真実の片鱗
翌日の放課後。
職員室の静寂の中、佐藤花子は赤ペンを走らせ、機械的に小テストの採点を進めていた。そこに音もなく現れた黒いスーツの影。――山田太郎だ。
彼は花子のデスクの端に手を掛け、唐突に、だが冷徹なトーンで問いかけた。
「――なあ、花子先生。お前、止まっていられるか?」
何を馬鹿な。眉根を寄せた花子は、鼻で笑って言い返す。
「そんなの簡単でしょ。……いったい、何秒止まればいいのよ?」
「何秒だと?」
山田は微かに目を細め、鼻で嗤った。
「たった1ミリ秒で十分だ。……だが、そんな時間はこの世界に存在しない」
何を言っているのか、さっぱりわからない。怪訝な顔をする花子を無視して、山田は静かに、だが圧倒的な密度を伴う言葉を紡ぎ出した。
「社会も、宇宙も、その場に立ち止まることは一切許されていない。いいか、計算してみろ――今いるこの地点を北緯45度と仮定し、自転速度にcos(45)を掛け合わせてみろ。それだけじゃない。地球は秒速30キロメートルで太陽の周囲を公転し、その太陽系ですら秒速220キロメートルで銀河中心――射手座A*の周りを猛烈なスピードで公転しているんだ」
止まることなど、物理的に許されていない。
「この宇宙において『動いていること』こそがデフォルトであり、立ち止まることこそが最大の不自然、すなわち死だ。社会も、経済も、政治の構造もすべて同じだ。進化を止めた恐竜がどうなったかを見ろ。……俺は、小学生の時にすでにその真理に気づいていた。この世界のアルゴリズムが根本から狂っているのなら、それを書き換えるしかないとな」
山田は冷徹なスクエアフレームの眼鏡の奥で、花子の瞳を射抜いた。
「――この圧倒的な摂理を突きつけられて、それでもお前は『世界は変えられない』と言い切れるか?」
何を言っているのか。頭では理解が追いつかない。
物理法則と社会構造を同じ土俵で語るその狂気的なロジックの前に、花子の思考回路は完全にショートしていた。




