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第十三話「神が定めし運命なれど」⑪

「そうだ。んで、足の間は半歩開け」

 九垓はイネッサの右隣に立ち、両手で握る棍をへそのあたりに寄せて右半身を前に、彼女と鏡写しになるよう中段に構えて言った。

 見様見真似で構えるイネッサは自分と九垓を逐一見比べながら、体勢に微量な修正を加えていく。だが、ひとつに気を取られればひとつが疎かになる。そのたびに、

「もう少し腰落とせって言ったろ。おら、先っぽ下がってんぞ」

 と、九垓の容赦ない指南が矢継ぎ早に飛んだ。

 とはいえ、

(重、い……)

 全長約ニメートルある三叉の槍は、大して鍛えてなどいないイネッサの筋力で支えるには重すぎる。九垓がこれでも軽いほうと言うものだから、イネッサは試しに九垓の持つ<九天棍>を握らせてもらったが、その重さは、持った途端に両手が地面に引っ張られたと錯覚するほどで、保持できるだけでも自分の槍は確かに軽いほうであった。

「腕だけで持つな。へそに寄せろってさっきも言ったろ」

 言いながら九垓は<九天棍>を自身のへそに寄せて見せた。その動きでさえ、まるで重さは感じられない。イネッサは眉間のしわを深くし、苦しげな顔つきで体勢を維持することに努めた。

「つーかお前、結構軽々持ってなかったか?」

 フランスの基地<リュエール・デ・ゼトワール>から脱出する時も、クラドノで灯弥と鍾馗の戦いに割って入った時も、イネッサは顔色ひとつ変えることなく易々と槍を扱っていたはずである。

「いまは、使って、ないので……!」

 イネッサは九垓の問いに腕を振るわせながら答えたが、

「便利なもんだな」

 九垓がそうつぶやくが早いか力尽き、その場に尻をついてへたり込んだ。

「頼りたく、ないんです」

 魔術に、である。力なく頭を垂れたまま言ったイネッサは、膝の上で槍の柄を握る両手に力を込めた。

 意固地になっていると自分でもわかっている。けれども、九垓をはじめ自分以外のアービターは、その力を得る以前に、自分の戦い方を確立している。少なくともイネッサの目にはそう映る。

 その点でいえば彼女には魔術があるが、それも熟知しているとはいいがたい。母から教わったのは考え方と運用法のごく一部だ。使っておいてなんだが、魔術という得体の知れないものに頼っているだけでは、進歩は望めないと彼女は考えていた。

 いまは基礎がいる。戦うためだけではなく、この身を扱うすべを知る必要がある。

 憂悶に(かげ)る顔を上げないイネッサに、九垓は仕方なさそうな困り顔で嘆息を吐くと、長柄の棍を担いでその場にしゃがんだ。

「気持ちはわかるけどな、こんなんでヘタられてたら夜になっちまうよ」

「でも――」

 とイネッサは不満顔を持ち上げたが、目の前に突き出された九垓の左手に「待った」をかけられ、思わず口を閉ざした。

「筋トレからはじめるわけにいかねえだろ? 自分だけの力でってのは確かに大事だろうが、いまからじゃ遅すぎる」

「そんなの……わかってます」

 イネッサは不満の色を保ったまま視線を逸らし、唇を尖らせた。

「だからお前に教えんのは基本の構えと、魔術も使った戦い方だ」

 そう言って立ち上がる九垓を追ってイネッサは顔を上げる。

「え、九垓さん魔術って」

「使えねえよ。使えるわけねえだろ」

 なに当たり前のこと聞いてるんだ、とでも言いたげに伸びをして見せる九垓に、イネッサは例のごとく顔をしかめる。しかし、このふたりにとってそんなことはもはや常套(じょうとう)である。九垓は構うことなく身を反して距離を取るなり、

「短所より長所を伸ばせってな」

 と、握った長棍で右肩を叩きながら振り返った。その顔はなにやら得意げだ。

「長所?」

 イネッサは怪訝な顔で訊くが、それがまだるっこしい九垓は、

「間合いだ、間合い」

 と不愛想に吐き捨てるや、顎をしゃくって催促した。

「おら、さっさと立て。あ、槍持つ時ちゃんと使えよ」

 イネッサは渋々ながら自身の両手に視線を落とした。九垓の言うとおり、体力作りからはじめていては日が暮れるどころの話ではない。

「――コール」

 イネッサのつぶやきに呼応して、背中の紋様が修道服の黒い布越しにぼんやりと青白い光を発したかと思えば、彼女は淀みない動作で槍を持ち上げるとその柄頭を床に突き立て、杖代わりにすくりと立ち上がった。

 そして、さきほど教えられた中段の構えを難なく取って見せる。

「前も訊いたが、いったいどんな仕掛けなんだ、それ」

 九垓の問いにイネッサは構えを解いて思案の間を置くと、

「魔力を、作った式に当てはめて使う……。魔力は、成ってから時間が経ったものほど多く宿す」

 かつて母から教わったことをそのままなぞり、口にした。

「時間が経ったもの? なんでもいいのか?」

「基本的には……。でも、探す必要はないです。溢れてますから」

 九垓は説明が解せず片眉を吊り上げた。

「木や水、土や風にも魔力は宿ります。この星自体が魔力の固まりなんです」

「そりゃ確かに、成ってから時間経ってんな。んで、その式ってのは?」

 さきにも触れたが、イネッサは魔術のすべてを理解しているわけではない。

「……世界に呼びかける、というか、指示を出すというか」

 ぼやけた答えを返しながら難しそうに首をかしげるそのさまに、

「よくそんなわけわかんねえモン使ってやがんな」

 九垓は呆れた顔で当然の文句を垂れた。

「だから頼りたくないって……」

 イネッサはぼそりと不満をこぼしたその口で続ける。

「式を組み立てたことないので、なんでそうなるのか、私にも。ただ、魔術は不可能を可能にする技ではないです。わかることは、式は二種類あって、私が使っているのはレトワル式っていうこと、くらい」

 自信なげに語尾がすぼむが、致し方のないことである。イネッサからすればあらかじめ用意されているボタンを押して、すでに組み上げられている<魔術>を発動させているようなものだ。そのボタンを押せる素質があり、かつ、術式の構築ができてはじめて魔術師と呼ぶに足るわけだが、その点でイネッサは半人前にも至っていない。理解が足りぬ彼女には、これが精一杯の説明であった。

「なんのこっちゃか」

 九垓は軽く覚えためまいに天井を仰ぎ、嘆息した。難儀するその様子に、説明が足りぬと自覚するイネッサは、

「魔力も二種類あるんです。だから、それに合った式を使わないと――」

 とまくしたてたが、九垓の知りたいところはそこではない。

「で、お前にできんのは?」

 九垓は被せるようにして問いを発した。

「水に関わることならだいたい。凍らせたり、水蒸気に変えてみたり」

 その能力は九垓もフランスの基地にて目にしている。空中に氷の壁を作り出したり、広範囲にわたって濃霧を発生させたりと、意表を突いたものが多かった。それがなければあの神父から逃れることは難しかっただろう。

「水分はどっから?」

「えっと、漂ってるのを」

 イネッサは九垓から一瞬だけ視線を逸らし、なにもない空中を一瞥したあと、それを彼に戻す。

「空気中の水分を操ってるってわけか」

 九垓はそれきり黙り込むと目を伏せ気味に、左手を腰に当てて思案に暮れた。もう一方の手は握った棍を一定のリズムで動かし、右肩を軽く叩くのを繰り返している。

 いったいなにを考えているのか、とイネッサが小首をかしげると、九垓はその恰好のまま、

「範囲は?」

 と鋭い目を向けた。

「え、範囲?」

「魔術が使える範囲だ。どこまで届く」

 質問の意図に合点がいったイネッサは一瞬考える素振りを見せ、

「たぶん、見える範囲なら……」

 おずおずとそう答えた。

(ならやっぱ、近づかれないようにすんのがベストだな)

 まずは己になにができるのかを知ることが肝要である。

 手にする武器の強みと弱み、そして自分の運動能力を考慮したうえで敵を探り、ことに当たる。至極単純だが、九垓がいかなる時も基礎に敷いてきた鉄則だ。

 イネッサの話から扱う魔術の特徴はある程度見えた。接近戦が心許なくとも、魔術の広大な効果範囲とその威力をもってすれば、敵に対し補って余りある優位性を得られるはずだ。ここまでくれば、残る話は九垓の言う「短所より長所を伸ばせ」になる。

 九垓は頭のなかで教練の方針を定めると、無言で棍を中段に構えた。左半身を前に出し、得物をへそのあたりに据えるように持つ体勢だ。

「構えてみろ」

 促され、イネッサも同様の構えを取った。

 両者の間合いはおよそ五メートルあるが、互いに相手の喉元に向ける得物の先端から測れば、その間は三メートルもない。

「それで間合いを測れ」

 顎でイネッサが持つ三叉の槍を指し、九垓は彼女ににじり寄る。その目は、草むらに身を伏せて機を窺う虎のように猛っている。一ミリでも下手に動けば、首が飛ぶ。そんな殺気に満ち満ちた圧を出す目の前の男は、いままで話をしていた同じ人物とは思えぬ変貌ぶりである。

 突として湧き上がった恐怖心のあまり、飲み込んだ息が吐き出せず、尻から崩れ落ちそうになるイネッサだが、なかなかどうしてここは懸命に踏み止まった。

 静かに、九垓が持つ<九天棍>の先端が三叉の槍の穂先と交差する。やがて金属がこすれるかすかな音が響いた。その音にイネッサが短く息を吸った。

 途端、

「お前、もう死んでんぞ」

 やにわに切り出され、イネッサは困惑もそこそこに、溜め込んだ息を呆けた顔で解き放った。それを見た九垓は構えを解き、怪訝に眉をひそめた。

(意味わかってねえな)

「だから、言ったろ。間合い測れって」

「わかんないですよ、それだけじゃ」

 もっともだ。イネッサは体術に関して右も左もわからぬ素人である。そも、九垓に頼んだのは槍の扱い方のはずだ。

 しかし、

「お前、槍で戦えねえだろ」

 九垓はもうその方針を捨てたらしい。さらに、

「この距離になる前に逃げろっつってんの」

 左手の人差し指で自分と不満顔のイネッサとを交互に指差し、それを繰り返して「この距離」を示した。力の入った説明には「ちゃんと話を聞け」と言わんばかりの含みが感じられる。

 イネッサはますますむっとした。

「それならそうって最初に言ってください」

「長所を伸ばすっつったろ」

 なおも億劫そうに言い捨てる九垓に、

「じゃあ、こうすればいいってことですね」

 冷静な口調でそう告げたイネッサの姿は、瞬く間に室内に充満した霧のなかへと消えた。

 九垓の周囲はそれまでいた大部屋の広さがわからなくなるくらい白一色に包まれる。気配を辿ろうにも、すでにイネッサは移動しているようだ。

 しかし、なにがおかしいか、九垓は片方の口端を不敵に吊り上げ、鼻で笑った。

「そうそう。そういうこった」

 手にしていた長棍を真ん中で分け一対の短棍とすると、

「その槍を使うのはホントの最後だ。そうならねえように、てめえの得意な距離を取り続けろ。――んじゃ、いくぞ。部屋んなか壊さねえ程度に俺を捌け」

 言ったからな、と念押しし、九垓は霧中の標的を探って駆け出した。

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