↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/17

(01-2)むつぶ

 夕方の冷たい空気の中、明里は神社の石段を下りそのまま家路についた。店の暖簾はまだ出ていてガラス越しにやわらかな明かりが見える。


「ただいまー」


「あら、おかえり。寒かったでしょう」


 店先には母がいて陳列棚を軽く整えていた。奥からはことことと鍋をかき混ぜる音がする。父が明日の仕込みをしているのだろう。

 明里の家は町の通りに面した小さな和菓子屋だった。ガラス戸の向こうには季節の上生菓子と大福、饅頭が行儀よく並ぶ。派手さはないがどれも素朴で、手に取るとほっとする味だ。中でも父の炊くあんこは評判で「ここのあんこは甘すぎんでええ」と、わざわざ遠くから買いに来る年配の客もいる。そのせいか店に並ぶ菓子の多くはあんこが主役だった。


「今日はね、旧正月だったけど思ったより人少なかったよ」


「そう? まあ平日だしねえ。でも行ってくれる人がいるだけでありがたいよ」


「うん。旧正月って知ってて来てくれた人もいたし、たまたま散歩の人もいてさ」


 母はふふっと笑って「明里はちゃんとお正月を二回やってる感じだね」と言った。

 明里も笑ってうなずく。

 ひと通り話してから、明里は店を抜け奥の祖母の部屋の襖をそっと開けた。


「おばあちゃん、いる?」


「はいはい、どうぞ」


 布団に腰かけていた祖母の顔がぱっと明るくなる。


「おばあちゃん、あらためて……あけましておめでとう」


「はい、おめでとうさん。今年もよろしくね」


 その言い方が新暦の元旦とは少し違って、明里はそれだけで嬉しくなった。


「今日から睦月だね」


「そうそう。睦月は“むつぶ”の月だよ」


「むつぶ?」


「家族や人との縁を結ぶ月。切れたものを結び直す月でもあるんだ」


 祖母はゆっくり、そして噛みしめるように言葉を選ぶ。


「だからね、一月はね、静かでもいいんだよ。派手じゃなくていい。ちゃんと“結ばれてる”って思えたらそれでいい」


 明里はその言葉を胸の中で転がす。


 今日の境内の静けさ。

 顔見知りの参拝客の声。

 母の笑顔。

 父の鍋の音。


「……なんか、わかる気がする」


「そうかい。それならいいね」


 祖母はにこりと笑った。


 旧暦を意識し始めたのはいつ頃からだっただろう。はっきりとしたきっかけは思い出せない。

 椎木家は和菓子屋だが、その暮らしはごく普通だ。カレンダーは新暦、学校も行事もテレビの特番も、全部いまの時間で進んでいる。明里自身も特別に逆らって生きているつもりはなかった。


 それでも、どうしても体のほうが先に反応してしまう。


 満月の夜は理由もなく目が冴えた。布団に入っても眠れず、障子越しの月明かりが気になって何度も寝返りを打った。胸の奥がざわつくわけでも不安になるわけでもない。ただ、静かに“起きてしまう”。


 反対に、新月の夜は不思議なくらい落ち着いた。外が暗く、月の気配が消えると体の力がすっと抜けて深く眠れた。なにかに守られているような感覚すらあった。


 ――変な子だな。


 そう思われるだろうな、という自覚はあったから誰かに話したことはない。ただ、神社で月を見上げているときは「ああ、今日はこういう日なんだ」と納得できた。


 暦よりも先に月を感じていた。

 気づけば明里はそんなふうに時間を受け取る子になっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。