こい、のぼる
『ご来場の皆様。大変ながらくお待たせいたしました。ただいまより、鯉のぼりの掲揚を開始します』
その放送と、俺が土手までたどり着いたのは同タイミングだった。
思ったよりもまだ明るいのに、定刻通りにするんだなぁなんてことを思いながらシートを見る。
「あれ」
シートには藤咲が見当たらない。渚と遊助が、楽しげに談笑をしている。
あいつら、あんな顔して話してたのか。
俺は今日、どれだけ自分に余裕がなかったのかを実感する。まるで卒業式を終えてから、あんな可愛い子たんだ、って思うような寂しい興奮がひっそりと俺の胸の中で広がる。
俺は適当な石垣に腰掛けて、遠くに見える鯉のぼり用のポールを眺める。
別にもう仕事を終えたし、帰ってもいいのだけど、言いようもない寂寥感がその足をとどめていた。
「はい、お疲れ様」
俺の左頬に、熱い何かが押し付けられ、俺の体は跳ねる。
「いった———って、藤咲かよ」
「あーあ、一世一代のあんたの大告白、聞いてみたかったわ」
「は、はぁ?」
困惑する俺をよそに、藤咲は隣に腰を下ろす。
もっている袋には焼きそばが二パック入っている。渡されてもってみると温かいため、わざわざ買いに行ってくれたらしい。
って、もう一つのは自分用なんすね。一体今日でどれだけこの祭りに課金したのだろう、こいつは。
「侑夢から連絡が来たのよ。あんたが美弥たちと言い合いになったことも、その過程で、私を守ってくれたことも」
「別に守ったわけじゃ」
「じゃあ、告白?」
「どっちでもねぇよ!」
照れ恥ずかして藤咲を睨むが、当の本人は絶品の焼きそばに身を捩りながら箸を進めている。ほんと、どこまでもマイペースだな、こいつ。
『それではみなさん、ご注目ください!』
そんな放送が聞こえ、周囲からは拍手が湧き上がる。どこか仰々しいBGMが遠くからひっそりと聞こえる。
まだ、俺たちには鯉のぼりは見えない。ずっと下の方から迫り上がっていっているんだろう。ポールの半分くらいの位置までこないと、俺たちは視認できない。
「これであなたはようやく念願の嫌われ者になれたわけだけど、気分はどう?」
「スッキリしてるけど、意外に手にしたらあっけないなとも思う」
「ほんと、理解ができないけどね。主人公にいながら、その地位を捨てるなんて。私への当てつけかしら」
そういう藤咲はパタンと食べ終わった焼きそばの蓋を閉じる。
どこか遠くを眺めるような視線は、ポールへと注がれる。
まだ変わらず姿は見えないけれど、鯉のぼりのライティングの気配だけは感じ取れる。薄暗い空を、淡い光が照らしているから。
「俺がイメージ通りの清廉潔白な人間だったら良かったんだけどな。これから主人公を目指すお前に、元主人公としてアドバイスだ。好感度なんて低ければ低いほどいいからな」
「じゃあ私はリセマラしないといけないじゃない」
わざとらしく口を押さえる藤咲に、俺は気になっていたことを口にする。
「なんで、向こうに行かないんだよ」
指差す先では、渚と遊助が和気藹々と雑談している。
その様にアガペーを思わせる微笑みを讃えながら、藤咲は囁いた。
「遊助が、告白するのよ」
「まじか」
「おおまじよ。もう我慢ならん!このままじゃ光に取られるーってね」
「じゃあ俺は利敵してたのかよ・・・」
「そう言うことね!」
バシバシと俺の背中を叩く藤咲。
「つまり、今回の勝負はお前の勝ちだな。俺に遊助の恋を止めることは、できなかった。だから、俺はもう、主人公じゃなくなったんだな」
情けない風が吹いた。まだ濡れている俺だけが感じ取れるくらいの、弱々しい風。
鯉のぼりはようやく建物の隙間から出てくる。間抜けな顔をしながら着飾ったそいつは不釣り合いな高さまで登らされていく。
「光」
唐突に凛とした声音で名前を呼ばれて、俺は目線だけで藤咲を見る。
藤咲は礼儀正しく両手を太ももの間に置いて、式典の時のような姿勢をとっている。
「ごめんなさい。私はバディーであるあなたの大事な場面で一緒にいれなかった。最後にはあなた一人で、傷つけさせにいってしまった」
「別にいいよ。それに、その方が正しいさ」
俺が間違えた物語だ。なら、そのケツは自分で拭うべきだった。
遊助の恋愛相談も、藤咲の夢への熱量も言い訳にすることなく、自分自身でケリをつけるべきだったんだ。
すっかり穏やかな気分になった俺は、ただ純粋に高度を高める鯉のぼりに見入っていた。
「これまでの日々は、本当に楽しかった」
藤咲は感傷的な声音で、そう呟いた。俺はまだ、鯉のぼりから視線を外せない。
「私のバカみたいな夢を笑わずに、真剣に受け止めてくれたあなたが、私はとても大切だった。そしてそれは、これからも変わらないと思うの」
がさりと、藤咲がこちらに体を向ける。
俺も顔を藤咲に向ける。
そこにはやはり、目の奥で炎を灯した藤咲の双眸が俺を捉えている。
「あなたがいれば、私はこれからもずっと、ヒロインになるって言う子供みたいな夢をまっすぐに信じて進めると思う」
けれども、その眉は子供のように正直に不安を告げている。
「あなたが一人でいたいって言うのはわかってる。これも、子供みたいなお願いだってわかってる。でも、それでも!」
藤咲は一気に距離を詰め、俺の両手に両手を重ねた。
「ヒロインになりたい。だから、あなたは私のそばに居て」
潤んだ瞳の奥にはやはり炎が揺れていた。
震える手のひらは、ジェットコースターで俺を安心させようと重ねてくれた手と同じとは思えないほどに小さく、か弱く感じられた。
「あぁ、喜んで」
だから、俺はその両手を握る。
すると藤咲は思ったよりも俺の返事が早かったのか、単純に驚いたのかフリーズを起こす。
そして、
「はぁ!?あんたひとりぼっちになりたいんじゃなかったの!?」
「まぁそうだけど、それは要は俺を勘違いした奴らから離れたいという訳であって、別に俺のことをちゃんと知ってるお前とならいくらでもいてやるよ」
「わ、私の緊張を返しなさいよね!」
「何緊張してたの?らしくねーな。お前は自分勝手で強引なのがいいんだよ。それに、もう侑夢と友達になったしな」
「え?」
またフリーズ。目を丸くした顔はいかにもバカっぽいから、ヒロインになりたいならやめた方がいいと後で教えよう。
「俺が直接友達になってくれってお願いしたんだよ。侑夢ならちゃんと俺を受け止めてくれそうだからな。まぁ、あいつから遠回しに誘導された感は否めないけど」
「おそろしい子!侑夢、やっぱり侮れないわね。あの子はメインヒロインになれる潜在能力を秘めているわ・・・」
ぶつぶつとよくわからないことを口走っている藤咲。
俺はきっと、こいつといる時間が大好きなんだと思う。
子供みたいにバカをし続けるこいつの隣にいると、高校生だからとか周りのみんなが、なんていう束縛から抜け出せて、精一杯息を吸えるような、そんな気がするから。
鯉のぼりは煌々と輝きながら、すっかり暗くなった周囲を照らしていた。
その明かりをボゥと見とれている藤咲の横顔は、どこまでも幼い純粋な少女のようで、とても美しい。
黙ってたら美人なんだよなぁ。そんなことを考えながら俺は視線を外す。
「この鯉が登り切ったら、私はヒロインになれてるのかしら」
だから不安そうな言葉をつぶやく藤咲の表情は、俺にはわからない。
「私ね、多分いろんなものとぶつかって傷つけながら、夢中でここまで走り続けてきた。だからこそ、この鯉が一番上に行ってピカピカとしたその光が収まってしまったら、まるで魔法が解けたようにいつもの私に戻ってしまわないかしら。親友を救えなかった、臆病な私に、戻らないかしら」
「大丈夫だよ」
藤咲が縋るように俺を見た。そんな気がした。
「もう主役はいなくなったんだ。きっと、大丈夫だよ。それに遊助たちもうまくいくさ。前作主人公の俺が、保証する」
「光・・・。そうよね、私たちの闘いはこれからよね!」
おい、それだと打ち切りみたいになるだろうが。
そんなくだらないことを考えていると、周囲からは歓声が上がった。
俺と藤咲はどちらともなく鯉のぼりを見上げた。
一番下から這い上がり続けた鯉は、ようやく頂点へと上り詰め、燦然と夜空を照らしていた。




