ささやかな灯りに照らされて
帰りのバスでも電車でも、すっかり疲れてしまった藤咲は俺の肩に持たれながら、すぴーと、間抜けな寝息を立てていた。たまに触れる髪がこそばゆく、俺は一睡もできずにただただ風景を眺めて時間を潰した。
モールについた頃には六時半くらいになっていて、フードコートは混み合っていた。ラウンジの席にようやく空席を見つけ、そこに体を滑り込ました俺等は、藤咲はペッパーライス、俺はハンバーガーを頼み、食していた。
肌を撫でる夜風に体が軽く震え、なんでだろうと考えると、俺はまだ藤咲にジャケットを貸していたままなのだと思い当たる。
馴染みすぎて忘れかけてたわ、危ない。
眼下に見えるイルミネーションを眺めながら、俺はいつ返してもらおうかと画策する。
「ねぇ、ちょっとおかしなこと言っても良い?」
「そういうの大好きだ」
一口大きくかじって咀嚼していると、藤咲は言いづらそうに視線を彼方への彷徨わせる。
「私がヒロインに成りたい理由、聞きたい?」
その言い方は、奇妙に思えた。
俺に委ねるその言い方は、彼女自身も打ち明けるべきか迷っている。ということなんだろう。
それでも。俺は考えをまとめると同時に、バーガーを飲み込んだ。
「聞かせてくれ」
観覧車で願った、もっと藤咲と一緒に居たいという思いを叶えるには、避けて通れない気がしたから。気づかないように気遣って、見ないように背けて付き合うことはできるとは思う。けれども、それは俺が望む藤咲との関係ではない、そんな気がした。
俺の真剣な双眸に、藤咲は薄く微笑みを返す。
「私、ずっと海外にいたって言ったけど、正確には小学生くらいかな。親の仕事の都
合で地元を離れたの。元から英語なんてわからないし、まるで世界に自分一人だけ取り残されたような感じがして、怖かったわ」
藤咲は凪のように澄んだ眼差しで遠くを見る。波一つたてないようにと言葉を丁寧に紡ぐ彼女は、逆説的に少し触れただけでも荒波だって、ぐちゃぐちゃになってしまうような儚さがあった。
「もちろん言葉も話せないんだから馴染めるわけもなく、私は家に引きこもりがちになったの。そこでずっーとアニメとか漫画に浸る生活をしたわ」
「親御さんはなにも言わなかったのか」
「もちろん。自分の都合で連れてきたっていう申し訳無さもあったんでしょうね。ただ、自分の弱さで人を悲しませてる状況って、どれだけ相手が隠そうとしても、むしろ返って当事者にはバレるものよ。正直、辛かったわ」
行き過ぎたほどに明るく、鉄砲玉のように見える藤咲の気丈な性格は、誰も心配させてはいけないと自分を責めた過去と関係があるのかもしれない。
性格はきっと、過去を無理やり咀嚼して飲み込もうとした時にできる、傷の形みたいなものだから。
「だからヒロインは憧れだったわけ。自分が理想としている友達ばっかりの学校生活で、しかもその子が中心に世界が回る。本気で、物語の中に逃避行できないことを恨んだ時すらあったわ。まずはそれが一つ」
藤咲は紙コップについできていた水を飲む。一口で全部飲んでしまうと、小さく俺に笑った。それは手術前に看護師が見せるような、あとに続く痛く辛いものに耐えろと励ます、そんな湿っぽい微笑み。
「でも中学に上がる頃には簡単なコミュニケーションも取れて、しかも同じ日本人の子が一人だけ居たってのもあって、それなりに学校は楽しめるようになってたわ」
留学先でも結局同胞とつるんでしまう、というのはよく聞く話である。ましてや自ら望んで海外に行ったわけではない藤咲からすれば、その子の存在は大変心強かったことだろう。
「その子とはよく遊ぶようになってた。その子は賢くて可愛いから、それこそ私にとってはヒロインだった。でもある日、予兆もなく、限りなく理想に近かった生活は奪われた」
藤咲はきゅっと机の上で自身の手を握りあう。
「その子はイジメの対象にされちゃったの。無視とかは当たり前だし、日本人って小柄だから、殴る蹴るされるのまでに、そう時間はかからなかった」
俺は今にも崩れそうな藤咲の顔を、逃げずにまっすぐ見つめ続ける。
「私に危害がいかないよう、あの子はイジメが本格化してからは私に話しかけることはなくなった。そして私にはそんな現状を変える力も、勇気もなかった。そんなある日、ようやくイジメが問題になるくらいにひどい事件が起きたの。黒板の前で倒れたあの子を集団で囲んで蹴るの。それこそ人間だって思ってないみたいに。その時、あの子が薄く開けた瞳の奥が、私を捉えてた。
私を変わりに殴りなさいよ、こいつらをボコボコにしてやりたい。漫画で見てきた主人公みたいに、友達のために動けって必死に自分に叫んだ。
でも、できなかった」
自身を呵責する思いは吹き出すように激しく、熱く、藤咲の口をつく。
けれど、そこまでしてでも過去は変わらないものだと思い出しては、その熱は一気に冷め、沈んだ声音に戻る。
「結局、その子は転校した。そしてそこからは連絡は一切取り合ってないわ。だからね、私にとってはヒロインになるのは憧れであり、贖罪なの。もう二度とあんなことしないようにって。そうでもなきゃ、あの子に顔向けできないし、私は前に進めないから」
しゃがれて、頼りなさげにフラフラとした声。それでも最後まで話し切った藤咲は痛ましく笑う。
「それが、私がヒロインを目指す理由。納得してくれた?」
俺は、ただ静かに頷いた。藤咲がまざまざと自分の古傷をみせてくれたことに、一体どんな意味があるのか、俺は考える。
「急に湿っぽい話をしちゃってごめんね。こんなこと話すの、あなたが最初で最後よ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
素直に感謝を伝えると、やや戸惑った様子で藤咲は笑う。
正直に嬉しかった。こんなに重く、辛い過去を俺にわかちあおうとしてくれたことが。
「だからこそ、聞かせてほしい」
「なにを」
「どうして、源元光が、生まれたのかを」
「お前の話ほど劇的なことはないぞ?」
「それでもいいの。現実で劇的なことって、大概が碌でもないことだろうしね」
力無く笑う藤咲を見てから俺は静かに目を伏せる。
——誰からも頼りにされる源元光
始まりは、小学生の頃まで遡る。当時の俺は目立つわけではなかった。人よりかは真面目な性格で、かつ草船のように抵抗も、意思もなく周りに流されていた。
そんな俺に、当時の先生はとあるスピーチコンテストへの出場を打診した。
なんで俺だったのかはわからないし、もっと適任がいたようにも思う。おそらく断られ続けた結果、逆らわないだろう俺にまで話が降りてきたんだと思う。
先生に言われたなら、と俺は従順にそのコンテストに参加して、結果優勝した。
スピーチの台本は担当の教師が書いたものだから、別に俺じゃなくても優勝できたわけで、当時の俺はなんか運よく優勝したんだー、とかそれくらいの些細なこととして捉えてた。
けれど、その些細なことが、きっかけだった。
まずは教師の態度が変わった。これまでは真面目なただのモブだったはずなのに、見かけるたびに「おめでとう」って言われ始めた。それは単なる労いであるとは分かっていたが、会う先生が口々にそう言うものだから、生徒の方も次第に俺に注目するようになった。
そして俺の方もそう言うポジティブな変化に、戸惑いながらも同時に自信を身につけて行ったのも事実だった。しまいには、「どんなことも俺ならうまくやれるのではないか」「みんながやりたくないようなことだって、自分ならできてしまうのでは」なんて驕り高ぶった考えを持つようになっていった。
実際、うまくやれた。大抵のことは。中には俺を嫌う人もいたが、それでも俺の中には自分が中心になっていくという実感が強くあった。それに、人間は言い訳が外にあると偉そうになるものだ。みんなが「光くんなら」って言うから、俺はただ仕方なくやってるだけだ。嫌われたって、そこに俺の責任はないんだって。
そんな風に思いながら、やりたくないことだってやってのけた。
周囲が喜んだ。
それを見て、俺も、喜んだ。
この学校生活を支えているのは、俺なんだという充足が俺を満たしていた。
そのままに進学した俺は、中学でもその自信で色んな活動をして、三年間をいわゆる青春の主人公として過ごしていたように思う。
そんなある日だった。やけに生徒と距離が近かった当時の校長と会話をしていると、そいつは俺にこう言った。
「いいか、光。ゲームなんてたくさんするなよ、あんなのは頭が悪くなるからな。みんなお前みたいにゲームとかせず真面目な生徒ならいいんだがなぁ」
時代錯誤も甚だしいというのは置いといて。
こいつは何を言っているんだ。一体、誰を見て言っているんだ。俺はそう思った。
そんな源元光を、俺は知らない。
俺は面倒くさがりだし、ゲームだってアニメだって好きだ。けれど中学の頃の教師は俺に対して、まるで本来の俺を否定するようなことを言ってきた。
俺はあまりにも不可解な教師の発言に異論を唱えようと口を開いた。そんなのは、俺じゃないって、言いたくて。
「ははっ、そうですね」
自分の乾いた笑いを自覚して、俺は自分を疑った。
意識せずとも本心とは違うことを、笑顔で言えるようになっていた。
それこそ、自分の嘘に遅れてから、気づくくらいに。
自覚的になると、余計に俺は本当の自分を隠すようになった。
一体無意識のうちにどこまで自分は見栄を張っていたのか、それが分からなくて、怖くて、より完璧を目指そうと身を粉にした。
苦手な初対面の人とのコミュニケーション、勉強、運動。それらにより打ち込むことで、俺はまるで不出来な本当の自分を覆い隠そうとした。
俺は、青春や充実した学校生活を支えていると思っていた。
けれどいつしか、それは逆転していた。
支えているという虚像に支えられていたのが、誰でもない俺自身だった。
それに気づいた瞬間、俺の中で“何か“が崩れ去った。
源元光として、青春の主人公として、みんなを支えて生きていたはずが、俺はただその役割に生かされていたのだ。
こうして今に至るまでが、源元光の物語。
周囲に流され、主人公の座まで辿り着く。そこでようやく自分の間違いに気づいて、残ったものは何もない。そして、これからも流されていくのかもしれない。
そんな俺の話を、最後まで黙って聞いていた藤咲は目が合うと力無く微笑んだ。
「ごめんなさいね、そんな話をさせてしまって」
「別に、藤咲に比べたら何かを失ったわけじゃない。元から、俺には何もなかったってだけだ」
「あなたには、何か失ったものがあるかしら。今の『源元光』に至るまでに、大切な何かを」
「どうだろうな。今はパッと思いつかないけど」
「そこは『俺だってあるよ』とか同情しなさいよ!」
「そんなの、俺も藤咲も望んでないだろ?」
俺の問いかけに、藤咲は何も言わない。
「むしろ、逆なのかもな。俺は失うことがないというよりも、大切じゃないものがわからないのかもしれない。これがいちばん大切だから、あれを放り捨てようってのができないんだ。だから、欲張って全てに手を伸ばして、その結果がこの有り様」
「そうね。だから、私とあなたは出会えたのかも」
「は?」
俺は飲みかけたコップを戻して、藤咲を見る。その目は決して冗談を言っているようには見えなかった。同時に、瞳には自虐的な色が宿っていることにも気付く。
「私はヒロインに憧れながら、踏み出せず大切で唯一の友人を失った。そしてあなたは主人公になることなんて眼中になくても大切なものも、そうでないものも手に入る。私達は全く、正反対なのよ。正反対な二人のボーイ・ミーツ・ガールなんて、ラブコメのど定番じゃない」
そう笑う藤咲は、今だけは安っぽいラブコメを恨んでいるのではないかと思えるほどに痛ましかった。
らしくない弱々しい藤咲の態度が気がかりで。だとしても正反対な俺に何ができるのかもわからなくて、俺はふと視線を外す。
夜闇は静けさと侘しさをもって世界を包んでいた。そんな蟠った夜闇のなかで煌々と輝くなにかを見つける。
いわゆるイルミネーションというやつなのだろうが、角度のせいか明かりが象る図
形は歪だ。けれど寒空のもとでそれが放つ懸命な明かりは、陽だまりのような暖かさを感じさせる。
「ちょっと歩かないか」
そう言って、俺は立ち上がって、エスコートするみたいに手を差し伸べた。




