忙しない乙女心
「…では…今夜の試験に向けて、鍛練に励むも良し、ゆっくり体を休めるも良し…各自、自由にしてください……ただしあまり無理はしないように」
サクリーシャによる通訳でセシリオからの言葉を聞いたチユキは、早足で部屋を後にするフィミリーやサクリーシャの背中を見届けながら焦っていた。
(…私もランクカード…ほしい…けど…)
自分に居場所を与えてくれたセシリオ達の役に立ちたいという思いから、チユキはランクカードの取得にひっそりと燃えていた。
過酷な地下迷宮での探索に自ら志願したのもそれが理由だった。
しかし試験というものがどういうものなのか…ガーディアンという施設に入ったことすらこのシントライデルが初めてである上に、まともな教育を受けたこともなく、世界のことはアガダミに教えられたほんの少ししか知らないチユキは不安でいっぱいであった。
「チユキぃ~みんなもう行ったぞ?大丈夫か?」
それぞれが今自分のすべきことを理解し動き出す一方で、何をして良いかも分からないチユキを救ったのは、やはりキサであった。
「…あ、あ、あの……」
キサが自分を気にかけてくれて、本当は飛び上がりそうなほど嬉しい…けれどキサを前にすると、いつも以上にうまく話すことが出来ない…
「うんうん、わかるぞ。腹減って動けないんだろ?おれもだ」
それはまだ早朝の話であった。
―――
実はチユキとしては、昨日のご馳走がまだ胃にもたれていて今日の朝食は抜いてもよい位に考えていたのだが、キサに誘われて断る理由はなく、いつの間にやら城下町のレストランに座っていた。
「今日のぶん、フィミリーからおこづかいもらったから好きなもん食おうぜ!」
「…わ、私は…このスープだけで良いです…」
「おまえな、そんなだから痩せてんだよ!胸にしか肉ついてねーじゃん!」
キサには女性の胸に特別な思いはまったくなく、その発言も見たままを表しただけの他意のない言葉であった。
しかし物心つく頃から異常に育つ自分の胸にコンプレックスを抱いていたチユキにとっては大事だった。
(キサさんもこの胸が変だと思っているんだ…!)
この場にセシリオや他の仲間がいれば、キサの発言は女性に対して失礼だと誰かが注意するだけで済む話だったが、二人きりの今はチユキの中でちょっとした事件となった。
「ほら、肉頼んでやったからえんりょしないで食え!」
キサに注文を任せてしまったことで、テーブルにはこってりとした料理ばかりが並んでいた。
「…あ、あんまり食欲……」
キサは既に食事を始めており、必死に絞り出したチユキの言葉は届いていなかった。
「ところでこの後チユキはどうするんだ?おれはちょっと外で鍛えよーと思ってるけど…」
料理を半分以上食べ終わったところでようやくキサが口を開いた。その間チユキは幾度となく話しかけようとしたが自分から口を開くことはとうとう出来なかった。
「…あ…カード…ほしいんですけど……試験ってどんなものなのでしょう……」
チユキがそう言うとキサは突然顔を青くした。
「……カードもらう試験は…めちゃくちゃ厳しい……チユキ本気か?女の子がやるようなもんじゃねーよ……」
キサはチユキの発言に心底驚いているといった様子でぼそぼそと呟くように言った。
しかしチユキの記憶が正しければガーディアンのランクカード窓口には非力そうな女性もたくさん並んでいた。
確かに治癒能力が少し使える程度ではカードはもらえないのかもしれないが…
「…あのな、なんかフィミリーが言うにはおれら三人ががんばればどーにかなるみたいだから」
難しいことは覚えられないキサの言葉は曖昧なものだったが、おそらくランクカードの特性のことを言っているのだろう。その内容はチユキもフィミリーから聞いていた。
家族連れなどに対する措置として、ランクカード所持者一人につき同行者二人まで、カード無所持でも門による移動が可能とされている。
例えばBランクのカード所持の父親がいれば、妻と子供はランクカード無所持でもBランクまでの大陸なら同行出来る。
その特性を利用すれば五人いる仲間たちの内、最低二人がSランクを取得すれば全員どこへでも行けることになる。
「セシリオもフィミリーも強いし、おれは最近戦ってねーからなまってるけどまぁまぁ強いんだぞ」
もちろんチユキはセシリオ達の実力を疑っているわけでは決してない。しかしこのままお荷物のまま旅に同行するのは―
「サクもそうだけど、女の子がそんな無理しなくて良いんだよ。おれらがぜったい守るからさ!」
キサの言葉にはやはり他意はない。
それにこの言葉は自分だけに向けられたわけではなくサクリーシャのことも含まれている。
しかし…それでも、そうと分かっていても、チユキは込み上げてくる想いを止める術を持たなかった。
「…きき、キサさん……!わ、たし……」
チユキの顔面は真っ赤に染まり、なんだかよく分からない汗も吹き出ている。キサの顔を見ることも出来ず、瞳を強く瞑っていた。
「…キサさんのこと……!」
しかしまさかここで愛の告白をするチユキではなかった。
チユキは自分で自分が何を言っているのかまったく分からなくなっており完全に動転していた。
キサさんのこと、に続く言葉も自分でも分からない。ただ混乱して口をついてしまっただけに過ぎない。
ああ、どうしよう……チユキは自身の発言を死ぬほど後悔した。
自分はなんということを言ってしまったのだ…この後何を言えば良いのだろう…キサは一体どんな顔で自分を見ているのだろう……チユキの頭を後悔と恥ずかしさがぐるぐると渦巻き、吐き気すらしてきた。
長く沈黙が続いた。
その間、明らかに様子のおかしい自分に対してキサが黙ってこちらを見ているだけだということにチユキは違和感を覚える。何かを食べている音も聞こえない。無音だ。
いまだキサの顔を見ることが出来ず目を瞑っているチユキだったが、もしやキサがどこかへ立ち去ったのか、はたまた呆れて何も言えないのかと急に不安になりはっと目を開いた。
そこにはサドが座っていた。
街中で、もちろん魔物の存在もないというのに、だ。
チユキは訳も分からず呆然とサドを見たが、彼の表情は世にも恐ろしいものであり二度驚くことになった。
チユキの顔は赤から青へとみるみる変わっていった。自分でも全身の血の気が引いていくのが分かる。
サドの方も一切言葉を発することなく、腕を組みチユキを般若のような形相で睨み続けている。
チユキが先程の言葉の続きをもう言わないと悟ったのか、サドはザッと勢い良く立ち上がり、言葉を発することも振り返ることもなくスタスタとどこかへ消えてしまった…
一連の流れに激しく混乱し、残った食事を取る気にもならなかったチユキはもったいないので食事を出来るだけ包んでもらいその場を急いで後にした。
―――
(一体いつからサドさんが……どうしてサドさんが……)
チユキの頭の中は先程のことでいっぱいであったが、今夜の試験の対策をしないといけないと、無理矢理にでも頭を切り替えるために図書館へ向かった。
残された時間はわずかだが、今からでも自分に習得出来そうな魔法を調べに来たのだ。
治癒能力や補助魔法が使えるということは、自分にもいくらかの魔力はあるはずだ。付け焼き刃でも何も攻撃手段を持たないよりマシだろう…
しかし頑張って魔法を覚えようとしても、頭の中はキサやサドのことでいっぱいだったことは言うまでもない。
膝の上に置いた持ち帰りの料理の臭いが、レストランでの出来事をより彷彿とさせた。




