二度目の初めまして
行き交う人々はやけにぼやけて、やや遠くにいるはずのその姿だけが、はっきりと捉えることができた。
いつものように淡白な顔のパーツは、不快感を示すようにそれらを歪めている。
「侑夢・・・?なんで」
俺がその名を呼んだ瞬間、侑夢は逃げるように走り出した。
「あれ、ちょっと光!あんた、どこ行くのよー!」
俺は気づけば地面を蹴って、その背中を追いかける。
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえるが、それよりも俺は重大なミスをした気がして振り切るように走り続けた。
人の楽しげな声も、耳をすぎる風の音も、聞こえない。
大切な何かが、また失われる、そんな警報みたいな音だけがずっと脳内で響き続けていた。
侑夢は特別体力があるわけではないので、やがてヨロヨロと、その足並みは尻すぼみになって境内の奥にある裏参道で立ち止まった。
俺の数歩先で立ち止まったその小さな背中は、大きく肩を上下させている。
静かな境内の中では、俺たちの不揃いな息遣いだけが聞こえる。
「なんで、言ってくれないの」
「一体、どこから見て」
「答えてよ」
力強く、侑夢は振り向いた。
下唇をきつく噛みしめるその表情は、おおよそいつもの空蝉侑夢の印象からはかけ離れている。
きっと侑夢は、俺の様子から本当の狙いに気づいたのだろう。
俺が遊助の恋愛相談を叶えるつもりがないということに。
「だって、『みんなの源元光』は友達の恋を邪魔するような人間じゃないだろ?」
「私は別にそんなこと気にしない!」
甲高く、必死に震えるその声色は、俺に言い訳を許さない。
「花奈ちゃんは、知ってたの?」
「・・・あぁ」
「そっか。やっぱり私じゃ、ダメだったんだ」
独り言のように囁いた侑夢は痛々しい微笑みを称える。
「なにが、だめだったのかな。なにが違ったら、私は花奈ちゃんみたいに、なれたかな」
「侑夢に非はない。ただ俺が勝手に侑夢たちを突き放して、強引で勝手な藤咲に甘えてただけなんだ」
「どうして、花奈ちゃんだったの」
俺はしばし考える。それこそ、侑夢が俺を気遣ってくれている場面はいくつもあった。それでも俺が、関係値が浅かったはずの藤咲に相談をしたのは何故だった。
侑夢たちは作り物でまがい物の俺しか知らないから?それは数ある中の一つの要因にしか思えない。
始めっから「メインヒロインになる」だなんてよくわからないことを言ったり、俺にメンチを切ってきたり、委員会では見てられないくらいの舌戦で自分を突き通したり。そんな藤咲に、俺は何を感じたのか。
メチャクチャなこれまでを振り返っていると、俺は自分の緊張が解けていることに気付く。
「藤咲はずっと、ありのままだった。周囲なんて顧みず、自分の行く先をずっと見据えてどこまでもがむしゃらだった。たぶん、そういうところに惹かれてたんだと思う。俺には、無いものだから」
言葉は自然に滑り出ていた。
俺が藤咲を頼り続けていたのは、きっと、憧れていたからだ。
「アイツは自分にも周りにも素直なんだよ。それで軋轢が生まれるときもあったけど、最終的にはなぜか物事が上手く進むんだ。どうやれば上手く行くか考えて自分を殺し続ける俺とは全くの正反対。きっと、そういう部分に憧れてた。侑夢は優しいから分かるだろ?俺達で話してると、たまに美弥の機嫌を伺ったりして会話を回す時、あるだろ。藤咲はたぶん、そんな時でも自分の思いとかを忖度せずに言いまくって、喧嘩して、結局仲直りして親友になる、そういうタイプなんだよ」
俺は美弥と藤咲が顔を真っ赤にして言い合いをする様子を想像しては笑みをこぼす。
きっとコミュニケーションは互いが優しい嘘を織り交ぜることで成立する。そうでないと折がつかなくなって、他人との共生なんて無理だから。
だけども藤咲は、我を貫き通して対立なんて何のそのと他人と距離を詰める。
そんな強引さがあれば、俺も代われるのだろうか。そんな憧憬を、藤咲に抱いていた。
俺の笑顔を見つめると、侑夢はどこかが痛むように眉を潜めた。眼差しはぐらりと揺れる。
「やっぱり、二人の間には入り込めないね」
「え?」
「光くんは自覚ないだろうけどさ、花奈ちゃんといる時とか花奈ちゃんについて話す時だけは光くん、純粋に楽しそうなんだよ。そんな二人に私なんかが入っていけるって思うのが、まず間違いだったんだろうね」
「どうしたんだよ」
侑夢は俺を見ていない。どこか遠くを見つめるような眼差しは、ひらりと落ちる木の葉をなぞる。
「正直、私は花奈ちゃんが羨ましかった。転校してきたばっかりなのに光くんとすぐに仲良くなってさ。ずーと光くんが辛そうなことに気づいてたけど、私は何にもできなかった。なのに花奈ちゃんは転校してきてすぐに光くんの心を開いて、支えてた。それが、羨ましかった。でもね、最初はそれでもいいって思ってたんだよ。光くんが幸せになるならそれでいいって」
侑夢は俺達の中でも視野が広く、人の機微に敏感だ。その感度はきっと、どうしても目を逸らしたい自分の感情の変化にすら、アンテナを張ってしまう。
「でもね、あの写真を見た時にちくってなったんだよ。あの、イルミネーションの前で撮ってた写真。あんなに間抜けで無警戒で、完璧じゃない源元光は初めて見た。私が一年かけても見れなかった顔を花奈ちゃんは見れて、私が踏み込めてない領域まで踏み込むことが許されたんだなって思うとさ、私は一体どこで追い抜かれたんだろうって悔しくなったの。そう、悔しくなっちゃったんだよ」
溢れ出る思いを恐れて、それを止めるように胸の前で自分の手を固く握りあう侑夢。
だけども、ずっとこの小さな体に閉じ込め続けた思いの激流は止まらない。
「私みたいに空っぽな人間は、どうしても光くんとか花奈ちゃんみたいな人には並べない」
「俺はなにもすごくない。常に必死で、ただその頑張りを隠してるだけだ。勉強だって、スポーツだって好きじゃない。楽しいだなんて一瞬しか感じたことない。でもだからって辞めちゃうと、俺はもう、何者でもなくなるから、やってるだけなんだよ。本当の俺は平均未満だから」
直情的に言葉を紡ぐ。
俺は決してそんなに立派な人間じゃない。ただそんな情けない事実だけを、侑夢に届けたい。
そのためには、もう侑夢には俺のすべてを告げるしか無い。
そんな気がした。
怖い。恐ろしい。
進行形で関係を壊しているという感覚が、ジリジリと腹の奥の方を痛める。
もしこれが順番をつける、ということなら、俺は成長できているんだろうか。
「俺はさ、嘘だらけなんだよ。学校での俺なんて猫かぶってるだけで本音なんて殆ど言ってない。その場が円滑に回るように、ただ適当を言ってるだけだ。そんな生活に、俺はもう疲れたんだ。自分に嘘をつくのも、嘘で結ばれた身の丈に合わない人間関係にもさ。今だって、大切にすべき友達を傷つけてるし、遊助の恋愛だなんてどうでもよくて、どうお前らに嫌われて、突き放すべきかしか考えてないんだ」
「それが、本当の光くんなの?」
「あぁ。これが青春の主人公っていわれてる俺の本心だよ。侑夢には、嘘はつかない」
俺の弱々しい表情にいつもの余裕を見出せない侑夢は、やはりどこか悲しげに顔を伏せた。
「だから、俺には藤咲が輝いて見えたんだよ。変わりたいってあそこまで行動できる奴がいるか?もし藤咲のそばにいれば、俺も変われるんじゃないかって思ってたし、藤咲との日々のおかげで俺も変わりたいって踏み出せたんだ」
「それが、遊助くんのデートを失敗させるっていうことなの?」
「そうだな。そう聞くとちっぽけに感じるけどな。でも、これまでの俺なら絶対にみんなが喜ぶからってだけで遊助の応援をしてたと思う」
侑夢は空を見上げた。
夕方にしては日が落ちて、夜というにはまだ明るい。
そのちょうど真ん中のような空を侑夢はぼぅと眺める。そこには白んだ月が出ている。
「私は、なんなんだろうね」
続く言葉も、返す言葉もない。
理解したふりをするのは横着で、理解しようとするのは偽善な気がしたから。
侑夢は俺の足元ら辺に視線を落とした。その小さな体は力んでいるように見えた。硬く結った口はわなわなと震え、まだ見えぬ奥底から言葉を捻り出そうとしているよう。
「私、変わりたい」
顔を上げた侑夢はキッと俺を見つた。
いつも淡白な表情だからか、その切実さは俺にそのまま伝わる。
その表情に、俺は藤咲を重ねる。
「私には何も無い。光くんみたいな優しさも、強さも。花奈ちゃんみたいな健気さも、信念も、何も無い」
自分の居場所を確かめるように自分を抱きしめる侑夢。
喘ぐような息遣いで、ずっと蓋をし続けた感情を吐き出していく。
「私は変わりたい!二人に肩を並べなれるくらいに強くなって、自分を好きになりたい。ただみんなから優しくされるだけは、もう嫌なの!」
その声はすっと響く。決して大きな声ではない。だけども夏のざわめきの中でどこまでも透き通るように響く風鈴のような、そんな音。
溢れ出た感情の残滓は涙となって侑夢の目元に留まっている。それを侑夢は乱暴に拭う。
空蝉侑夢は自己主張がなく、癖が少ない地味な女子生徒。
そんなレッテルで、虚像で、いつしか彼女自身を見ていなかったのは、他でもない俺自身だった。
俺は自分が他人にやられて嫌なことを、侑夢に無意識に行っていたのだ。
今、侑夢が俺に向けた睨む視線、不快感を示す眉、自嘲する声。そのどれもが珍しいのではない。俺がたぶん、見ていなかっただけなんだ。
「光くんは自分のこと、優しくないって言った。それなら私だって優しくない」
どこかいじけるような口調で侑夢は続ける。
「きっと、優しくするのは、それがいつか自分に返ってきてほしいから。だから、まずは自分から優しくあろうとしてるだけ。恥ずかしくて、情けなくて、何よりも悲しくて本当のお願いなんて、言えないから。だから優しい私達は、臆病なんだよ」
「侑夢に嫌がらせをするような奴なんていないだろ?みんなお前には優しくないか」
「大切にされてないもん。大切にするってのは優しい態度を見せることでも、辛い現実を見せないよう隔てることでもないよ、ちゃんと相手を見て理解しようとすることだよ。だから、私は本当に優しくされたことがない。理解されようとされたことが、ないんだもん」
それはどこか、俺と似ている気がした。
他人が俺を理解しようと向き合ってしまうと『優秀な源元光』という強烈で鮮烈な後光みたいなものが邪魔をしてしまって、その結果みんなは本当の俺を見失う。
そして侑夢も、一般的な意味合いで優しすぎるからこそ、どこか気を遣われて割れ物に触れるような柔らかい接され方しかされてこなかったのだろう。それがきっと、侑夢のコンプレックス。
俺も侑夢も同じだった。
ちゃんと自分の根っこを見て、向き合ってほしい。今のままでは寂しい。
ありのままを受け入れてもらうなんて強情なわがままを、本気で願ってしまっているのだ。
きっとレベルで言えば、どこかさんのメインヒロインになりたいってのと同じくらいに荒唐無稽なレベルの願い。
そう思うと、つい俺は吹き出してしまう。侑夢は不機嫌そうに俺を見た。
「なに」
「いや、俺と侑夢は、似てるなって。どこまでも不器用で、臆病だ」
「笑い事じゃない」
「だな」
むすりと口を尖らせる侑夢を見て、俺はより一層笑みを深くしてしまう。
もう、十分に今の俺はかっこ悪くて頼りないだろう。そう思うと肩の荷が降りた。そんな気がした。
けれども、まだ完璧ではない。
主役を降りるならキッパリとだ。主役を交代するために前作の主人公をダラダラ描写するだなんて漫画は、駄作なんだから。
俺はまっすぐに侑夢を見る。もう臆病でいちゃ、ダメだから。
これまで、こうやって侑夢に向き合ったことはなかったかもしれない。
「侑夢、お願いがある。助けてほしい」
侑夢は息を呑んだ。驚きで見開かれたその瞳は、言葉の意味が染み込むにつれて優しく、細く伸びる。小さく、頷いた。
「俺は、もう今の源元光から抜け出したい。そのために、協力してほしい。そのせいで侑夢たちまでバラバラになるかもしれない。だけど、俺のために頼む」
俺は手を差し出して、頭を下げた。
きっと、生まれて初めてここまで自分勝手な言葉を口にしたことはなかった。
その証拠に、見える膝も、伸ばした指先も震えている。
侑夢の様子をうかがうように俺は薄く目を開けて、彼女を見た。
「はい、わかりました」
慈愛に満ちたような穏やかな笑み。鈴の音のような軽やかな音。
そして、俺の手は柔らかな暖かさに覆われる。
俺は優しく微笑む侑夢に宣言した。また迷ったら、今度こそ変われないから。
「嫌われて、期待されなくて。一人ぼっちな悪役に、俺はなる」
そうして俺と侑夢は、二人きりの作戦会議を開始した。




