第十四話「生きて」⑤
舞台の幕が横に開くように、舞い上がった砂塵が風にさらわれていく。
やがてそこに、無惨にうずくまるジック・ブレイズの姿が明らかになった。随分飛ばされたのだろう。灯弥は彼から十メートル以上離れたところに立ち、険しくも退屈そうな顔つきでゆっくりと間合いを詰めてきている。
その歩みが、不意に止まった。
「どけ。殺しはしない」
灯弥が発する気迫を前に、アルマ・ブレイズはたじろぐことなく両腕を広げる。そのうしろでは朔夜がジックに寄り添い、怪我の具合に顔をしかめている。
覚悟を決めた者の目はどうしてこれほどまでに鋭く、そして澄んでいるのか。立ちはだかったこの赤毛の女と横たわる男の関係を灯弥は知る由もないが、その目だけが持つ高潔さには覚えがあった。
二十年前だ。炎に包まれるプラハの光景が脳裏を掠め、灯弥は小さくかぶりを振った。
「……艦は壊させてもらう」
灯弥は女から視線を外すと、半身になり腰を落とした。次いで、軽く突き出した左手で艦までの間合いを測り、右拳は脇腹に寄せて気を練り上げる。
たちまち周囲に渦を巻くようにして風が立ち込め、地鳴りがはじまる。それと同じく、身にまとったローブがはためきだし、薄汚れた白いバンテージ(テーピングの一種)が巻かれた右腕が露わになった。
指先から肘のあたりまでのすべてを覆われたその腕に、四つ足の生物を象ったらしい青白い紋様が浮かび上がる。一見すれば鹿のようであるが、どことなく龍のようでもあり、似て非なるものだ。
それの正体を見定めようとするアルマは、夫を抱き起そうとしながら目を凝らした。
(あれが、虚空の王)
あの拳が打たれれば、艦は脆くも粉砕されることだろう。いまこの場で灯弥を止められる者はいない。
彼女は肩を貸した夫の横顔に無念そうなまなざしを向ける。そして、闘気を膨らませる灯弥へその首を戻し、歯噛みした。
すると刹那、灯弥は咄嗟に構えを解き、うしろへ飛び退く。間髪入れず、彼がいたところには夜空に紛れて飛来したクナイが三本突き立った。
それらを睨み、
「来たか」
と忌々しげにつぶやく灯弥めがけ、上空からひとつの人影が来襲する。その者は途中でローブを脱ぎ捨て、なかの忍び装束を露わにするなり、爆ぜるようにこう叫びながら殴りかかった。
「なぜここにおる、トウヤ!」
鍾馗の放つ覇気は、熱砂を駆け続けた疲れなど微塵も感じさせない。それと互角に打ち合う灯弥との間には、次第に闘気の奔流が稲妻のごとくほとばしる。
「引導を渡してやろうと思ってな」
あくまで深沈たる物言いを崩さない灯弥に、
「これ以上アービターの名を貶めるな! 本当に悪と見なされるぞ!」
と、鍾馗は堪えきれぬ激情を発露させる。が、灯弥にその心を受け取る気はないらしい。
「悪? 構わんさ。それに少なくとも俺は、自分が正しいと思うがゆえにここにいる!」
言うなり、地に放った拳圧で砂を爆裂させ、相手の視界を奪った。
それで一度は間合いを離された鍾馗であったが、その程度の砂塵は牽制にすらならない。手刀でもってすぐさま斬り裂き、再び食らいついた。
「貴様のどこに正義がある!」
肉薄を許した灯弥は繰り出される拳の猛打を躱し、不意に下から抉るように打ち込まれた掌底を払う。両者はその流れから、片腕同士でつばぜり合いのようになりながら、間近で互いの眼を睨み合った。
「再生だ、ショウキ。この世から力ある者を排斥し、弱者のふりをするやつらに考えさせるんだ。自分たちだけでなにができるかを」
「復讐か」
「無能どもは、その無能さすら理解しない。強者を担ぎ、積年のツケを払わせるだけだ。俺たちは犠牲者なんだ。時代の!」
徐々に声を荒げた灯弥の目には修羅の炎が燃えていた。それが、
「養父さん!」
と背後からした義娘の声に、一度、引き潮のごとく収まる。
「どうしてこんな」
養父の背中にそう問うが、答えはない。そのうちに灯弥は鍾馗との力の拮抗を解いて跳び上がり、ふたりを視界に収められるよう位置取りを変えた。
鍾馗は半身で構え直して機を窺う。が、神楽夜は当惑した面持ちで、いままた拳を交えようとする養父と老師を交互に見やるのみである。
それを、腕を組んで立つ灯弥は鼻で笑った。
「この状況にあっても構えひとつ取らないとはな」
そしてゆらりと腕を解き、大きく足を開いた半身で腰を落とす。右腕は肘を下げて「く」の字に曲げ、手のひらを上に向けて、目線の少し下で突き出す。左手は抱くように右肩に寄せる。
その構えは。
(鳳鱗拳……)
それまで腑に落ちない様子でいた神楽夜もさすがに身構えた。
「貴様、娘にまで手を下すつもりか!」
鍾馗はますますの赫怒を伴ってそう言うが、
「覚悟のうえだ」
やはりこの男には通じない。
「矛盾しておろうが! 守るためにとゼルクを送っておきながら、その手で害なすなど。自分で育てると言ったのを忘れたか!」
鍾馗は冷淡な物言いを改めない盟友に憤慨した。
しかし。
「ショウキ。これはけじめなんだ。そして変革でもある。ゆえに打ち貫く! 立ちはだかるものすべて、この<レクス・アカーシャ>の拳から逃れ得ぬと知れ!」
灯弥が烈火のごとき叫びとともにその右腕を握りしめれば、またも鹿のごときアービターの紋様が浮かび上がった。
同時に紫の稲妻が駆け巡り、彼のまわりの砂が弾け、砕けた岩が地の底から天へと昇りだす。
本当に人のなせる技なのか。神楽夜は凄まじい気の発露を前に吃驚し、呼吸をも忘れて愕然とした。
「ここはよい! 行け!」
鍾馗の叫びを受け、神楽夜は慌てて頷きのみを返し、己の無力さを噛み締めながら走り出す。
養父は本気だ。本気で艦を壊し、障害を取り除こうとしている。
(なんで……)
神楽夜は駆けながら怪訝に眉をひそめた。
――俺たちは犠牲者なんだ。時代の!
復讐か、と言った老師はその理由に心当たりがあるのだろう。対する灯弥はけじめであり変革であると言っていたが、どんなわけがあろうとも、まずは青い繭の脅威から国を守ることが先決ではないのか。
それとも、もはや帰る場所など不要だということなのか。
「アルマ!」
神楽夜は、朔夜とともにジックに肩を貸して歩くアルマに駆け寄ると、すぐさま彼女と入れ替わった。アルマはそれを憔悴した顔で追う。
「私……」
なにか言いたげな彼女に神楽夜は、
「行こう」
そう凛々しく答えるや、その顔を今度は片側を担ぐ弟にねじ向ける。
「サク、あんたさきに行って、ベッドとか準備して」
「わかった」
なかなかどうして男らしい顔つきになったものである。朔夜は即答とともに力強く頷くなり、<ヴェントゥス>へと駆けた。
神楽夜にしてみれば、成人男性のひとりくらい軽いものだ。アルマたちが担いでいたよりも滑らかな歩調で艦へと近づいていく。
やがて艦の側面から下ろされた艦内へ続く階段の前にたどり着いた時、
「待ってくれ!」
と少年の声に呼び止められ、神楽夜は歩みを止めて尻目に背後を見やった。
見れば、ちょうど白銀のグスタフ<エスクード>が両手でなにかを包み込むようにして、こちらに滑り込んでくるところである。
<エスクード>は片膝をついて、手の甲を砂地につけるようにして、慎重に両手を下ろす。その手から飛び出した剛三郎は、切迫した様子で神楽夜のもとへ駆け寄った。
ジックを担ぎながら身を捻った神楽夜は何事かと怪訝になったが、その両手を見てぎょっとする。
手のひらから手首まで真っ赤な血を滴らせているではないか。よく見れば膝のあたりも血に塗れている。
「あんちゃんが! お願い、早く!」
剛三郎は肩で息をしてすがるように告げた。
「行ってあげて。あとは大丈夫だから」
アルマが空いたジックの脇を担いだ。
「うん。サクにも手伝わせて」
「ありがとう」
短く視線を交わしたアルマは、力を振り絞って一歩一歩階段を上りはじめる。
片や神楽夜は、
「こっち!」
と先導する剛三郎に続いた矢先、側面より生じた突風に身を押され、少年ともども立ち尽くした。
(これ、は)
吹き荒れる風のなか、腕で顔を庇いながら薄っすらと目を開ければ、そこはまさに天変地異の様相を呈していた。




