最終話「そして光は地に墜ちて」⑤
「姉ちゃん! 姉ちゃん!」
朔夜は通信が途絶えた姉を必死に呼ぶが、応答はない。
「なにが……」
いま戻ろうにも、制御室までの通路は塞がれている。グスタフの力に任せ、強引に突破しようと思えばできるが、それをしなかったのは隔壁の作動を避けるためだ。余計な障壁を増やし、面倒になるだけだからである。
だが、もはや考えている場合ではない。
(姉ちゃん……!)
慌ててもと来た道を戻ろうと身を翻した直後、
「これ、まさか……」
朔夜は、機体が検知した生体反応に足を止めた。
「カグヤだ」
鍾馗は、頭上を怪訝に見上げる灯弥に言った。爆発の振動と音は、ちょうど真下にあたるここにも届いていた。
「なにをした」
「仕掛けをな。これでこのミョルニルは、誰にも制御できなくなった。重力の井戸に呑み込まれ、落ちるのみだ」
「ショウキ!」
灯弥は不敵に笑う友を睨みつけた。するとそこへ爆音が轟き、ふたりは音のしたほうへ一斉に首をねじ向けた。
「サクヤか」
鍾馗がそう凄んださきで、グスタフ用の扉をぶち破って現れた青きアーキグスタフは、すかさず右手を開いて向ける。
そこから光弾が翔けるが早いか、鍾馗扮する黒いグスタフは瞬く間に姿を消し、相手の懐に潜り込んだ。
その身のこなし、本来の性能以上のものである。
「なるほど……!」
瞬時に勝てぬと悟った朔夜は、ここまで己を鍛え上げたこの男の執念に、忌々しくも舌を巻いた。
「いかな監視者といえど、不完全であればこの程度か」
鍾馗は足元に倒れ伏した青い機体を蔑むように見下ろし、その影にクナイを数本、投擲する。身動きを封じる<影縫い>の術だ。クナイは柄頭同士を結ぶように紫電を走らせ、朔夜から自由を奪った。
朔夜は青い機体のなかで、渋面で睨み上げた。
父を救えば状況を打開する手立てが得られると思い挑んだが、決して勝算がなかったわけではない。むしろ、負けるはずがなかった。定められた限界を修練によって超越したこの男があまりにも異常なのだ。
「貴様には訊きたいことがある。答えてもらうぞ、サクヤ!」
鍾馗は眼下に向けてそう迫った。だが、突如として胸元をかきむしるように苦しみだし、グスタフの姿を解く。
人間の姿に戻った男の胸には、青白い炎がかすかに揺れていた。
「……やっぱり、一度手にかかったんだね、君」
朔夜のその言に、
「な、に……?」
と、鍾馗は苦しげに、けれど怪訝に睨み返した。
その矢先である。
空間を震わせるような轟音がその場に反響しはじめ、一同は何事かと周囲を見回した。
音と振動は次第に大きくなる。まるで地鳴りのようだ。巨大な怪物が一歩一歩、足を踏み鳴らしているようにも聞こえる。
やがて、ひと際大きな爆音がほとばしると、頭上の闇から無数の瓦礫が降ってきた。さまざまな鉄骨にパイプ、プロペラ・ファンの残骸といったものが、滝のごとく落ちてきたのである。
三者は山をなした残骸を呆然と見つめる。と、そこにやや遅れて、黒いパイロットスーツに身を包んだ者が降り立った。
右腕の肘からさきを露わにした以外にもところどころ肌が覗き、血を滴らせるその者は、四肢をついた状態からゆらりと起き上がると、頭部を覆うヘルメットを脱ぎ捨てる。
「姉ちゃん!」
弟が上げる安堵の呼び声に応ずることなく、威武神楽夜は、黒髪の合間から赫赫とした赤き眼光を一点に注いだ。
翳祇鍾馗はその炯眼を真っ向から受けて立つ。
「その顔……本気で殺すつもりだったんだ、老師?」
「――爆風を相殺しよったな?」
即座に見抜いた鍾馗に、
「危うく木っ端微塵になるところだったけどね」
と、神楽夜は声色に凄みを利かせる。
爆発が起きたあの一瞬、神楽夜は反射的に、床めがけ闘気の激流を叩きつけた。その衝撃波が、場を覆いつくす爆風を打ち消したのである。身に着けたパイロットスーツの右腕だけが弾けているのは、圧倒的な気の発露に耐えかねたためだ。
そして、瓦礫が落ちてくる寸前まで響いていた轟音は、脱出を試みるべく繰り出した「震脚」によるものである。
「カグヤ、お前は手出しするな!」
灯弥は右腕を押さえたまま息も絶え絶えにそう叫んだ。
が、
「いいや! これはもう、私の戦いだ!」
娘は頑として突っぱねた。
その強情さはよく知るところ。灯弥は対峙する両者の間に割って入ろうと足を動かした。
しかし体は思うように力が入らず、あまつさえ意識は朦朧とするばかりである。
(くそ……!)
灯弥は歯噛みしつつ己の右腕を見やった。
肘から下が青い炎と化したその腕は、時折、ブロックノイズのように形が乱れる。さきほど鍾馗から受けた傷が災いしたか。
視線を戻せば、神楽夜と鍾馗はすでに一触即発の気勢をたぎらせていた。
「どうしてこんな……! 国を守りたかったんじゃないのか!」
神楽夜の怒りは、その願いを託されて国を出されたゆえに当然のものであろう。
されど、それだけではない。
「たくさん人が死んだ。みんなッ!」
閃光を防いで道を作ったレジーナとマシュー。国土を蹂躙するマキナと刺し違えたイネッサと九垓。愛する者のために散ったジックとアルマ。麟寺や白神もそうだ。
「みんな、これからを生きるはずだった……なのに!」
その激情は当然、傍らでそれを聞く養父にも向けられたものだ。言わずもがな察した灯弥は「カグヤ……」と痛ましく目を細めた。
そのさきで鍾馗は、
「ワシが憎いか、カグヤ?」
と、なんら詫びる様子もなく言い放つ。
これに神楽夜は答えを返すことなく、睨みを深くした。
「ならば貴様が止めるか? このワシを――」
そう続けた鍾馗の姿が、かき消える。
「カグヤ!」
「姉ちゃん!」
灯弥と朔夜が同時に叫んだ刹那、神楽夜は背後に滑り込んできた禍々しい黒い風に、瞠目しつつ身をひねった。
瞬く間にクナイによる刺突の猛攻が繰り出される。それを素手で受け流したまではよかったが、
「んぐっ……!」
守りが疎かになった腹めがけ、鋭い蹴りをねじ込まれた。
娘の身は衝撃波を伴って軽々と宙を駆け、彼方の壁に叩きつけられる。
「がッ、は……ァ」
目を剥き、口をあんぐりと開けた凄絶なる顔からは、そんな声にならぬ悲鳴しか絞り出せない。
ずるずると壁から滑り落ち、足を投げ出すようにして床に尻をついた神楽夜に、
「どうした! その刀は飾りか!」
と鍾馗は吼えながら、なおも間合いを詰めていく。
神楽夜は気力のみで鬼の形相を振り上げると、たちまち横へ跳び、突き出された一撃を寸でのところで躱した。
しかし相手は、無慈悲なる翳祇流の筆頭。獲物が逃げたさきへの仕込みは事前に済ませてある。
「いっ!?」
なんの前触れもなく左腿に走った激痛に、神楽夜は短い悲鳴を漏らしてよろついた。どこからともなく飛来した手裏剣に掠め斬られたのだ。
それが間合いを詰める瞬間に放られたものだとは、神楽夜は知るよしもない。腑抜けたように左足から崩れる体をなんとか持ち直そうと、踏ん張りをきかせるので精いっぱいである。
だが今度は右腿に、鍾馗が投げつけたクナイが突き刺さる。
支えを失った神楽夜が、すかさず飛び込んでくる鍾馗をいなすすべはない。間合いと見るや、順手で握られた左のクナイが、外へ向かって払うように振るわれる。
神楽夜はもう無我夢中であった。崩れ落ちるがまま、首筋めがけた一閃をやり過ごし、転がるように左へ跳び退く。
が、やはり「蹴り」が足りない。瞬発力に欠いた跳躍はたやすく見切られ、鍾馗が繰り出した右の裏拳が神楽夜の顔面を打ち弾いた。
次いで投擲された左のクナイは矢のごとく駆け、神楽夜の右の脇下に突き立つ。
痛みのあまり受け身すら取れず、床を盛大に転がった神楽夜はしかし、歯を食いしばりながら身を起こした。
そこへ、
「そうだ……そうとも!」
なにかに気づいたらしき翳祇鍾馗は、
「貴様が余計なことさえしなければッ!」
と鬼気迫る形相で怒声を張り上げながら、クナイを両手に襲い来る。
その瞬間、目を見開くしかない神楽夜は己の死を悟った。
――己を超える猛者と対峙してなお、まだその信念を貫くか。
いつかのアレスの声がこだまする。
(それは……)
心中に言いよどむ、神楽夜の右手が刀に伸びる。
――では潔く散るのか。
繰り返されるあの男の言葉。その刹那、
(――できない)
娘は、本能のままにそれを抜いた。
あとさきを考えぬ、上段からの大振りな一刀。
だがそれを握る娘の手は、無骨な養父の手によって受け止められた。
「――養父、さん」
驚愕したのは娘だけではない。
「トウヤ……」
クナイを突き出した鍾馗もまた、愕然としていた。
黙したまま、友を慈悲深く見つめる威武灯弥の右腕には、鍾馗が繰り出したクナイが突き出ている。
そしてその首筋にも、同じくクナイが突き刺さっていた。
鍾馗が、あらかじめ投擲していたものである。
呆然とするふたりを差し置き、
「――もう、いいんだ」
と静かに告げた灯弥は、突として厳めしい面構えとなるや、青く燃えたぎる右腕から同色の波動を解き放ち、鍾馗を彼方の壁まで吹き飛ばした。
それが体に突き立っていたクナイをも弾き飛ばしたが、低く唸り声を漏らして崩れ落ちる灯弥の首元からは、どくどくと血潮が溢れ出てきている。
「養父さんッ!」
弟とほぼ同時に叫んだ神楽夜は、刀を投げ捨ててその身を支え、床にゆっくりと横たえた。
仰向けとなった灯弥は呼吸を落ち着かせながら、右側で膝をつく娘に、優しいまなざしを黙して向ける。
「養父さん……」
神楽夜はそれ以上紡げる言葉もなく、悲愴に眉根を寄せた。
すると、
「ァァァアアアビタァァアアアッ!!」
この大広間を鳴動させるおぞましい絶叫が轟いた。
がばと見やれば、青白い炎に全身を焼かれて這いつくばる、翳祇鍾馗の姿がある。その周囲には白い数字の羅列が帯をなし、雄叫びをあげるかの者のまわりを絶え間なくまわり続けている。
そのさまに神楽夜の知る老師の面影はない。悶え苦しみながらもこちらを頑と睨みつけ、食らい殺さんばかりの顔つきは邪悪そのものだ。
「老、師……」
神楽夜はあまりの変貌ぶりにたじろいだ。と同時に小刻みな揺れがはじまり、不安げな視線をあたりに走らせる。
この変調はミョルニル発射の前兆か。それにしては激しさを増していく異常な揺れに、神楽夜がいよいよ退路を思い浮かべた時、
「カグヤ……」
と養父が力なく口を開き、娘は首を戻した。
「養父さん」
「もう、すぐ……これは、地球に墜ちる。その前に破壊するんだ」
「でも……」
自分にはそうするすべがない。朔夜はあのとおり囚われの身だ。
だが、当惑するあまり悔しげに歯噛みする彼女の眼前に、灯弥は燃える右腕を持ち上げた。
「……お前に、託す」
そう言って差し出されたその腕から、神楽夜は養父の顔へ目を戻す。
それを受け止めた灯弥は、どこか哀憐混じる微笑みを浮かべ、
「はじめから……ゼルクはお前たちを守るために、送ったんだ」
娘が聞いたことのないくらい穏やかな声色でそう告げた。
――違う! あれは備えだ。守るための!
クラドノにて三年ぶりの再会を果たしたあの時、この男は確かにそう言っていた。
――サクヤを連れて日本へ帰れ、カグヤ。
砂漠で相対したあの時も。
――お前たちはもうここから出るな。
久方ぶりに囲炉裏を囲んだあの時も。
「ずっと、あなたは……」
愕然と声を漏らした娘の頬を、男の右手は優しく撫でる。
そして、
「生きろ、カグヤ」
紡がれる言葉に、
「自分だけじゃない……誰かを守れるように」
神楽夜は息を呑んだ。
――この世は輪っかなんだ、カグヤ。
そう、それは。
「と――」
この男がくれたたったひとつの、
「――父さん!」
たったひとつの、愛だった――。
互いを称え合うかのように組み合わされた右手から、青白い炎が燃え盛る。焔はやがて頭上めがけて凄まじい閃光を放ち、親子を包み込んだ。
「ぬぅううッ!」
いままさに襲い掛かろうとしていた鍾馗は、ふたりが放つ光芒を前に、まるで突風に阻まれるかのごとく弾き飛ばされる。
その時、神楽夜は、視界に砂嵐のようなノイズが走るのを感じ、激しい頭痛に襲われた。
「ぐ、ぅ……!」
耐え忍ぶ間にも視界の砂嵐は酷くなっていく。右腕には青い光の筋がいくつも浮かび、彼女の身は気でも狂ったかのようにがたがたと震えだした。
青き暴風のなかでどうすることもできぬまま、右腕から発した強烈な光に呑まれ、神楽夜の意識はそこで唐突に途切れた。




