最終話「そして光は地に墜ちて」⑦
尻をついて脱力し、うなだれたまま動かない神楽夜に、にじり寄る足音がひとつする。
足音の主――翳祇鍾馗は、体中に青い焔の残滓を残しつつも、徒手空拳にて屹立し、厳めしい面で少女を睨みつける。
次いでその目を傍らへと流せば、右肘からさきがない盟友の亡骸が横たわっている。
「姉ちゃんッ!」
駆け抜けた朔夜の叫びに、鍾馗は視線を神楽夜に戻した。
少女はゆっくりと、まるで陽に向けて頭を持ち上げる花のように、身を起こす。
「……カグヤ、か?」
鍾馗は、娘がまとう得体の知れない圧に睨みを深くした。
すると、
「カゲルギ・ショウキ」
左半身を前に仁王立ちする神楽夜は、切り裂くような厳粛なる一声を響かせ、
「――あんたは正しい」
と、あろうことかそう断じた。
てっきり糾弾されるとばかり考えていた男としては、不意をつかれた格好だ。その物言いに訝しく眉根を寄せれば、神楽夜は足元に横たわる父に視線を落としたまま、言葉を続けた。
「もっと求めるべきだった。あがくべきだった。自分がどこから来て、どこへ行くべきなのか……ただそれだけを、求め続けるべきだった」
そう言って悩ましげ瞼を閉じる。
しかし次の瞬間、
「でも」
と開けられた瞳には、実に研ぎ澄まされた意志が光っていた。
そして呼応するかのように、娘の右腕に炎がともる。
アービターの証たるあの青白き焔が、逆巻く闘気の顕現として燃え盛る。
その輝きに父の満足げな顔が照らされた時、
「いまは、真実なんてなくていい。積み重ねてきた過去が、確かに私にあるから」
威武神楽夜は、しかと己が宿敵を睨み見た。
「――ワシは悪か、カグヤ?」
男は問う。
「ああ」
「ならば如何とする、アービター」
語気を強める鍾馗に、神楽夜はしめやかに半身で構えた。
右腕に焔を宿すそのさまは、若かりし頃の灯弥を彷彿とさせる。いまや紅き眼に甘さはなく、相手の隙を見逃すまいと冷血な光を宿すのみだ。
そこに過ぎ去った日々を幻視した末、鍾馗は静かに構えを取った。
「姉ちゃん……爺ちゃん……」
ふたりを哀しげに見守る朔夜の前で、両者は、揺れがひと際激しくなったのを合図に、残像を引いて肉薄した。
どちらともなく拳を繰り出し、それを払い、また打ち出す。
そうして刹那のうちに、百は優に超える拳の応酬が繰り広げられる。
そのどれもが互いに見知った技だ。日々、ともに修練を重ねてきたのだから当然である。
されど、
「ぐッ!?」
寸でのところで躱した鍾馗は驚愕した。
放たれる拳はすべて見えている。
見えている、はずなのに。
(なんだ……!)
こちらの守りよりも速く、この娘の拳は風を切る。
一打、二打と、徐々にその身を捉える数が増えていく。
そして娘が修羅のごとく絶叫をあげた瞬間、
「――カァァグヤァァアッ!!」
鍾馗はついに、そう叫ばずにはいられなくなった。
しかし神楽夜は、切り返す鍾馗の拳をいなし、疾風怒濤の攻めをさらに加速する。
アービターによる変革。もとより常人では捉えきれぬ早業が、神速すらも凌駕する。
青き焔が尾を引くたび、男はそれに応じながら叫んだ。
「いまならばわかるだろう、カグヤ! その力こそ、星の命脈であると!」
「これはそんな大したモンじゃない! 人には過ぎた代物だ!」
「否ッ! 誰しもが弱者を演じ、世界を閉じた輪に変えようとする。そこに楔を打ち込むは、アービターをもってほかにない!」
この男らしからぬ強引な一撃が、神楽夜の顔面を歪ませた。
耐え切れずに大きく仰け反り、鮮血を噴き上げる。だが娘は黒髪を振り乱し、すぐに悪鬼のごとき顔で、
「だから日本を撃ったのか!」
そう男の腹を抉るように殴り上げた。
けれどその程度で倒れる鍾馗ではない。
「いかにも! 我が国は月の庇護に頼りすぎた。自らが弱者であることを、諦めをもって受け入れた結果だ!」
怒号とともに殴り返し、
「だがな、カグヤ。滅びのさきには必ず、再生がある!」
そう続けた。
「父さんと同じことを! 破壊しかもたらさないやつが無責任な!」
神楽夜はすかさず殴りかかるが、その腕はたやすく躱される。
次いですれ違いざま、ラリアットの要領で首に腕をまわされ、
「無責任なのは地上のやつらぞ!」
という叫びとともに、背中から床へ豪快に叩きつけられた。
「ぁ、かッ!」
鉄の床が陥没しただけでも、その威力のほどは知れるだろう。
いくら素早くとも、積み重ねた経年の差は埋めきれない。その事実が、如実に表れた瞬間であった。
続けざまに鍾馗は、仰向けに倒れる神楽夜へ一切の容赦なく、鉄拳を振り落とす。それに対し神楽夜は、咄嗟に跳び起きて間合いを取った。
だが、舞い上がった粉塵を斬り裂き、鍾馗は猛追した。
「スミレたちは脅威だった繭を退けた。だのに、次はアービターが脅威だと? スミレたちは英雄だ! その行いさえも嘘にするというのだ、やつらは!」
ここで神楽夜ははじめて、目視できぬ鍾馗の一撃に瞠目した。防ぐこともままならず、腹に拳をねじ込まれる。
目を白黒させる彼女を、鍾馗は破竹の勢いで攻め立てた。
「怖かったのだろう! アービターという力は世界を救った! 連合では太刀打ちできぬ繭に打ち勝って! それは新たな秩序の誕生を予感させた! ゆえに消そうとしたのだ!」
男が放つ拳に、怒気が乗る。
「だがそれさえも、世のニンゲンどもにはどうでもいいこと。所詮は他人事よ! なにをなそうが、画面越しに見る娯楽に変わりない!」
凄まじい暴力の嵐にさらされながら、神楽夜は疑問を抱いた。当事者である父ならばいざ知らず、同じ時を過ごしただけのこの男が、なぜこうまで嚇怒できるのか。
友のための義憤か。
しかし神楽夜はそこに、違う想いを感じずにはいられなかった。
「なんであんたが!」
防戦から一転、拳を突き出す。
が、その速さにももう慣れている。見切った鍾馗は最小限の動きで躱すよう、その身を動かそうとした。
ところが、
「ぬッ!」
体内に続く酷烈な痛みが限度を超え、やむなく身を固くした鍾馗は、顔面に豪快な一発をもろに受けた。
これを好機と見た娘は畳みかける。
「それでも父さんは明日を選んだ! やり方は間違ったかもしれない。でも、その想いはたったひとつを向いていた! なのにッ!!」
「過去があるからこそだろう!」
「過去……!」
よもや男の口からその言葉が出るとは思わず、神楽夜は息を呑んだ。そこへ無慈悲にも拳はねじ込まれる。
「積み重ねてきた自分があるからだ! だがワシはどうだ……! 自分が何者かもわからず、なにをしようにも偽りのように感じるこのワシは! この虚しさがわかるか! カグヤ、お前ならばわかるはずだ!」
「あんたは……」
狂気と哀愁を帯びていく男の猛攻に、娘は打ち返すことを忘れた。一方的に殴られ、蹴られ、宙を舞った末に、とうとう床に背をつけた。
鍾馗はそれに追撃せず、わずかに持ち上げた両手に、この世の終わりを悟ったような失意に満ちた顔を向ける。
「過去がないワシがなすことに、一体どれだけの真実がある? カゲルギ・ショウキには『なった証』がないというのに……。ならば、この命の終い方は、それを得るに足らねばならぬ。証なき己でなく、誰かのためにこそ!」
「誰かの、ため」
神楽夜はボロ雑巾のようになりながらも、歯を食いしばって身を起こした。
それを見据える鍾馗は、とつとつと言葉を紡いだ。
「……ある嵐の夜、身元のわからぬひとりの青年が、山のなかで見つかった。まだ息のあったその者は記憶がなく、助けた翳祇家にそのまま養子となり、『鍾馗』の名を授かった――」
「おな、じ……」
神楽夜は愕然とした。
「そう、ワシもお前と同じよ……。よるべたる過去がなく、それゆえにここに至った、放浪者に過ぎぬ」
「他人に望みを託して、それで自分を証明しようってのか……!」
「然り」
おごそかに断ずる鍾馗は確信に満ちている。その果てに望む答えがある、この道こそが翳祇鍾馗にふさわしいと言わんばかりだ。
そう。目的のためならばいかなる犠牲もいとわない。己の命さえも。それが翳祇流の長、神楽夜の知る「翳祇鍾馗」という男に相違ない。
しかし娘にはもうわかる。断片的に見てきたその像はどれも、揺らぐこの男がすがった結果に過ぎないのだと。
ゆえに今度はその命をもって事をなし、それで己が存在を刻みつけようというのだろう。
ならばなおさら意味がない。この期に及んでまだ「翳祇家の鍾馗」らしくあろうとするなど、まったくもって、求めるところから乖離している。
神楽夜は目つきに険を込めた。
「らしさなんて、他人が勝手につけるもんだ。そんなもんに振り回されて、意味がないって、あんたはずっと前からわかってたんじゃないのか」
でなければ自分に対し「芯がない」などとは言えぬはずである。
「あんたはあんただ、カゲルギ・ショウキ! いまここにいるのは、大切なものがひとつでもあるからだろう! それだけじゃ駄目なのか!」
叫ぶ神楽夜に、
「その真実が見えぬと言っておるのだッ!」
鍾馗は怒号をあげながら間合いを詰めた。
「求めてきた――果てなく己の内に求めてきた! 己は何者かと。どこから出で、どこへ向かうべきなのかと!」
鍾馗が拳に乗せる赫怒ともいえるその感情を、神楽夜はよく知っている。されど急所めがけ鋭さを増す猛打の嵐に、同情を挟む余地はない。
「そのために生きてきた! だがこのざまだ! ついぞ答えは見えぬまま、あまつさえ身は朽ちる一方! せめてもの証を求めてなにが悪い!」
「他人を犠牲にしてまで!」
「誰しもがそうだろう! 数多の犠牲の上に立っているのだ! すべからくヒトは! 貴様も、貴様の親父も!」
その一瞬、神楽夜は散っていった者たちの顔が次々に脳裏に浮かび、小さく息を呑んだ。
しかし、
「――そうだ。そうとも!」
鍾馗の放つ一打を躱し、足に踏ん張りをきかせ、
「だからッ!」
とすぐさま拳を繰り出す。その豪速の一撃は、咄嗟に防いだ鍾馗の身を問答無用に弾き飛ばした。
そして神楽夜は拳を突き出した体勢のまま、
「打ち貫くは、我が拳ッ!!」
全身を青と金色の焔で包み込む。
床をうしろに向かって滑りながら着地した鍾馗は、そのさまに瞠目した。
娘が放つ烈々たる闘気、そのまわりに、寄り添い立つかの者たちの姿があったのだ。
ジック、アルマ、クガイ、イネッサ、マシュー、レジーナ――それだけではない。鍾馗の目には麟寺や白神、そして灯弥の姿も見えた。
思わず言葉を失った男に、
「問い続けろ!」
と、対する娘の声が刺さる。
「求め続けろ。その自分は嘘じゃない。もがき苦しんだ日々は嘘じゃない! 言ったはずだ、あんたは正しいと!」
神楽夜は構えることなく、鍾馗を真っ向から見据えた。
「たとえいまの自分に、どれだけ納得できなくても……一緒にいてくれる人は、確かにいたんだ。――そのかけがえのない時間は、紛れもなく自分だけのものだ! そうだろう、ショウキッ!」
叫ぶ神楽夜に友の姿が重なった男は、揺らぐその目に幻視した。
澄澪と、そして灯弥や麟寺と過ごした、晴れ渡るかつての日々を。
「ワ、シは――」
「それが!」
神楽夜はすかさず吼えたて、腰を落とす。その刹那、
「――俺はァッ!」
鍾馗はなにかを振り払うようにかぶりを振りながら、深い嘆きに歪めた顔で構えを取った。
間髪入れず、神楽夜は跳ぶ。
その果てに――。
「自分自身の――生きた証だァァァアアッ!!」
炎の尾を天翔ける龍のごとく引き、神楽夜は凄絶なる咆哮とともに男の胸を穿った。
だが同時に、娘の腹にも突き上げるようにして鉄拳がねじ込まれている。
破裂音にも似た凄まじい爆音をさせたそれきり、両者は、この大広間のただなかでぴたりと動きを止めた。
やがて突き出された娘の右腕から音もなく、青白い焔が鍾馗の全身に燃え広がっていく。
すると、
「そうだ――それでいい」
鍾馗は実に穏やかな声色でそう告げ、背中から倒れはじめた。
「老師……」
腹に感じていた拳の熱が遠のくにつれ、張り詰めていた糸が切れた神楽夜は、よろめきながらあとずさった。
と、その踵になにかが当たる。はたと首をねじ向ければ、そこに転がる刀に刻まれた「心王」の二文字が、その目に飛び込んだ。
「カグヤよ……」
呼び声に首を戻したさきで仰向けに倒れた翳祇鍾馗は、虚空を見つめたまま口を開く。
「英雄になれ。――父と、散っていった多くの者の、ために」
そして、
「それが、ワシの……生きた……証」
と、口端にかすかな笑みをたたえた。
そのさまに、娘はこの男の真意を悟った気がした。
誰かのため。さっき、この男はそう言ったのだ。
「老師。まさか、はじめから……」
灯弥に討たれることで、彼を再び英雄にしようとしていたのではないのか。そんな娘の当て推量を肯定するかのように、鍾馗は深い呼吸とともに瞳を閉じた。
神楽夜にすれば、なおさら解せない話である。
「じゃあ、なんで撃ったんだ。帰る場所を奪う必要なんて」
問いに鍾馗は静かに目を開けた。
「――戦乱を、望む者がいる」
「戦乱……?」
眉をひそめる神楽夜に、
「だが、この道を選んだのは、ワシ自身だ。ゆえに、その責はすべて――ワシが負う。たとえ、利用する者が――いたと、しても……」
鍾馗はみるみる覇気を失いながらも、懸命に言葉を紡いだ。
「それにな……いまならばわかる。これが、天命であったのだ。ヒトならざる者の――マキナであるワシの……」
「マキナ……」
神楽夜は特に驚かなかった。鍾馗の身のまわりに数字の羅列が流れるのを見た時から、その予感はあったのだ。
「いずれ、お前にもわかる時が、くる――」
「老、師……」
「しかし、数奇な、ものだ……。同じ相手に、二度も……敗れる、とは――」
「え――」
その妙な言を問い質したかったが、もう遅い。
眠るように逝った男を悲痛な面持ちで見届けた神楽夜は、魂の抜け殻と化したようにその場に座り込んだ。
「姉ちゃん!」
鍾馗が事切れたことで自由を得た朔夜は、そんな姉のもとへ、その巨体で這い寄った。
そうする間にも、ミョルニルの揺れは激しさを増す。
「逃げよう! もうだめだ!」
朔夜は焦燥を露わに促すが、姉は呆けたままだ。
「姉ちゃんッ!」
呼び声にもとうとう怒気が込められる。それでようやく我に返った神楽夜は立ち上がろうとし、その矢先、傍らに転がる抜き身の刀に目をやった。
ついぞ血の味を知らなかったその刀は、まるで数刻前の己のようだ。
だが――いまは違う。
「早く!」
弟に再び催促され、彼女は拾い上げた刀を背中の鞘に戻し、青き巨体が差し出す右手に飛び乗る。が、そこではたと思い至り、
「待って、父さんたちを!」
と弟を見上げた。せめて国の土に還してやりたいと考えたのである。
しかし、
「そんな余裕ない!」
弟にぴしゃりと切り捨てられ、機体の胸元で光る<ネビュラ・クォーツ>へ押し込まれた。
無論、朔夜とて想いは同じだ。けれど、その身を襲う揺れは尋常ではない。間違いなくこの大型兵器は、地球への落下をはじめている。
朔夜はすぐさま機体を反転させると、ヴェントゥスのもとへ急いだ。




