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第十八話「零れゆく命」②


      *


 日本の国土までおよそ二百海里、排他的経済水域ぎりぎりの上空に展開した連合軍艦隊は、若狭湾付近に青い光条が立ち昇ってから続く変調をつぶさに観察し続けていた。

 ひと際巨大な旗艦を中心に円形の陣を敷き、夜天に滞空する黒い艦船は、もはや数えることすら億劫になるほどの物量である。そこに、この艦隊を指揮する者の覚悟の深さが窺えよう。

 ミルコゥ・コルネリース・ハウトマン。地上の統一という、昔年の悲願をいまこそ成就せんと王手をかけたかの男は、いまだ仮初の玉座に腰を落ち着け、事の成り行きを粛々と睨みつけている。

 広々とした艦橋内を一段高い位置から見渡すその視界には、慌ただしく眼前のモニターに向き合う兵員たちの背中がある。戦闘がはじまったわけでもないのにこう忙しないのは、ひとえに、日本国内から宇宙めがけ、一個の飛翔体が打ち上がったことが原因だ。

(マスドライバー……)

 ハウトマンは顎をさすりながら心中にそうつぶやき、睨みを鋭くする。

 視線を向ける艦橋前方にある巨大なモニターには、飛翔体が描く軌道の予測が表示されている。ハウトマンが訝しむのはそれだ。三次元的に描き出された日本列島から上へと伸びた赤い点線は、成層圏を突破した挙句、低軌道上(地上約二千キロ)にまで達している。

(逃げた、というわけではないでしょうねえ)

 兵士はみな、鎖国同然の日本がそんな代物を隠し持っていたことに驚いているのだが、この男にしてみれば予想の範疇だ。そちらについては別にどうでもよく、打ち上がった輸送艦に誰が、そしてなにが乗っていたかのほうがよほど重要であった。

 一番に考え得るのは、国家元首たる白神とその側近たちが、自国を捨てて宇宙へ逃亡を図った線だ。それならば、さきほどから垣間見える動乱の兆候も頷ける。

 が、その可能性は低いだろうとハウトマンは見積もっていた。

 長らく日本の動向に着目してきた彼だからこそわかる、嗅覚や勘といった類のものが報せるのだ。日本は白銀機関の庇護下から外れつつあると。

 その確信を抱いたのは、赤い艦が日本から出たという事実を知った時である。ハウトマンは以前さる筋から、東京が黄金の繭出現によって壊滅したと聞かされている。それだけに今回の日本の行動は、実に主体的で、かつ、性急なものに映った。困難に直面し、いよいよ自力で解決せざるを得なくなったと見るに充分に思えたのだ。

 ただし確証はない。その点では大博打もいいところだ。だが現状、交渉の場に白銀機関の姿は見えない。事実上の無条件降伏を通達したのだから、もしいまも白銀機関が関与を続けているのなら、逆にこちらの口をこじ開けて、咽頭まで銃口をねじ込ませてくるくらいのことはするはずだ。

 それがないということは、賭けは自分の勝ち。すなわち、たとえ宇宙に逃れようとも行き場はないという証である。ゆえに彼らが宇宙へ脱したという線は薄い。

(それとも、陽動か)

 月はまだ日本と同盟関係にあり、逃亡したと見せかけて、こちらがさきに手を出すのを誘っているのか。

 果たして、それをする利点が月側にあるのかは知れないが、地球連合と事を荒立てて得することはないだろう。そうなれば、不可侵の条約を結ぶ<レジデンス>との関係性も悪くなるだけだ。

 こちらの都合よく解釈するならば、さきほどからの異変はやはり内乱の前触れで、その原因は白神が降伏を決めたから、と考えたいところだが。

(そういえば)

 と、そこでハウトマンは思考を止め、数週間前の執務室での会話を思い出した。彼がまだ上海の基地にいて、マシューから赤い艦とアーキグスタフの報告を聞いていた頃のことである。

 ――実は宇宙におりまして。

 ケイン・アルカンとの会話を聞かせてやったあの男は、自分との通話の最後にそんなことを言っていなかったか。

(まさか……)

 ハウトマンは脳裏を掠めた嫌な予感に、ふと、天井を睨み上げた。

 やはり、この男の勘は鋭い。だがそこまでだ。静謐(せいひつ)なる夜空の彼方でなにが起ころうとしているのか、彼には知るすべがないのだから。


 その凶兆を裏づけるように、どことも知れない暗闇のなかで、冷却ファンの稼働音が唸り声のごとく響きはじめる。続けてその闇に、ぼうっと、青白い光に照らし上げられた鍾馗(しょうき)の顔が浮かんだ。光は、彼のへそのあたりで上向きに点る四角い画面から発せられている。

 鍾馗はいつもどおりの厳めしさに加え、どこか、らしくない惑いを孕んだまなざしをその画面に落とす。そして一拍の間を置いて、そこへ躊躇いを引きずる右手を乗せた。

 画面が一瞬、その輝度を増す。

 するとあたりは昼白色の光に包まれ、すぐさまその内観を明らかにした。

 冷たい輝きを宿す墨色の床。そこに立つ鍾馗の前には、横に長い演台のような、同系色の箱が弧を描き、彼を囲んでいる。さきほど手を置いた画面は、その中央に埋め込まれた操作盤のひとつであった。

 それから手を離し、鍾馗は(おもて)を上げる。

 睨みつけたその視線のさき、黒鉄(くろがね)の壁面には、視界を覆って余りある巨大なモニターが掲げられ、地球のある一点を拡大して映していた。

 かつてマルコ・ポーロの「東方見聞録」によって、「黄金の国」として欧州に伝えられた最東端の島――日本列島である。

 夜陰に呑まれたその島は、生活の明かりが、まるでそこから銀河の縮図が覗いているかのように煌びやかだ。東京が現存していたならば、そここそもっとも光輝燦爛としていたに違いない。が、いまは名古屋、そして大阪にその席を譲る。東京は灯火ひとつない暗黒だ。

 列島から視線をわずかに左へ流せば、大陸との間に天の川のような光が見て取れる。星屑のようなそれらは日本海に展開した連合軍艦隊だ。

(やつめ――)

 鍾馗は目つきをさらに鋭くした。

 麟寺から受けた報せよりもこうして上から見た方が、よほどあの男の覚悟が知れる。ハウトマンはこの機をなんとしてでもものにする気構えだ。それが、日本海を覆い尽くさんばかりの、光の粒のおびただしさに現れている。

 だが現状、鍾馗にとっての喫緊の課題は、覚醒した青い繭を殲滅することである。いまは神楽夜たちの制御下にあるようだが、いつそこから外れるとも知れない状況だ。連合による併呑以前に、国土そのものが消えてなくなっては元も子もない。

 鍾馗は再び手元に視線を落とすや、並んだ画面の上で指を走らせた。

 室内は、前方の巨大なモニターに向かい無数の操作台と座席が並び、さながら講義室のようである。鍾馗が立つのはその中央に位置するひと際大きな操作台だ。当然ながら彼以外にひとけはないが、周囲をぐるりと囲む操作台の数からして、これはひとりで扱う代物ではないらしい。

 けれども鍾馗は難なく操作を終えて見せる。それもこれも、あのつば広帽の男の手回しがよいためだ。

 ――大変でしたよ。これだけの大物をワンマン・オペレーションしようだなんて。

 手を止めた鍾馗は、数週間前に受領した際、男がそんなことを言っていたのを思い出した。いまとなっては感謝以外ない。あの男が手配してくれなければ、姿勢制御から照準合わせといった火器管制まで、本来は数百人体制で臨むのを、鍾馗はひとりでこなさねばならなかったところだ。それがいまや、操作盤を軽くいじっただけで済んでしまう。

「恐ろしいものだ……」

 そのつぶやきは、これから己がしようとすることへの訓戒か。

 嘆息混じりに顔を持ち上げれば、モニターの映像は左右に分割されている。右手に京都市を絞り込み、左手には、低衛星軌道上から地表に向かって伸びる赤い点線が引かれ、なにかの軌道が示されていた。

 それを見やり、鍾馗は、みたび自身の手元へ視線を落とす。

 操作盤に埋め込まれた画面には、必要なすべての工程が完了し、実行指示を待つ旨が警告とともに表示されている。その案内文の下、画面上に現れたボタンには、英字で発射を意味する語句が記されていた。

(だが、これを撃ったとて)

 そう心中に迷いを吐き出す理由は、灯弥(とうや)の存在にある。

 ひとたび放てば、着弾した周囲のものをことごとく焼き尽くす。都合よく標的のみを狙撃することは、その威力の都合上不可能である。鍾馗が帽子の男に頼み、手に入れたこれはそういう兵器(もの)だ。

 いま、青い繭のそばには灯弥がいるはず。それだけではない。京都白城にて防衛を続ける白神も紫蘭も麟寺もいる。

「く……」

 苦渋の色濃く、鍾馗は両の拳を握り締めた。

 大義のためならば、この男は君主も臣下も友人も、すべてを犠牲にできると信じてきた。だのにここに至り躊躇うのは、この男もまたそこに、情というものを抱いてしまったからにほかならない。

 ――あとに続く者らが笑って生きられるよう、尽くしたいとは思わんか。

 脳裏によみがえった麟寺の言葉を振り払うように、

「……ならん。少なくとも、いまの世には」

 と、鍾馗は鬼気迫る形相で眼力を強めた。

 いまこの男の胸にさんざめくのは、身近な者への情だけではない。二十年あまり鬱積させてきた悔恨や義憤、そして、自ら「証憑」とたとえた、希望ともいえるその想い。それらを一時に果たせる好機なぞ、ここを逃せばまたとない。身の内を震わせるのはそのためだ。

 そう。これは、鍾馗にとって賭けなのだ。

 己のうちにようやく沸いた、たったひとつの生きた証。それを残すための、文字どおり命を賭けた変革なのである。

 青い繭さえなくなれば、すべてがもとに戻る。そしていまは、日本に灯弥もいる。

(ワシは――)

 右手が、かすかな震えをともなって持ち上がる。

 その想いの強さゆえにこの男は、翳祇の姓を得てからはじめて、「変わる」ということに、恐れを抱いていた。



      第十八話「零れゆく命」



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