この命は貴方のために
―あの時、自分にもっと実力があれば――
フィミリーは一人、森の中を歩いていた。まだ日が昇りきる前の静かな木々の間をどんどん抜けて行き、ただひたすら奥へ奥へと進んで行く。
今夜の試験に向けて自由行動を取ることになった時点で、フィミリーは厳しい鍛練を夜まで行うことに決めていた。
(何としても今回、ランクアップしなければ…!)
彼がこれほど自分を追い込む理由は、先日のフィルとの対峙にあった。
もしあの時、アミアからの助けが無かったら…町は壊滅的なダメージを受け、負傷者の数も膨大なものになっていただろう…
もしあの時、あの場にいたのが自分でなくセシリオやサドであれば…サクリーシャや観客達をフォローしながらもフィルと渡り合うことも出来ただろう…
フィミリーの頭の中ではあの日からずっと悔しさや自責といった負の感情が渦巻いていた。
(今のままでは、セシリオ様の側近として恥だ……)
フィミリーは純粋にセシリオの役に立ちたい一心で旅に同行している。心から尊敬するセシリオの為に身を削り、いつでも命を差し出す覚悟もある。
たとえセシリオがそれを望まなかったとしても、彼の存在意義はセシリオの為だけにあった。
(…もしランクアップ出来なければその時は…)
役に立てないのであれば、フィミリーは旅の同行を諦めるつもりでいた。戦力外の自分がセシリオの側に身を置くことは、彼にとって非常に辛いことだ。
シントライデルから離れるほど敵の強さは強力になっていった。鍛練という意味でより厳しい環境に身を置く為に、フィミリーは敵の集落と見られる深い森の奥でその歩みを止めた。
とはいえ鍛練の為に許された時間はせいぜい半日ほどだ。今から肉体を鍛えたところでそれほどの効果は得られないことはフィミリーにも分かっている。
それだけの時間でも伸ばせる彼の長所といえば―
(少しでも魔力を上げる!)
非力な彼にとってそもそも魔法の方が得意だということもあり、短時間でのレベルアップが見込めるとすれば魔法力の増強である。というのがフィミリーが出した結論だ。
(今は苦手分野の克服よりも得意分野を伸ばすこと……)
フィミリーは魔物達の住処と思われる洞穴に向けて得意とする風属性の魔法を放った。
小さな竜巻は洞穴の中へ吸い込まれて行きやがて見えなくなったかと思うと、入れ換わるように奥から魔物達の雄叫びが聞こえて来た。
(…何匹来る…?…いや、怖れるな!こんな所で死ぬくらいならセシリオ様に同行する資格なんて無い!!)
フィミリーの挑発に乗り、勢い良く出てきた魔物達は、森を住処としているだけあって彼の予想通り獣系の魔物であった。
フィミリーの背丈の倍ほどの逞しい肉体を持つ獣達は、チユキのように獣人と呼べる者ではなく、知性を全く持たない魔の力を得た獣であった。
群れで暮らしているようで、どんどんと出てくる獣達は表に出てきた者だけでもざっと数十匹ほどいるようだが、まだ洞穴の中から様子を窺っている者もいる。かなりの大所帯だったようだ。
住処を突然攻撃したフィミリーに対し怒りを持ちつつ、人間の中でも特に美味しそうな幼い彼を見て舌なめずりしている。
フィミリーはダガーを持つ手に力を込めると、あらかじめ詠唱を始めていた攻撃魔法を放つ。
彼を中心とし、全方位に向けて風の刃が獣達に放たれた。
腕試しのつもりで放った魔法であったがかなりの効果があったようで、これだけでもフィミリーに近寄っていた数匹の獣は倒れた。
内心、フィミリーは胸を撫で下ろした。
実は彼の得意魔法は先程から放っている風属性の他に、水と森属性の三つなのだが、森に住む獣に対し有効なものはこの中に無かった。
むしろ水と森の二つの属性は相性があまり良くないため、大した効果は得られないだろうと踏んでいたので、風魔法が効かなければ打つ手は無かった。
力押しで切り抜けることにならなくて良かったと安心するフィミリーに対し一気に間合いを詰める獣達に、魔法での対処は間に合わなかった。
しかし余裕でかわしつつ素早くダガーに魔力を込めたフィミリーは数匹を相手に刃を奮う。
小さな彼からは想像も付かないパワーが小型のダガーから放たれる。次々と地に伏す仲間を見て、躊躇する者や怒り狂う者など様々であった。
(…やはりセルディアで戦っていた魔物達とは比べ物にならない位に弱い……これではただの虐殺だ…鍛練にもならない…)
フィミリーがふうとため息をついたその時、明らかに獣達の空気が変わった。
ひっきりなしに向かって来ていた獣達の動きは、時が止まったかのようにピタリと静まりかえり、視線は皆一様に同じ方向を見ていた。
獣達の視線の先には、さらに一回り大きな個体がゆっくりと洞穴から出てくる姿があった。
空気感やその風貌からいってその個体が群れの主であることは明らかであった。
フィミリーは一瞬怯んだがすぐに態勢を整え、主から間合いを取りつつ詠唱を始めた。
相手がこれまでの獣達とは別格とみえたため、念のため強力な魔法を使うことにしたのだ。
得意の風・水属性の魔法を組み合わせ、暴風雨を起こし主めがけて放つ。
その攻撃が少しでも触れた主の周囲の獣達は、数メートル飛ばされそのまま起き上がることはなかった。
―しかしあろうことか主は暴風雨の中心地にいたにも関わらず、その攻撃に怯んだ様子すら見せていなかった。身体にかかった雨をぷるぷると身を震わせて払ったのみで、ダメージはまったく受けていないようだ。
(…な……!)
その様子に戸惑うフィミリーの一瞬の隙をつき、主は瞬時に間合いを詰める。
フィミリーはダガーを構え応戦しようと試みたが、主の一撃の方が早く、その太い牙はフィミリーの腹部を裂いた。
激しい痛みに意識が朦朧としつつも、尚もこちらを狙う主に対しフィミリーは風の刃を放った。
だがその一撃は牽制にしかならず、それを素早く振り払った主は雄叫びをあげたかと思うとこちらへ飛びかかってきた。
一気に形勢逆転となり静観していた周りの獣達も、主の雄叫びに呼応しフィミリーの元へ突進してくるのが見えた。
(……なんてことだ……セシリオ様……)
反撃したいが腕に力が入らない。とめどなく血が流れ出ている腹部の感覚はもうなく、ただ自分が獣達に食われていく様を見届けるしかないようだ…
…目を閉じれば、セシリオと出会った頃の思い出がよみがえってくる。フィミリーとセシリオの出会いは決して平和的なものではなかった。
大切な家族を亡くし、世の中を…富を持つ者を恨み憎悪の思いだけで息をしていた頃のこと―
標的だった憎きセシリオに刃を向けたあの時のこと―
そしてあの日から、自分の命は彼の為にあると気付き、側に身を置かせてもらっていたこと―
「…マ…マ……」
フィミリーが力なくそう呟いたその真上で、桃色の物体が閃光の如く横切った。
それが人間だとフィミリーが気付いた時には、獣達はバサバサとなぎ倒されていき、あっという間にその場に立つのは主だけになっていた。
「…ひとまずこれを!もう少し耐えてくれ!」
彼女…メフィはフィミリーの元に駆け寄ると、フィミリーの服を捲り、患部に素早く布を押し当てた。ひやりと冷たいその布には軟膏のようなものが多量に塗られているようであった。
「メフィ…さ……」
「喋るな傷に障る!!」
メフィは大声でフィミリーを一喝しつつ、レイピアを持ち高速で主へと向かう。
獣すら凌駕するスピードで空中へ舞うと、主の頭部めがけてレイピアを突き立てそのまま身体ごと切り裂いた。一瞬の出来事だった。
無数にいた獣達を始末したそのスピードは人間業には見えなかったが、魔法の類いではなかったようだ。信じ難いがすべて小柄な彼女の身一つで繰り出される剣技だ。
フィミリーが唖然としている間に、既にメフィは傷の治療を始めていた。
「…これは…!…死んでいてもおかしくなかったぞ!」
こんな時になんだが、近くで見るとメフィはまだフィミリーと同じ位の年齢なのだと、はっきりと分かる容姿をしていた。
だが先程の実力ややけに年寄りめいた口調からそうは見えないなと、同じく大人びているとよく言われるフィミリーはぼんやり思っていた。
―――
「…本当に……すみません…」
「まったく無茶をなさる……命を落としては何の意味も無いでしょう……」
メフィのおおざっぱだが適切な治療によってフィミリーはなんとか一命をとりとめた。
「この辺りはシントライデル周辺の魔物とは比べ物にならぬほど凶暴だ……まぁそうと分かっての鍛練だったのだろうが……」
本気で心配しているのだろう、メフィは怒ってフンと鼻をならす。
「…それとこの辺りの魔物は長く生きると魔法が効きにくくなったり動きが俊敏になったりと特殊な能力が発現するのです…」
やはりいくらかは腕に自信があっただけに、渾身の複合魔法が通用しなかったことはフィミリーにとって落胆に値したが、なにやら特殊能力によるものだと分かり内心かなり安心する。
「…しかし何故そのような能力を……?」
「…何も知らずにここを鍛練の場に選んだのですか…」
メフィがゴソゴソと何かを取り出すと、その何かはメフィの手に擦れて途端に強い香りを放ち始めた。
「…これは……ハーブ……」
「この更に奥に薬草園があるのです……魔物達は日々その影響で様々な進化を遂げている…」
メフィはフィミリーに肩を貸し、フィミリーを支えるようにして立ち上がった。
同じ歳ごろの女性に寄り掛かるなど、恥ずかしさや申し訳なさやら色々な感情が渦巻くフィミリーだったが、メフィはフィミリーを持ち上げんばかりの力を持っていた。
寄り掛かって初めて気付いたが、メフィは昨日会った時の重装備ではなく、皮製の簡易的な鎧をまとっているのみだった。
「…今日は何かの依頼ですか?」
フィミリーが問うとメフィは少し笑った。
「いやぁ、今日は20日ぶりの休日でね」
20日ぶり…やはりシントライデルガーディアンは相当なブラック企業だ……
「…するとプライベートでここへ…?」
「ああ、ずいぶんと疲れているようだからハーブを……」
そこまで言うとメフィははっと驚いたような表情になり口をつぐんだ。
「…20日ぶりの休みですものね…疲れを癒しに―」
「そ、そうなのだよよよ。つつ疲れーているからね!」
メフィは急に顔を真っ赤に染め上げどもり始めたが、フィミリーにその理由は分からなかった。
―――
メフィと共にガーディアンの救護室へやって来たフィミリー。
「きちんとした治療を受けた後は、くれぐれも安静になさるように!」
命の恩人にそう言われたフィミリーは、確かにメフィがいなければ今頃は獣達の餌だったこともあり、この後はおとなしく情報収集をすることに切り替え、医務室の職員に話を聞くことにした。
「やっぱりセルディアの子は強いのねぇ~!あんな傷で戻って来た子は初めてよ!」
フィミリーの傷は相当深かったことと、ガーディアンマスター直々に連れて来たということもあってか、ベテランと思われる女性軍団に囲まれていた。
「…あのう…ぼく、冒険者なんですけど……何か耳寄り情報とかありますか…?」
フィミリーは見た目は可愛らしい少年だということもあり、彼女達は様々な話をしてくれた。
「大神官様の奥様、まだ病で起き上がらないらしいのよ~」
「そうそう!なんでもついに『聖なる結晶』を持って来た人がいたらしくてネ!…でも奥様の病は治せなかったのネ~」
「息子さんも帰って来んし、神官とこも人手不足やんね」
「でもあそこはそもそもあんまり混まないけどねー」
「うちは暇よねぇ暇が一番だけどねぇ」
「あとね坊や、流れの村ってのがこの大陸にはあるのよ。ここからずーっと北へ行った所らしいんだけど…」
「森の奥にあるらしいケド、なかなかたどり着けないのよネ」
「…まぁ行く用事もないか…普通の町や村に住めない人が集まる集落だから……」
「けっこーぶっそーよねー危ないわよー」
「後はジャジュ村ってのがあるわよ。呪いを学ぶ暗ぁい村。これも北の端!」
「ジャジュに行くなら道しるべがあると思うわ。行って何があるってとこでもないんだけどね」
……こちらが少し問いかけただけで一斉に口を開き、好き勝手話し始めた…という方が正しかったかもしれない……
だが有用な情報もいくらかあった。フィミリーは落ち着いて情報を整理するために宿へ戻ることにした。
にっこりと無邪気な笑顔でお礼を言うと、医務室の女性達は喜んで薬品などの道具をたくさん持たせてくれた。
母親がいればこんな感じなのだろうかとフィミリーは思った。




