最終話「そして光は地に墜ちて」⑧
港に至ると、ヴェントゥスはすでに稼働状態にあった。さきんじて起動させていたのである。
その船底からは、グスタフを格納するためのハンガーが角柱のように伸び、ふたりの帰還を待っている。朔夜がそこへ機体を滑り込ませると、角柱はゆっくりと上昇をはじめ、すっぽりと船内に収まった。
そして内部に至るや否や、朔夜はなんの予告もなく、姉を胸の宝珠から放り出す。
自らの意思に反して宙に浮くこととなった神楽夜は、
「おわ、ちょッ!?」
などと素っ頓狂な声を上げながら目を丸くし、無様にも溺れるように四肢をばたつかせる。なんとも間抜けなありさまだ。
青き機体はそんな姉を片手に収めると、白い「4」の字が書かれた臙脂色のコンテナの前にそっと下ろした。
「新しいのに着替えて」
急き立てるように朔夜は言う。
神楽夜としてはこのままでもなんら問題はない。どのみち、この青い機体に乗ったままでいるつもりだったのだ。
「なんで」
当然ながらそう訊いた。
すると、弟は突拍子もないことを言い出した。
「これを解体する」
「これって、ミョルニル!?」
「うん。少しでも被害を抑えるには、それしかない。でも、どうなるかわかんないから……」
だから着替えろと。それはもっともだが、神楽夜には疑問が残る。
「どうすんの」
まさか地道に破壊するわけはあるまい。それならば、動力炉を破壊したほうがまだ手っ取り早かったはずだ。
「同化して、接合部で分離する。制御室の爆発で、プロテクトに隙間ができたんだ。そこから行ける。――ただ」
そうこうしているうちに、船内の揺れも激しさを増してきた。艦を押さえる固定具から伝わってきているのだ。
片膝をついた青い機体は姉を見下ろしながら、淡々と言葉を続けた。
「前みたいに触ってなきゃだめで……。だから、姉ちゃんはさきに出てほしいんだ。僕はある程度分離したら、爺ちゃんの艦で逃げるから」
だが、弟の話にいまひとつ合点がいかない姉は、訝しく口を開こうとした。
しかし、
「時間がない。早く!」
朔夜は強まった揺れを機に言い捨て、ハンガーへと踵を返す。駆けるその背中に嫌な直感を覚えた神楽夜は、堪えきれずに呼び止めた。
けれど、
「大丈夫。外に出るまでは僕がやるから!」
朔夜はそれだけをせわしなく言い残し、壁沿いのハンガーごと下方へ消えた。
「サク……」
追いたくとも、自分が行ったところで役には立つまい。できることがあるとすれば、朔夜の言うとおり、いち早く脱出することだけである。
娘は露わになっている右腕をわずかに持ち上げると、そこに悔しげな視線を落とした。
――英雄になれ。
脳裏によみがえった鍾馗の声に、
(そんなもの……!)
と神楽夜はきつく瞼を閉じ、かぶりを振ったのも束の間、コンテナへ身を翻した。
片や船外に出た青いアーキグスタフのなかで、朔夜はヴェントゥスへ向けていた寂しげな眼差しから一転、信念のこもった眼光を壁へと滑らせる。
<ミョルニル>の大きさはグスタフの比ではない。これだけの大物となると、いまの自分ではひとりで手に負えるか不安なところだ。
(でも――)
父たちも、もう地上の破壊は望むまい。なにより、姉の帰る場所を死の星とするわけにはいかない。
朔夜は意を決すると全身の推進器から猛火を吹き、無機質な鉄の壁めがけて一直線に翔け、右腕をめり込ませた。
そこを中心として放射状に、青い光の筋が、壁面をあみだ模様のように伝い広がっていく。
そのさまを見届けた朔夜は、再び、赤き艦へ首をねじ向けた。
発進位置に向けて移動をはじめたヴェントゥスの艦橋には、新しい黒いパイロットスーツを着た姉の姿があった。ガラスに張りつくように身を寄せた姉は、ヘルメットをしていないこともあり、紅い瞳を不安に曇らせる痛ましい顔がよく見て取れる。
そんな弟のまなざしに気づいた神楽夜は、届かないと知りながらも名を叫んだ。
「サク!」
すると直後、
「――姉ちゃん」
と、操縦席のほうから声が響く。
「サク!」
慌てて駆け寄れば、
「大丈夫だよ、姉ちゃん。――また、会えるから」
弟はそんな不吉なことを言った。
「なに言って――!」
神楽夜は縁起でもないと文句を垂れようとした。
が、続く朔夜の言に機先を制される。
「このさきはきっと、彼が守ってくれる。――君だけの、黄金の騎士が」
その言葉に呼び覚まされたのは言わずもがな、いまはなき東京で相対した、あの黄金の騎士だ。
「私、だけの……?」
彼女は怪訝に眉根を寄せた。
しかしそれも寸秒、操縦席の画面や計器類から黄金の光が放出し、全身にゆったりと慣性がかかりだす。神楽夜はぞっとして外の青い機体へ顔を振り向けた。
「まさか……サク!」
いまさらながら気づいたところで、加速をはじめた艦は止まらない。
「サク! サクッ! サクヤッ!」
神楽夜が叫ぶ間もヴェントゥスは進み続け、なめらかに暗黒の宇宙へ飛び出した。
その船尾に光る推進器の輝きを見送り、
「――頼んだよ」
とつぶやいた朔夜は、顔を戻すなり目つきを鋭くする。
途端、青い機体の胸に光る<ネビュラ・クォーツ>から極光が放たれ、港全体の壁が青く発光をはじめる。
港だけではない。壁面をあみだ模様のごとく這う青い光の筋は、この大型兵器全体に広がっていく。
ほどなくして、宇宙に浮かぶ黒い傘のようだったミョルニルは、ぼうっと青い光を放ちだした。
神楽夜は遠くなるその光景を、降下するヴェントゥスのブリッジから愕然と見上げる。次いで短く息を呑み、悲痛な眼を見開いた。
小さな爆発らしき光が、ミョルニルのあちこちで生まれている。朔夜による切り離しがはじまったのだ。
しかし、地上に至る前にいったいどれだけが燃え尽きることか。ミョルニルはすでに地上四百キロメートルにまで迫っている。
頃合いとしては、地球連合が低衛星軌道上での防衛を目的に構築した、迎撃用のミサイルが飛んできてもおかしくはない。されど、以前ジックが触れたように、地上は至って静かなままだ。
それがどれだけ異常な事態なのか想像する余地もなく、神楽夜は、微振動がはじまったヴェントゥスのなかで、ただひたすらに弟の名を叫び続ける。
その叫声は、流星のごとく降り注ぐ数多の光を引き連れて、母なる星へと墜ちていった。
最終話「そして光は地に墜ちて」
砂上にひと筋の溝を作ったそのさきに、不時着した赤き艦の姿はあった。
砂塵吹きすさぶなか降り立った娘は、よろめきながら数歩進んだのち、力なく崩れ落ちる。
理由がほしかった。自分が自分であるという、そのはじまりがほしかった。
そして知った。積み重ねた日々の果てにこそ、求めるものはあるのだと。
ならば――。
ならばこれが、求めた結果なのか。
「……違う! 私は!」
神楽夜は心痛のあまり顔を歪ませ、しおれるように上体を前に倒し、土下座するがごとく額を砂に押しつけた。
その脳裏に、
――大丈夫だよ、姉ちゃん。また、会えるから。
弟のあの言葉がよみがえる。
彼女は渋面のまま瞼を上げ、わずかに身を起こすと、握り締めた両手を手前に返し、眼下で開いた。
するすると零れ落ちていく砂は、まるで救えなかった数多の命のようだ。
そこに、翳祇鍾馗の声が、こだまする。
――カグヤよ。英雄になれ。父と、散っていった多くの者の、ために。
「私はァァアアッ!!」
開いた両手を再び握り締めた神楽夜は、悲痛な面持ちで天へ叫び上げた。
砂ばかりの黄昏は、絶え間ない少女の慟哭を吸い込んでいく。
その頭上――いつか見たような茜色の空には、これから地を焼く星の群れが、燦然と光り輝いていた。
*
昼間だというのに相も変わらずひとけがないクラドノの街に、どこからか途切れ途切れの声がする。
声は女性のものだ。報道に従事する者らしい明瞭な口調で、なにかを伝えている。
「――ジデンス側の宣戦布告から数時間が経過しましたが、連合のハウトマン中将は、『正義は我々にある』との主張を続けております」
どうやらそれらの声は、石畳の道端に止められた一台の黒いホバーバイクからしているらしい。とげとげしいなりをしたその機体に、搭乗者の姿はない。
今度は男の声が続いた。
「衛星兵器の落下から早半年。その責任が問われるなかでの開戦。……連日の報道にもある、赤い目をした女の襲撃も続いているとのことですが、果たして――」
と、そこで突如、雑音まみれの声は途切れる。
音の出どころであったホバーバイクのラジオが切られたのだ。
画面上に「OFF」と表示された操作盤から、白く細い指先が離れる。
次いで車体は搭乗してきた者の重みに軽く上下し、直後、吹かされたアクセルの勇ましい音に震えた。
そして黒いホバーバイクは、すぐさま風を切って走り去る。
そこに。
うしろでひとつに結わえた長い黒髪が、尾を引いた――。
第一章「黄昏の少女」 (了)




