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滲んだ月明かりは優しくて

 その日の夜、俺は一人で何をするでもなく部屋を暗くして天井を眺めていた。

 部屋には暗闇が蟠っていたせいで、外から差し込む灯りがやけに、気になった。

 人工的なものにしては妙に温かさを感じるその白い灯りを追うように、窓を見た。


「満月かぁ」


 欠けたところなど一つとない、見るもの全てを魅了するような満月が、すぐそこにあった。

 恋心を月を交えて表現しようとした昔の詩人の感性を理解できるような、そんな満月。


 ブブブ、と机上のスマホが震える。


 俺は興醒めしながら、冷たい人工的な明かりに視線を投げる。

 画面には、空蝉侑夢からの着信の通知。


「どうしたんだ。珍しくない?電話なんて」

「だって、二人きりの時にはこれまでと同じじゃなくていいって聞いたから」


 俺の視線は、また満月へと移っていた。窓枠にもたれかかると、頬を撫でる風がこそばゆい。


「ダブルデート、どうなった?」

「今週末の日曜だよ。隣町の神社の祭りに行くことになった」

「じゃあ、花奈ちゃんとのデートからちょうど1週間だ。毎週デートがあるって、やっぱり光くんはゲームとかの主人公みたい」


 果たして、そう言った主人公たちは相手の恋路を邪魔するような、邪な奴らなのだろうか。

 特に因縁があるわけでもない、赤の他人の恋をただの自己都合で邪魔しようとするような奴が主人公なのであれば、そんな物語は唾棄されるべきではないだろうか。


「頑張ってね。私は何も、できないから」


 俺は、小さく呼吸する。俺の中にあった空気の全てを、新鮮なものと入れ替えるように。

 それはいつものルーティンだった。


「正直、一人で不安になってたところだから、こうやって他愛もない雑談ができるだけでもありがたいよ」

「・・・そっか、それは良かった」


 やっぱり、俺と侑夢は似ている。

 だからきっと、この嘘にも、彼女は気づいてしまったのだろう。


 こんなこざかしい会話を侑夢は望んでいないし辞めて欲しいと、あの日誌を書きながら暗に伝えてきたと言うのに。俺は自分の不実にため息を漏らす。


「悪い、今のは忘れてくれ」

「そうだね」


 俺と侑夢はどちらともなく小さく笑った。

 俺たちの距離は、やはりどこかぎこちない。


 嫌いあっているわけではない。むしろ質感としてはその逆だと、理解できる。

 だからこそ、互いに自分の一歩で相手の柔く、脆い部分を踏みつけて傷つけてしまわないだろうかと気遣って、遠回りするのだ。大切だからこそ、俺はきっと遠ざけている。


「月、見えるか?」

「ちょうど見てる。綺麗な満月だね」

「でも近づいてみると、意外にボコボコで、綺麗じゃないんだろう」

「クレーター、だっけ」


 月のあの輝きだって、結局は紛い物。太陽の光を反射させて、人の手を借りてただただ高い空の上で光っているに過ぎない。


「期待はずれだよな。あんなに綺麗な月をもっと近くで見たい、触れたいって膨大な距離を飛び越えても、結局はボコボコで。降り立った人間にはただの地面と大差ないんだろうから」


 富士の峰だって、その見た目に心を惹かれたとて実際は険しく、厳しい道のりに面食らって、多くの人はただ遠くで眺めるだけに留まる。


 多分、俺が嘘をつき続けるのはそれが理由だ。


 俺は怖いんだ。人が俺に期待して踏み込んできて、そして呆れて帰ってしまうのが。期待は往往にして自分勝手に、俺を傷つけてきたから。

 だから嘘をつき続け「源元光」という満月のような虚像を投射し続ける。たとえ興味を持って踏み込むとしても、その道の先には、俺はいない。そうやって、俺は本当の自分を守っていたのだろう。


「でもさ、それが嫌いになる理由にはならないんじゃないかな」

「綺麗なことに惹かれたのに、それが薄汚れてたら、嫌だろ」

「ビックリはするかもね。でも嫌と嫌いは違うよ、紛らわしいかもだけどさ。嫌だなーって思うところもさ、意外にそれが弱みというかさ、愛らしさみたいに思える瞬間が、きっとあるんだよ。だから、嫌だけど好きってのはありえるよ。山登りってみんな苦しそうな顔してるけどさ、趣味だって人おおいみたいにさ」


 さっきまで山のことを考えていた俺は思わぬ思考の重複にどこか嬉しくなっていた。


「例えば、その明かりが全くもって偽物だとしても?」

「うーん、月の光って反射してるだけでしょ?でも、だからって月の明かりは偽物だー、嘘をつかれたーとかって思う人っていないんじゃないかな。少なくとも私は、例え紛い物でも、その明かりには優しさとか、暖かみを覚えるけどなぁ」

「・・・そっか」


 これ以上、言葉を紡ぐ余裕はなかった。


 俺は月を見上げた。もしかしたら、もっと上の方かもしれない。


 俺は大きく息を吸って、平素を装った。


「ありがと、一人で不安だったから、他愛もない話ができて良かった」

「そっか。役に立てたようで嬉しいよ」


 侑夢の声はしっとりと弾んでいた。

 それだけで俺は十分だった。きっと、伝わった。


 その感覚だけで、満ち足りていく。


「それじゃあ、おやすみ」

「うん、おやすみ。またね、光くん」


 ぷつり。侑夢との通話は切れた。


 一抹の寂しさを感じながらも、俺の視線は変わらず満月へと注がれていた。

 近づけばきっと歪に見える満月がもたらす光は、たしかにどこか暖かかった。

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