Jessicaの努力
場末のバー(おでん屋)の空気が、国家中将という名の巨大な重力によって完全に押し潰されていた。
制服の肩に輝く4つの金星が冷ややかな光を放つ中、ジェシカは懐かしむような、しかし狂気を孕んだ瞳で山田を見下ろした。
「……驚いたかい、エンジニアさん?」
ジェシカは護衛を一瞥して制すると、おでんの湯気が立ち込めるカウンターにすっと腰を下ろした。その優雅さと圧倒的なプレッシャーに、佐藤花子は呼吸すら忘れて固まっていた。
「私をここまで狂わせたのは、誰のせいだと思っているんだい」
ジェシカの視線が、遠い過去の記憶へと向けられる。
「……思い出すよ。私が10歳の時、父の仕事の都合で日本という異郷に放り出された日のことをね。言葉も通じず、すべてがノイズに満ちた世界で、私はただの『使い物にならない外国人のガキ』だった」
その絶望の淵にいた彼女を拾ったのが、当時の山田だった。
――『日本語が不自由なら、別の言語でロジックを叩き込めばいい』。そう言って彼女が放り込まれたのは、他でもない山田の開いていた塾だった。
「あなたが私に教えたのは、ただの勉強じゃない。『山田流』の書道だった。筆の軌跡、力のベクトルの制御、一画の迷いすら許されない静寂の空間……。私はそこで初めて、この世界の構造を理解したんだよ」
泥臭い修練の果てに掴み取った『生徒師範』の称号。それが、自信を失っていた少女の脳髄に「私には世界をハックする資格がある」という絶対的な確信を植え付けた。
だが、それは序章に過ぎなかった。
「高校を卒業する時、私は日本の大学に進もうとした。だが、あんたはこう言ったんだ。『日本の大学のシステムでは、お前の器を満たせない。不相応だ』ってね」
言われるがままに日本を離れ、ハーバードへ直行した。
そこからUC Medical(カリフォルニア大学医学部)を首席で駆け抜け、USPHS(米公衆衛生局士衛隊)の頂点へと登り詰め、そしていま――国家のバイオセキュリティーを背負う中将として、再び日本の盤面に配属された。
「私の人生のすべてのコンパイルは、最初から最後まで、あんたの書いたコード通りに進んできたんだよ」
ジェシカはふっと妖しく微笑み、凍りついたおでん屋のカウンターで山田の顔を覗き込んだ。
「――ねえ、太郎。私の人生をここまで狂わせておいて、私を『ただの教え子』で済ませるつもりかい? だからこそ、私はこの国の、そしてあなたの『公認ストーカー』の席を何が何でも勝ち取りに来たのさ」




