「水曜日のたわけたち」
とにかく大学生という生き物は格好をつけたがるものでして、単なる部屋もまあ、「スタジオ」と呼んでみたくなるようです。
迎えた水曜日の夜、指定された時間にアースマンションの四階へ向かうと、内階段の突き当りから煙草の香りがほのかに漂ってきた。
「あ、近江先輩」
明るい蛍光灯の並ぶ通路の隅で、手すりに寄りかかって近江先輩が煙草をふかしている。この前階下で打ち合わせた時にうっすら気づいていたが、二人そろってかなりの愛煙家らしい。
「やあ、こんばんは。――おっと、こりゃマズい」
慌てて火を消そうとする先輩に、別にいいですよぉ、と私は声をかける。
「うち、親が両方ともヘビースモーカーでして。別に気にはならないですから……」
「そうだったのかあ。――じゃ、残りを吸ったら行こっか」
安心した様子でフィルターへ口をつけると、近江先輩は立て続けに煙を吐き、吸いさしを金属製のポケット灰皿へ押し込んだ。あとをついて、坂道と並行している廊下をすすむと、雑貨店などで売っていそうな「NOW ON AIR」と記されたランプが赤々とついているドアが見えた。
「アースマンション405号室、我らがラジオKINKIの本拠地ってわけさ。――おーい、お着きだぞぉ」
あけっ放しのドアが勢いよく開き、畳敷きのワンルームが視界へと入る。内装自体は平均的な単身者向け物件のそれだったが、部屋の主がただものでないことは、居並ぶ品々を見てすぐにわかった。
部屋のどまんなかに置かれた大きなローテーブルの上には、マイクミキサーやヘッドホン、ノートパソコンが置かれている。そして、どうやらこれは現役の品らしい、年代物のオープンリールのテープデッキが、壁際のサイドボードに鎮座している。
「やあ、いらっしゃい。狭いとこだけど、どうぞよろしく」
南向きの窓辺に吊られた紺のカーテンを背に、マイクスタンドの高さを調整していた日下先輩がにこやかに応じる。
「なかなかすごいでしょ? ここにある機材、みんな壊れかけのやつなんかを日下が直して使ってるんだぜ」
「へええ、器用なんですね日下先輩って……」
すすめられた座布団へ腰を下ろしながら、近江先輩が示す機材の数々へ関心の目をむける。
「でも時々、修理が甘くて故障することもあるけどな。そこの隅に置いてある予備のミキサーなんか、エコーが勝手にかかったりして大変だったもんなあ」
「そこっ、余計なこと言わないっ。――さあて、恒例の台本チェック、進行確認とシャレますかねぇ。あと三十分で本番だし……」
壁にかかった、学校の教室にあるような丸い時計の針は八時半を差している。九時スタートの二時間もののトーク番組「水曜日のたわけたち」は、ラジオKINKI設立当日に産声を上げた由緒ある番組なのだという。
「まあ、必要なお知らせとか以外はほとんど好き勝手にやっていけばいいカンジだね。話につまれば適当に混ぜっ返して、コメントを拾って続けていけばいいし……」
「結構来るんですか? 常連のリスナーの人って」
丁寧にあいさつ文などが刷り込まれた進行台本をチェックしながら、待機中になっている放送の画面を見て尋ねる。ラジオKINKIが配信に使っているのは「エガ動」の通称で知られる「すまいる動画」で、色々な配信アプリがある昨今でも、コアな層向けの配信ではまだまだ最大手であった。
「案外こんな場末の放送でも聞いてくれる人がいてさ。メールなんかもそこそこ来るんだ。そうそう、初めて三か月目で同時接続が二〇〇人に行きかけたことがあったっけ」
「に、二〇〇人!」
一〇人もいればありがたいぐらいに構えていたから正直驚いた。ところが、
「まあもっとも、その日エガ動のサーバーがトラブってすぐ途切れちゃったけれどねえ。未だにそれをオレたちのせいだってからかう常連がいて困るんだ……」
赤鉛筆を走らせる近江先輩の苦笑いに、あれは痛かったねぇ、と日下先輩は肩をすぼめる。ひとしきり流れの確認も済み、先輩が淹れた麦茶で軽く喉を潤していると、いよいよ秒読みスタートとなった。国語辞典サイズのデジタル時計の数字が、どんどんと九時へ迫ってゆく。
「十秒前!」
大きなヘッドホンをはめた日下先輩が、向かいに座った近江先輩の眼前にピンと人差し指を建てる。年季の入った四角いベロシティマイクを挟んで、じっとにらみ合う格好になっているせいかこちらもひどく緊張してしまう。
「五秒前! 四、三、二、一!」
デジタル時計の表示が九時きっかりに変わると、耳にはめていたモニター用の小さなイヤホンから、番組のテーマソングがゆっくりと流れ出す。そして、続く先輩のキューサインに近江先輩が台本をなぞってゆく。
「時刻はただいま午後の九時! 毎度おなじみ水曜夜のおかしな二人――」
「ご存じDJヒゲマルと――」
「その心強―い相方である僕、正直者のマコトが京都の片隅からお送りする番組『水曜日のたわけたち』、第三十八夜目がやってまいりました。新年度も折り返しになってずいぶんになりますけど、みなさん新しい環境には慣れた頃でしょうか?」
と、ここまで台本通りの挨拶が続いたのち、今度はDJヒゲマルこと、日下先輩がバトンを受け取る。
「学年が変わるっていうだけでも大変なんだから、新社会人や新入学の学生さんはもっと大変だろうねぇ。で、だ。例によりまして新年度を迎え、我々も無事、二回生へと進級いたしましたっ。拍手拍手!」
ちょうど私の真正面にあたるポジションへ置かれていたノートパソコンの配信画面に、「888888」という数字の行列、つまりは拍手の行列が大量に流れてゆく。そして、初めてまだ数分も経っていないというのに同時接続が三十もあって、私は思わず声をあげてしまいそうになった。そんなこちらをよそに、先輩たちのアドリブのやりとりはどんどんと進んで行く。
「――さてさて、オープニングの終わります前に、リスナーの皆様に重大な告知をしておきます。なんと本日から、番組に新しいメンバーが加わることとなりました。いったいどんな人なのか? それは本編に入ってからのお楽しみということで、今夜も十一時までお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げま~す」
マイクの接続が切れ、曲のみがイヤホンいっぱいに響くところへ、先輩が声をかけてきた。
「いよいよ出番だぜ。よろしく頼むよ、アシスタントのハルちゃん……」
「は、はい。うっかり本名出さないように、気を付けますね……」
本名が「秋生」だから「ハル」という安直な具合に決めてみたのだが、悪い気はしない。春爛漫、まだまだ香る桜の匂いを思い起こさせて、ほんわかとした気分になる。
やがて、曲が終わってマイクの接続が戻った。
「あらためましておばんちは、DJヒゲマルです」
「はい、その相方のマコトちゃんです」
「それでは予告通りご紹介いたしましょう。おいでませ~、ハルちゃんさーん」
目の前に置かれた私専用の小さなベロシティマイクの接続が入り、キューサインが飛び出す。
「――みなさんこんばんは、そしてはじめまして。元演劇部の新大学一回生、アシスタントのハルですっ。初対面の時まで、ヒゲマルさんに男子だと勘違いされていました!」
「ぎえー、それは言わない約束じゃんよぉ~」
もちろん、ここまでは台本通りである。最初はちょっとクサいからと嫌がったのだが、案の定先輩の言う通り、画面の上を大量の「草」やら「www」が流れ、歓迎ムードの「よろしく~」や「こんばんは~」が流れてゆく。郷に入らばなんとか、とはこのことだとよくよくわかった。
「そうなんでございます、僕としたことが彼女の本名を読み間違えて、勝手に男子だと思っていたのですわ……オール男子だったらひたすら猥談とかも出来たんだけど、さすがにそいつはイケませんっ、はっ倒されます。なのでハルちゃんには今後、いままであっちへこっちへと飛び回っていたマコトちゃんの代わりにスタジオにいてもらい、彼をマイク越しに弄んでもらうポジションへ収まってもらおうと思います」
「ゲッ、ヒゲマルお前ハナからそのつもりで! ちくしょお~」
大きなベロシティマイクを挟んで、男子学生二人の顔が百面相をはじめる。これが映像付きでないのがつくづく惜しまれる。
そこからの十数分はなかなかに忙しかった。入ってくるコメントを拾って二人へ話題を振るのが主な役目ということになっていたが、これがなかなか難しい。
おかげでどんどん時間が押し、本来なら九時二十分ごろに挟む予定だった曲の始まりが九時半からにズレこんでしまった。
「――ではこのあと十時からは、例によりまして我らがラジオKINKIで一番高い機材、ゼンハイザーのガンマイクで駅前の雑踏をマコトちゃんに拾ってもらおうと思います。ほいじゃちょっくら、休憩がてら一曲行ってみよう、スリーサンズで『ハーバーライト』っ」
マイクから音楽へ切ってつないだように(カットインで)音が切り替わると、二人はそろって深い息を吐いた。
「ちょっと馬力を出しすぎたなあ。あとはもうちょい台本に乗っ取ってやるわ……。ともあれ初陣おつかれちゃん」
「いやあ、戸村さんお見事! さすが演劇部だ、堂々たるもんじゃあないの」
対照的な二人の言葉に、ちょっと襟足がむずがゆくなるのがわかった。
「よしてくださいよぉ、褒められると増長しますよ」
「何言ってんだい、増長は若人の特権だよぉ、大いに結構! 手綱を握るのはワシらにまかせときんしゃい」
さほど年も変わらないのに、やけにジジ臭いことを言う日下先輩に苦笑いを浮かべながら、ややぬるくなった麦茶で喉を湿らす。曲が明けると、十時からの例のコーナーまではゆったりとした調子で、最近ネットで話題になった出来事や大学周辺の話が取り留めもなく流れていった。
「まあとりあえず、総論としてはトンカツ定食はやっぱり、ソースオンリーで食うべきだと思うのですよ。みぞれおろしまでつけて赤字でつぶれちゃ、いったいどこで食えばいいんだかさっぱりわからない……」
「結局そこに着地するのかよお前ェ」
最初のほうにちょっとだけ出た、どんな揚げ物にも必ず大根おろしを添えてくる学生向けの食堂の話題で話を〆ると、壁の時計が十時ちょうどをさした。単なる雑談をしているようで、ひっきりなしに時計をにらんでいたのでちょっと感心してしまった。
「――さあて、十時になりましたので例によりまして、我らがマコトちゃんによる雑踏中継のお時間といきましょう。駅前のほう、どんな感じかなぁ?」
早々立ち上がってガンマイクを手にしていた近江先輩が、日下先輩の台詞にあわせてがらり、とアルミサッシを滑らせる。モニター用のイヤホンからは早くも、十時ちょうどに滑り込んでくる電車のブレーキ、乗り降りするお客の足音が聞こえてきている。
「結構聞いてる感じ、人数は多そうだなぁ。――新歓帰りの新入生が行列作ってるんじゃないかぁ?」
「そういやそんな時期だもんなあ。ハルちゃん、今度他の連中も呼んでおくから、まあどっかの焼き鳥屋でのんびり歓迎会でも――」
嬉しい申し出に反応して、「ありがとうございます!」と口走りかけた、まさにその時だった。
音のすさまじさにイヤホンが外れそうな、けたたましい金切声のような物音と、何か重たいものの跳ね上がる音が鼓膜を打ち、思わず耳を抑える。時間のとまったような不気味な静寂が、部屋の中いっぱいに渦巻きだしたのは、その直後だった。
一体全体、何が起きたのか?
次回の更新は7/31の午後5時を予定しております。




