第6話 イレギュラー
リタの腕の画面の中で岩の山のような背中が、ゆっくりと向きを変えた。
岩の板に覆われた顔がエリザのドローンのほうを向く。とがった鼻先と突き出た二本の前歯。形は二階で燃やしたあいつと同じだ。大きさだけがまるで違う。
「……岩食いの、女王だ」
「女王?」
リタが画面から顔を上げた。
「群れの親玉だ。子を産むのは、女王だけらしい。ふだんは中ほどの階の、ずっと奥の巣から出てこない。作業員の講習で、図だけは見た」
その女王が三階にいる。
『エリザ、下がって!』
画面の中でニールが叫んだ。
エリザは下がらなかった。右手を女王に突き出す。その指先から白い稲妻がほとばしった。
稲妻は岩の鎧に突き刺さり、ばちっと火花を散らす。それだけだった。光はごつごつした岩の上をすべって地面に逃げていく。
雷のスキルらしい。だが岩の鎧には通らない。
『わたくしの雷が……効かない……?』
それでもエリザは退かない。ドローンのほうへ顔を向けて乱れた金色の髪を払う。それからもう一度、指を突き出した。
女王がそばの岩の柱に食らいついた。
ばりばりと音を立てて柱がかみ砕かれる。飛び散った岩のかけらがエリザを打った。
金色の髪が地面に広がる。
ニールが駆け寄って、構えていた盾を倒れたエリザの前に据え直した。その盾に女王の頭がぶつかる。
画面がぐらりと揺れた。盾のふちがうっすらと光っている。盾を硬くするスキルか何かだろう。
天井のスピーカーがまた鳴った。
『イレギュラーは、大型の岩食いです。付近の探索者は、ただちに避難してください。救助隊が、中ほどの階の奥から向かっています。到着まで、およそ二十分――』
二十分。
浅い階にいるのは、ほとんどが受かりたての新米だ。助けに行く側じゃない。逃げてくる側だ。
あの盾が二十分ももつとは思えない。
気づくと足が試験室の出口へ向いていた。一歩目がもつれる。膝はまだ少し笑っていた。柱一本で魔力の半分を持っていかれている。残りは半分。
「黒瀬」
権藤の声に足が止まる。
振り返ると権藤の顔にはもう血の気が戻っていた。いつもの、測定器の画面を見るような目だ。
「補助は、広間で待て。資格のない者が、人の命に関わる場で力を使うことは、救助でも禁じられている。監督官の命令だ」
崩落の日、俺はその決まりを破って捕まった。
だが今の俺は補助だ。監督の探索者のそばでなら力を使える。もっともこの男にそれを言ったところで、通じるとは思えない。
それにどのみち俺一人では何もできない。この腕輪がある限り、俺の力はリタから十メートル以内でしか働かない。
リタの腕の画面に目を戻すと盾がまた揺れていた。
――目の前で人に死なれるのは、ごめんだ。
画面の向こうでもそれは変わらない。
リタが腕の画面を自分の配信に切り替えた。ドローンの赤いランプはさっきからずっとついている。
「権藤さん。補助は、探索者のそばにいるものでしょ。判決にも、私のそばでって書いてある」
リタは権藤ではなく俺を見た。
「行くわよ、無資格」
「赤城! 待て!」
権藤の声を背中に俺たちは試験室を飛び出した。
~~
広間は人でごった返していた。
協会の職員が声をからして叫んでいる。休憩所にいた連中が入り口のほうへ流れていく。その流れに逆らって、俺たちは奥の立ち入りの区域へ駆け込んだ。
三階の岩場までは走れば十分とかからない。一階の通路を抜け、下りの坂道を駆け下りる。
二階の通路で若い探索者の一団とすれ違った。真新しい装備に真っ青な顔。
「三階はやばいって! でかいのが――」
一人が叫んでそのまま上へ逃げていく。
今日は安全靴を履いてきていた。サンダルだったらとっくに脱げている。
リタはときどき地面をけってふわりと前へ跳ぶ。体を軽くすれば一人でずっと先まで行けるはずだ。それでも俺の前を十メートルより先には行かない。
横に並ぶとリタの腕の画面が目に入った。
>行くのかよ
>待てって言われてたよな
>エリザ様の配信やばい
>さっき足もつれてたけど大丈夫か
>同接20万こえた
……見るんじゃなかった。
三階へ下りると、どん、どんと鈍い音が足もとから響いてくる。
岩場は天井の高い大きなほら穴だった。協会の明かりがまばらにともっている。あちこちに岩の柱が立ち、大きな岩がごろごろと転がっている。
その奥に女王。まだ二十メートルは先だ。
じかに見ると、とんでもない大きさだった。背中の高さは俺の背丈の三倍近い。岩の板を何枚も重ねたような鎧が背中から脇腹、脚の外側までを覆っている。
女王はこちらに尻を向けていた。
その向こうはここからは見えない。背中の上の高いところに白いドローンが浮かんでいるだけだ。鈍い音が響くたびに奥の壁がちらちらと光る。盾のふちの光だろう。
画面で見た時とは向きが逆になっている。回り込まれて奥の壁ぎわまで追い詰められたらしい。エリザはたぶんまだ盾の陰に倒れている。
リタのドローンが俺たちの頭の上に浮かんで、白い明かりを女王に向けた。
浮かせて運ぶか。
いや。二人は女王の陰だ。見えないものは浮かせられない。
岩の板の継ぎ目に目をこらす。すき間の奥に灰色のものがのぞいている。生身だ。そこを焼けば盾どころではなくなる。
「燃えろ」
継ぎ目から炎が噴き出した。
だが炎は岩の板の下でくすぶっただけで、みるみる小さくなる。女王がぶるりと身を震わせると、残った火もあっけなく消えた。
同時に膝から、すうっと力が抜けていく。
……しまった。
のぞいていたのは生身ではなかった。継ぎ目に詰まった岩のかけらだったらしい。燃えないものを燃やそうとすれば、けた違いの魔力を食う。二階の岩食いとはわけが違った。燃やしきる前に火のほうが負けた。それでも残りの魔力の何分の一かが、一度に消えている。
岩食いの急所なら知っている。首のつけ根の背中側にある魔石だ。講習でも魔石を砕かれた魔物は動かなくなると教わる。運んだ死骸にはいつもそこに拳ほどの穴が開いていた。協会の解体の人たちが先に抜いていく。
だが女王の首のつけ根はあの分厚い鎧の下にある。鎧ごと砕こうにもあの厚さだ。柱の何本分になるのか考えたくもない。
「伏せ!」
リタが右の手のひらを女王に向けてぐっと押し下げた。
女王の動きがわずかに鈍る。それだけだ。
「遠すぎる……!」
遠すぎる、か。リタの重さは相手に近いほど強いらしい。この距離では足りない。
ずしんと岩の床が鳴った。
奥の音がやむ。女王が盾から頭を離したらしい。巨体は後ずさって柱のない開けたところまで出てくると、ゆっくりと向きを変えはじめた。
横腹が見える。頭から尻まで作業用のトラックほどもあった。
岩の板に覆われた顔がこちらを向く。
盾からは離れた。それはいい。
だがエリザたちのところへ行くには、あの女王の前を越えるしかない。リタの重さを効かせるにも近づくしかない。そしてリタが前に出るなら俺も行くしかない。
十メートル。この腕輪が、そう決めている。
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