Code8
――……ル君。
――イ……ル君。
――起きて。
――目を覚まして。
――このまま逝かないで。
――私が寂しいわ。
聞こえてきたのは、アイルの涙声だった。意識は暗闇から浮上していく。ゆっくりと目を開けた。人工呼吸を付けられていると気付く。
心臓の上にはコードがつながっていて、心音モニターがピッ、ピッと音を立てている。
「よかった。脈も呼吸も一時弱くなったからどうなるかと思った」
「アイル……先生」
陣呼吸器の中ではっ、はっと荒い呼吸をする。ケアハウスに来てから、まともに食べられていない。点滴の栄養剤でやり過ごしていた。
衰弱していっている実感はある。首筋に巻いてある。包帯を取った。くっきりと赤い跡が残っている。
あれは夢ではなかった。
現実だったのだ。
呪いの影響だろう。
戦えなくなったカイルを振るい落とすために。
絶望へと突き落とすために。
よく帰って来られたものだった。汗もかいていたのか、服も着替えさせてある。
そこで、ハッとした。
包帯を巻き直したとしたら――。
――紋章を見られた?
――あの全体に広がる忌々しいツタを?
全身の血流が逆流していく。墓場まで持っていくつもりでいた。
それなのに、見られてしまうなんて。
憐みの目を向けられるのだろう。ドクン、ドクンと心臓が激しく音を立てている。気持ち悪いと言われてしまえば、それまでだった。
そうなれば、ここからも出て行かなければならないだろう。
知る人がいない遠い町へと。
「その紋章が全ての現況かしら?」
ぴくり、と体を震わせた。
ざわり、と空気が揺れた。
ざわざわと揺らぎ続ける。
暗殺者としての顔を覗かせる。
「そうだとしたら、あなたに何でできますか?」
息をするのが精一杯の中で答える。
――息が苦しい。
不意に呼吸が乱れていく。
紋章が締め付けて来る。この役立たず――お前は呪われた身だ、忘れるなと点滅する。
これは罰だ。
人を殺し続けた罰である。
苦しいと無意識に腕を伸ばす。
細く白い指が宙をさまよった。
カイルの手を受け止めて握りしめる。
「大丈夫よ。ゆっくり呼吸をしてみてごらん」
柔らかくて穏やかな声だった。
思わず目を見開く。
『大丈夫――大丈夫ですわ。ゆっくり息を吸ってくださいませ』
同じ言葉だろうか――その声はサラと重ねてしまった。なぜ、サラが出てくるのかは分からない。
「サ……ラさん」
人工呼吸器の中で、ポツリと名前を呼ぶ。名前を呼ぶだけで、またずきり、と胸が痛む。
――まただ。
――胸が痛む。
この気持ちは何なのだろう。
契約を勝手に破棄した罪悪感? もやもやした気持ちを取り払えない。それに、手紙を残していなくなった事実は変わらない。
あと、どれだけ生きられるのかは、アイルが読み取れているはずだ。眉間に皺を寄せている姿を見ているため猶予はないはず。
ただ、サラの笑顔を失いたくなかった。
涙を見たくなかった。
理由はそれだけだった。
だから、離れた。
突き放した。
別れを選択した。
弱さで逃げたのである。
結果、サラを傷つけてしまった。
我儘のためだけに。
――カイルさん……!
――話を聞いてくださいませ!
――今日、学校で……!
――今回の試験も主席でしたのよ。
――調理実習でケーキを作りましたの。
――紅茶と一緒に食べませんか?
――熱が上がりましたね。
――苦しくないですか?
――氷を新しくしてきます。
なのに、看病をしてくれた時の心配な声やいつもの笑顔を思い出してしまう。
クルクルを変わる表情。
日傘を差して歩く後ろ姿。
白い制服をひらりと、翻しながら歩いているのは記憶に新しい。それほど、身近になっていた。天真爛漫なサラが隣にいるのが当たり前になっていた。
当たり前だと思っていた。
でも、サラは公爵令嬢だ。
生まれた頃からのお嬢様である。
片や暗殺者だった。
血に汚れたカイルとは違う。
縛り付けるわけにはいかない。
サラには自由が似合っている。
あの真っ白い日傘を差して。
――彼女が遠い。
どんどん遠くなっていく。
手の届かない場所に行ってしまう。
行くなとは言えない。
サラの幻影が消えていく。
消えてほしくないなんて。
――勝手だな。
覆われた口元に浮かぶのは、皮肉気な笑みだった。
――僕はどうしたい?
――何がやりたい?
――今、こうして平穏な日々を過ごそうとした自分?
――僕は何を目指す?
偽ってすらいないのに、何が本当の「僕」なのだろう。
――ダメだ。
――物凄く眠い。
疲れなのか、考えなければならないのに、うつらうつらしてしまう。抵抗できないまま瞳を閉じた。




