんの焼き菓子をそっと出すと、
「これがあるから、部屋での食事が止められないんだ」
とアッフェル・フォルトは、厨房との駆け引きを知っているのかいないのか。バッセルがどきりとするような一言を言って、平らげるのだった。
「おっ! 練乳を使ったな! これは旨い。かなりいける」
と言いながら。
それから、三人は、とても穏やかに無言の時を過ごした。御茶を入れて、菓子の余韻を静かに楽しむ。しばらくは食器の音も止んで、外の風が揺らす、木々の梢の音が聞こえるだけだ。暖炉の炭の崩れる音で、そろそろ、炭を足さないと、と思いながらも、バッセルが、食器も引かなきゃならないし、と椅子を引いて立ち上がりかけた。
そこで、アッフェル・フォルトが言ったのだった。
「まだ、検証者達は帰らないのだろうか?」
門番がまだ報告に来ないと言う意味だったのだが、それを知らないバッセルは、怪訝に思いながら答えた。
「聞いてきましょうか?」
「いや。知らせに来るはずだ」
と言って、椅子の背に手を掛けて立ちあがった。夕食が始まってから、結構な時間がたっていた。外を覗くと、明かりが灯っている部屋はほとんどない。
「戻らないなら、戻らないと伝送者の連絡が入るはずだ」
そして、それを聞いたら、あの門番なら門を閉めてすぐに知らせに来そうなのだが、とアッフェル・フォルトが首をかしげていると、外から澄んだ笛の音が聞こえた。一度、高く長く音が響いて、次いで、短く音を刻んで、再び、高く長く笛の音が響いた。
「侵食の危機、の笛ですか?」
とバッセルが聞き間違いですよね、と言うように言った。
アッフェル・フォルトが無言で無表情になる。シェルフォードが、立ち上がって、入口の扉を開け放つと、
「全員、今の音へ従え!」
と大声を上げる。と、まるでその声を待っていたかのように、実際は、今の音の意味が、信じられなくてそれぞれの部屋で固まっていたのだが。人々が、どっと部屋から飛び出して来た。長屋から、外廊下の暗がりに人々が飛び出すと、それぞれ、大声を出しながら、駆け出して行く。自分の上司の部屋へ駆けて行く者もあれば、夜勤の務めの人数が増員されるはずで、予備増員に当たっている者達が、慌てて門へ向かって飛び出して行く姿もあった。
「本物か?」
と言いながら、アッフェル・フォルトは、先ほど脱いだばかりのローブを手にした。肩に掛けて、肩掛けベルトを、開け放った扉の向こうを見ながら手だけで留める。シェルフォードも同じようにローブを肩に駆けながら、回廊へ出る。他の、回廊へ出て来た、鎮静者達の声が響いた。
「街へ出るなら、防御の者と共にでよ! 壁がよわい者は、屋敷の門から外へは出るな! 中で待て! 予備増員も、門で許可を得てから出よ! 二次、三次の侵食を許すな!」
その声で、走り出していた人影が幾分ゆっくりになったように見えた。しかし、ざわめきは変わらず、さらに大きくなったように見える。
「本物かな」
と言う囁き声が風にのって聞こえて来た。まるで、バッセルの心の呟きのようだった。
「訓練じゃなさそうだよ」
と不安そうな囁きがさらに聞こえた。
「昼間だって、おかしな事があったじゃないか。すごい光が落ちたのに。でも、それでも笛は成らなかったよ」
「あれは、すぐに消えたから。だからだよ。でも、きっと今は都のどこかで、何か酷い映像が世界を覆い始めているんだ」
と言う声に、
「何やっているんだ、新人! ガキども! おまえ達は、危機には遊べと言われたのか!」
と言う一括する声が響いた。かと思うと、パタパタっと言う足音が聞こえ、声は聞こえなくなった。
都を揺るがすほどの、いいや、王国を揺るがすほどの、イメージの侵食を受けた時になる笛。それが侵食の危機の笛だった。バッセルは、訓練で何度も聞いた。王都を覆う巨大な氷のイメージがやってくる危機や、酒が空中を舞い王都はもちろん周辺住人も巻き込んで酔っ払いだらけになってしまうと言うふざけた危機等。幻の橋が、王国中に掛り出すと言う危ない危機の時もあった。全ては、過去にあった侵食の危機のイメージで、本物は初めてだった。
アッフェル・フォルトがローブの埃を払うように肩を払うと、
「第三の人間が国に侵入したと思うか?」
とシェルフォードへ聞いた。聞いているのに、答えを待たずに、
「王弟が、出入国管理を緩めたのは本当だったのではないか。密輸入として歌姫を一人、詩を造る人間が一人。その上、侵食できるほど力がある人間が一人」
と言ってから、苦い声に変えて、
「ありえないだろう。そこまでの能力者が、三人も同時に国に入って来るなんて」
と言った。シェルフォードは、廊下から外を、人々の動きを眺めていたのだが、アッフェル・フォルトの声は聞こえていたようで、
「あの男。あれを取り逃がしたのが痛いな」
と呟いた。
追っていたのはシェルフォードだったから自戒の意味があったようだが、バッセルは、自分のせいだと唇をかんだ。が、アッフェル・フォルトは鼻で笑って、シェルフォードへ、
「私が、枷を掛け損なったからな」
と言った。神の一言で光を出したのはバッセルだった。なのに、バセロン・オーンの言葉こそがガンなのだ、と言うように話しだす。
「あれは人間だったのか?」
とシェルフォードが呟くと、アッフェル・フォルトが苦い声で、
「人間だ。妖精じゃない。つまりは、金の帯がいると言う可能性もあるかもな」
と呟いた。つまりは、金の帯は監察者のトップが付けるもので、監察者のトップは形式的に王だった。そして、実力が伴わないからと言う理由で使っていない色だった。つまりは、そんな実力者はありえない、と言う意味になる。しかし、シェルフォードは唸るだけで、アッフェル・フォルトは笑いながら聞いた。
「三人の能力者の密入国と、金の帯と、妖精と、どれがリアルだ?」
「どれも却下だ」
とシェルフォードがいらっとしたように言った。そして、
「なんで妖精が入るんだ、その中に」
「おまえが言ったんだろう。人間か?って。だいたい、もっともありえない可能性の方が、有りうる気がしないか?」
と笑いながら言った。シェルフォードは、下らないと言うように無視をすると、窓に張り付いていたバッセルに、
「私達は門へ向かう。だが、おまえは外へは出るな。屋敷の中にいなさい」
バッセルが驚いて振り向くと、
「見習いは、外へは出ない。侵食の危機に、被害者を増やすだけだからな」
とアッフェル・フォルトが言い足した。バッセルは、
「でも、訓練では、伝送者の代わりになったり、人手の足りないところへ手伝いに行ったりしました!」
「安全だと分かった場所で動いただけだ」
「危険を避けて動いただけです! 私だって、見れば危険かどうかわかるくらいの能力はあります」
と言い返して、ぱっと空を見上げると、
「濃度の厚さくらい分かります!」
と言った。そして、あれっと言うように、
「薄いのでしょうか?」
と不安そうに言い足した。




