(02-3)定番
「ただいまー」
引き戸を開けて声をかけると店先にいた母が顔を上げた。
「あれ? 今日は少し早いんじゃない?」
「午後は卒業式の練習がちょっとあってそのまま終わりになった」と明里。
「へぇ、じゃあ『仰げば尊し』とか練習してるのね」
何気なく母が言う。
「……仰げば尊し? 何だっけ?」
明里は首をかしげた。
「え? 卒業なのに『仰げば尊し』歌わないの?」
その声に反応して、奥の作業場から父もひょいと顔を出す。
「『仰げば尊し』は卒業の定番だろ?」
「えー、知らないけど」
「じゃあ、何を歌うの?」
「旅立ちの日に」
「……旅立ちの……?」
母と父は顔を見合わせる。二人とも聞いたことがない、という顔だった。
「じゃ『蛍の光』とかも歌わないの?」
母が続ける。
「『蛍の光』は知ってるけど歌わないよ。あ、BGMで流れてた……かな?」
「そうなんだぁ……」
母は少し不思議そうに、でもどこか納得したように息をついた。
「定番だと思ってたものがどんどん変わっていくんだねぇ」
その言葉に、明里は「そうだね」とだけ答えた。変わっていくものと変わらないもの。どちらが正しいというわけでもないけれど、時間の流れだけは確かにそこにある。
「じゃ、神社行ってくるね」
「気をつけてね」と母。父は軽く手を振った。
両親としては、いずれ明里にも店を手伝ってほしい気持ちがまったくないわけではなかった。だが、今すぐどうこうというほど切実でもない。
「明里は神社が好きなんやろ」
「好きな場所があるのはええことや」
そんなふうに自然に受け止めていた。
毎日のように社務所へ手伝いに行くことも特別なことではない。神様が好きで神社が落ち着くというなら、それはこの子にとって大切な居場所なのだろう、と。
外に出ると、まだ冷たい空気の中にほんの少しだけ春の匂いが混じっている気がした。卒業の歌は変わっても季節はちゃんと巡ってくる。
明里は鞄を肩に掛け直し、赤峰神社へ向かって歩き出した。




