おかしな二人連れ ~または、「地球儀」という名の喫茶店~
近頃は煙草の吸える喫茶店というのもずいぶん減りました。学生都市の京都もまた、その例に漏れないのかもしれませんが……。
そこからはあれよあれよと時間が流れ、いつの間にか約束の午後四時が迫ってきた。
大学前の通りを渡り、駅へと続く坂道をゆっくり下るうち、指定された喫茶店「地球儀」の収まるマンションが視界へ飛び込んできた。建物の名前はずばり、「アースマンション」。ピンクの外装はずいぶんくたびれて、怪しいホテルのような趣さえある。
「ここかぁ」
すぐ向かいにあるほかのマンション前の自販機へ背を預けながら、ちょうど十字路の端っこにある例のマンションをぼんやりと見つめる。自転車屋に古本屋、その対岸にはうどん屋さんに寿司屋、そして、アースマンションのように一階がお店になった、コンビニつきのアパート。学校以外の雑多な用事は簡単に住む、理想的な場所である。
「部屋探す時、エレベーターつきがいいって我儘言っちゃったからなあ……パパ上、すまんねぇ」
部屋探しのときに聞いたのだが、法律のからみで四階建て以上の建物にはエレベーターが必須になっているらしい。ところが、そう決まる前に出来た建物は関係がないので、京都のような学生の多い街では、四、五階建てで階段をヒイコラ昇る物件はまだまだ現役だという。見たところエレベーターなどなさそうなアースマンションだが、古い分値段も安そうだし、大学にも近くて便利そうであった。
「――そろそろ入るかぁ」
傾きかけた西日ですっかり黄昏ていた私は、入学祝の腕時計を一瞥してから「地球儀」のドアをくぐった。中はお高いホテルのラウンジをそのまま小さくしたような作りで、壁にかかったスピーカーからはクラシックがかかっていた。絵に描いたような純喫茶の趣である。
「――待ち合わせで来ているんですが、日下さんって方、いらしてませんか」
温和な顔立ちの白髪頭のマスターと、アルバイトらしい細身のお姉さんがこちらへ目線をくれる。メールに添えてあった名前に反応したのは、お姉さんのほうだった。
「ええ、来てますよ。ただ、二人して忘れ物をしたとか言って、上にあがってっちゃいましたけど……」
「上? あ、なるほど……」
その一言に、先方がなぜここを指定したのかが分かった。なんのことはない、上にいならぶ部屋のひとつが、どちらかの住まいなわけである。にしてもいったい、もう一人は何者なのだろう。
そんな疑問は、お姉さんの案内で四人掛けの席へ移ったときに氷解した。ドアの向こうからカラコロというけたたましい音が轟き、勢いよくドアベルが鳴り響いた。
「ヨーコさん、来てるかい?」
「ええ、もうそこに。――灰が散ってあんまりひどいから、席変えたわよ」
ヨーコさんと呼ばれたお姉さんの言葉に、こんもりと煙草の吸い殻を差した灰皿つきのテーブルがあったのを思い出す。ところが、それを気遣って移してもらった席は、真正面に籐細工の間仕切りがあって向こうの姿がよく見えない。うっすらと二人分、背の高いシルエットが見えるのだが――。
「やあやあ、どーもすいません。資料がひとつ抜けてたの忘れちゃってェ……」
そうこうするうちに、間仕切りの向こうから男子学生が一人、意気揚々とこちらへ顔をのぞかせた。ところが、そんな相手の格好の不思議さに、頭がちょっとオーバーヒートをしてしまった。
いったいいつから伸ばしているのかわからない、けれども一応はハサミも入っているらしい、もみ上げから顎までつながったヒゲ。洗濯はしているようだけれど、きちんと畳んだり、手入れをしているかはわからない紺の開襟シャツと、尻から手ぬぐいの下がったジーパン、そして頭にのったハンチング。
四月とはいえまだうすら寒いのに、裸足のままひっかけてある黒い鼻緒の下駄――昭和の漫画に出てきそうな大学生が、そこに立っているではないか。
「あ、あの……」
色々思うところはあったが、ひとまず挨拶をせねばならない。ところが、一度に大量の情報が入ってきたせいか、現実に頭が追い付かずうまく口が開かない。困って唇をひくつかせていると、思いがけず助け船が、相手の背後から出てきた。
「ちょっと聞きますが、あなた、今日待ち合わせの約束をしてる戸村さんで間違いないですか?」
下駄ばきでヒゲの人よりやや小柄な、年齢相応の童顔の人が声をかける。そこでようやく気が落ち着いたらしく、私はどうにか応答することができた。すると向こうは、
「やっぱりそうだ! やっぱりあれ、読みは『アキ』で合ってたんじゃねえかよ。なんだオメー、『アキオだろう、きっと男子だ』なんて言って……」
「ちくしょー、間違ってたかぁ。俺ァてっきり、奇特な性格の男子学生だとばかり思っていたんだが……わかったよ、約束通りここはオゴるよぉ」
「もしかして私、男子だと思われてたんですか!?」
居てもたってもいられずに尋ねると、ヒゲを生やしたほうが頬をかきながらその通りです……と消え入りそうな声で返事をした。
「すんません、どーも生まれつきそそっかしくって……」
「いいんですよ、別に。字面で間違えられるの、あるあるなんで」
実際、こうしたことは過去にもよくあった。本来は「アキ」と読むべきところを、字が「秋生」になっているので「アキオ」や「シュウセイ」と間違えられたりしたケースはもう両手で収まりきらない。そこへ来て、電話越しで声が低いばかりに勘違いされるのも併せたら、もうカウントすら嫌になってくる。
「お二人さん、とりあえず座ったらどお? その子も何か飲みたいだろうし……」
割って入ったヨーコさんが伝票とペンを手に促す。慌てて向かいに腰を下ろすと、ひとまず三人分のホットコーヒーがテーブルへと運ばれてきた。
「えー、どうも御見苦しいところを失礼しました。改めまして、白川大放送研――通称、ラジオKINKIの代表、二回生の日下史郎です。ほいでこっちが、うちでやってるラジオドラマの演出やら、生放送の相方をやってくれてる近江誠くん」
帽子を脱ぎ、くせのかかった髪のあらわになった日下先輩の隣で、最前助けの手を差し伸べた近江先輩が頭を下げる。
「戸村さん、メールで見たけど、きみ演劇経験者なんだってね。結構長い感じなのかな?」
「中学のお遊びみたいなのも入れたら、まあそれなりに、ですね。大学の演劇部も考えたんですけど、ちょっと事情があってそっちは辞めて……。それより、研究生募集ってありましたけれど、具体的にはどんなことをするんですか?」
こちらの問いに、近江先輩は待ってました、と言わんばかりの表情で話を始めた。
「いちおうよくある演劇サークルと変わらない感じかなぁ。ただ、発声練習やら呼吸法の訓練とかは、出入りしてる面々が大概経験者だから省くような感じでね。もっぱら、日曜日にオンエアしてるラジオドラマに出るのがメインかな。大概録音したのを流してるんだけど、時々生放送でやったりすることもあってさ」
「生でドラマを!」
どんなサークルかと思ったら、案外本格的で驚いてしまった。
「大変なんじゃないですか、効果音とか音楽とか……」
「大変なんてもんじゃあないよ。何度効果音を間違えて台無しにされたか……なあ? 日下」
隣で素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいた日下先輩が、いたたまれずにカップをソーサーへたたきつける。
「お前なあ、文句があるならせめて、もう少し早く台本を仕上げてこいっ! こっちだって準備ってもんがあるんだよ。生の時に限って、ホンも効果音リストも当日に仕上げてきやがって……」
穏やかな雰囲気だったテーブルの上に、雨雲が近寄ってきた。返す言葉で近江先輩も、日下先輩の顔を覗き込んでつらつらと不満をぶつける。
「よく言うねえ。それならもうちょっと、ラジオでの扱いを考えてもらいたいもんさ。屋外中継からスタジオへとんぼ返り……息が上がってろくにしゃべれやしねえ」
「ぬーう、そいつは申し訳ないと思ってるんだが……ちょうど都合のいいスケジュールの人がいないのはよく知ってるだろ」
「――なんかあるんですか、人手が足りない番組」
やりとりが気になって尋ねると、今度は日下先輩が口火を切り、事情が明るみに出た。なんでも、水曜日の夜に二人でやっている二時間の生放送番組でアシスタント役を追加したいのだが、どうしたわけかその日に限って都合の悪い関係者が多い。それで仕方なく、近江先輩が屋外中継のある時は現地とスタジオ――このマンションの日当たりがいい八畳の部屋にあるのだという――を放送中に行ったり来たりと、軽業師のようなことをやっているらしいのだ。
「この前なんか、リスナーの投票で決まったからって京都タワーの下から中継させてよぉ。そこから戻るの、終バスぎりぎりの時間で冷や汗かいたぜ?」
「あれは悪かった、まさかほんとに投票するやつがいるとは思わなかったんだ……。せいぜい俺は、出町柳あたりまでが関の山だと思っていたのに、あいつら人をなんだと思ってるんだろうなぁ」
「それをやらせるお前こそ、人のことをなんだと思ってるんだ! いい加減、アシスタントに代わらせるか、コーナーを辞めるか決めてくれよぉ……」
近江先輩の懇願に、そうは言っても人気コーナーだしなあ、と日下先輩は渋る。すると、思いがけずそこへ第四の人物――ウェイトレスのヨーコさんが割って入ってきた。
「お二人さん、さっきからずいぶんあれこれ言ってるけど……ちょうどよさそうな解決策があるの、気づかないの?」
めいめいのコップへお冷やを継ぎ、意味深な笑みを浮かべるヨーコさんに先輩二人の視線が寄る。
「――あ、ああっ!?」
「な、なんですか先輩……」
目を見開く日下先輩の咆哮に、こちらは思わずカップを落としそうになる。
「戸村さん、つかぬことを伺いますが……あなた今、木曜の午前に講義を入れてたりします?」
「いえ、全ッ然。――まだ修正効くから、一限のを履修から外そうとしてたとこなんです」
憎たらしい小姑の顔がすっと、脳裏から掻き消える。こちらの言葉に、日下先輩は深々頭を下げ、
「お願いしますっ、どうか水曜のトーク番組に、アシスタントとして加盟してもらえませんでしょうか……この通りっ!」
「え、ええっ!?」
薄々感づいてはいたけれど、こう面と向かって言われてはさすがに驚かざるを得ない。だが、続く近江先輩の言葉が、さらなる一押しになった。
「毎回とはいかないけど、終わった後にどっか近場で打ち上げをやってるんだ。軽く一杯、こいつの奢りで甘いもの飲んでから眠るの、なかなか悪くないと思うけれど……」
「わ、やった!」
打ち上げ付きで、なおかつご相伴にあずかれるなら悪い気はしない。かなり不純な理由ではあるものの、その日のうちに私は加盟申し込みと、来たる水曜日の晩にアースマンション四階の日下先輩の部屋への訪問を決めたのだった。
思いがけず登板も決まった戸村でしたが、はてさて、いったいどうなるのやら?




