雨の音は止んで
店を出ると、空模様はよりその灰色を濃くしていた。
「あー、傘買ったほうが良かったかな」
「大丈夫、もう買ってあるからさ」
「やっぱり光くんは気が利くんだね」
そんなこと、どうでもいい。
俺は早る気持ちを抑え、平素の通りを心がけて口を開く。
「手持ちがなくて、一つしか買えなかったけどね」
「まぁ割とすぐだし、急に降り出さないことを祈るだけだねぇ」
今にも降り出しそうな天気のせいか、俺たちの間に流れる空気もどんよりとした重厚感を孕んでいる。
俺達は沈み込んだ沈黙のなか、アーケードへと戻る。
しばらく進んだ先で渚はカラッとした口調で聞いてきた。
「それこそ、光くんは藤咲さんと付き合ってるんじゃないの」
「それはないよ。何回も言うけど、まだ出会って1ヶ月くらいだよ?そんなんで人を好きになったりはしない」
「えー、でも藤咲さんって絶対光くんのこと好きだと思うけどなぁ」
他人の恋愛事情を語る時の、無責任で無邪気に漂う悪意の臭いがして、俺は顔をしかめる。
「だってさ、二人の会話って入っていけるような雰囲気無いもんね。ホントに転校してきたばっかなのかなってくらい息があってると言うかさ」
「それは藤咲さんがズケズケと踏み込んできてるからだろ」
「そうかもね。でも、そこで普通みんなは引いちゃうんだよ。だって急に知らない犬が突っ込んできたら怖いでしょ?みんな急に自分のスペースに踏み込まれると、自分を隠すんだよ。この人に自分の本音を見せてもいいのか、って迷うから」
「藤咲さんは犬じゃなくて猪とか、そっち系だよ。もっと暴力的で直情的だ」
「あはは、じゃあ何かな光くんは闘牛士か何か?」
軽口を言い合いあっていると、ポツ。という音が聞こえた。それを認めた瞬間、その音は重なりだし、あっという間に周囲から音を奪う。
それくらい多量で大粒の雨が、アーケードの天井を叩きつけていた。
どんよりとした灰色の雲はどこまでも続いているかのように見える。
その景色には、見覚えがあった。そして、この感慨にも。
「なのにさ、光くんはまるで自分のパーソナルを踏み荒らされることを望んでるみたいに、されるがままなんだよ。そんな光くんは、見たことなかった。だから、藤咲さんといる時の光くんを見ると、ちょっと悔しいよ」
「悔しい?なんで」
「だって私はさ、光くんに好かれるためにはどうすればいいのかーとか、光くんは何が好きなのかなーとか考えてたけどさ、光くんが求めてたのはある意味で自分を見てくれない人だったんだなって」
ヒヤリとした。そして、いったい自分のどの一挙手一投足からそこを感じ取ったのだろうかとも、感心した。
俺が求めるのは、俺を見ていない人。
それは渚視点からの推察であるため。言い換えるなら、
俺が求めるのは、『みんなの源元光』を見ていない人。ということだ。
その言葉は俺が藤咲といる時の心地よさを端的に表しているように思えた。
渚の洞察力に感心していると、俺たちはアーケードの天井の端までやってきた。
一歩先では地面に叩きつけられた雨粒は飛沫をあげるほどに、その勢いを強めている。
「ね、傘。さしてくれる?」
どこか意地悪に笑う渚は、アーケードの外を指差した。
向こう側では大粒の雨が激しい音とともに、すべてを濡らしている。
俺は頷いてから傘の留め具を外す。間抜けな音と同時に傘を開くと、小さめな傘のもとには俺と、そして渚の薄い肩が並ぶ。
アーケードから出ると、傘の上から軽快な音がして、つつかれるような重さが俺の手に伝わってくる。
陳腐な表現だとはわかっていても、まるでこの世界には俺と渚しかいないように感じられた。
「好きになった人ほど、光くんは遠ざかっていくわけだよ。だから、悔しい」
真剣な声音。
俺はてっきり、渚は冗談半分で友達に自慢するステータスくらいの感覚でみんなの源元光に惚れているポーズをとっているのだと思っていた。
けれど、何回も告白をされて断ってきたからわかる。
今の声音は本気で人に思いを打ち明ける時のものだ。そして同時に、俺がもっとも精神を磨耗しながら拒否する時の声だ。
こんな嘘だらけの俺を本気で好いてくれるなんて申し訳ない、と。
俺は何も言えないでいた。
空を見上げていたから。
渚は俺のことを本気で好いてくれていた。そして、もうそんな渚を俺は振ってしまった。そして先の遊助への殊勝な態度。
もしかしたら、もう渚の思いは完全に遊助へと切り替わったのか?だとしたら、ただ渚からの好感度を稼ぐなんて方法は生ぬるいのではないか。
被害妄想的に、俺の不安が膨らみ始めていた。
やはり傘の向こうでは、分厚い雲がカーテンのように俺たちを隔絶していた。
俺は願う。
もし、もし本当にラブコメの神様とやらがいるのなら。今だけは俺を見ないでくれ、聞かないでくれ。
あんたに振り向いてもらおうと必死なメインヒロイン志望の師匠が、これから晒す最低で最悪な行為だけは知らないふりをしてくれないだろうか。
俺はキュッと口を結ぶ。
「なぁ、渚」
「なに?どうしたの」
「こんなこと、今更だとはわかってるんだけど。渚さえ良ければ、今からでも俺たち付きあ——」
瞬間、俺は濡れていた。
何が起きたんだと顔を上げようとすると、今度は乾いた音が耳のすぐそこで鳴る。頬が痛い。
「最っ低」
目に映るのは、瞳にいっぱいの雫を貯め、目元を真っ赤に染めた美弥の顔だった。
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