第4話 監督官
こむぎを抱いて広間に戻ると、受付の前で白髪の小柄なおばあさんが待っていた。
「こむぎ!」
こむぎはおばあさんの腕に飛び移って、ごろごろとのどを鳴らした。ポケットのおもちゃも返すとおばあさんは目を細めた。
「ありがとうねえ。本当に、ありがとうねえ」
何度も頭を下げられてどこを見ていいか分からなくなる。俺はリタの腕の画面に目を逃がした。
>よかった
>おばあちゃん……
>無資格ニキ照れてて草
おばあさんを見送ってから受付のほうを向く。
あの跡のことは黙っておけない。ドローンがついてくるが、かまっていられなかった。
窓口へ向かう途中で呼び止められた。
「黒瀬さん!」
松葉杖をついた三浦がひょこひょこと近づいてくる。
「協会に、けがの届けを出しに来てて。待ってる間にリタさんの配信を見てたら、黒瀬さんたちが戻ってくるのが映ってたんで……。審判のあと、ちゃんとお礼を言えなかったから」
「礼ならいい。それより、ちょっと待ってろ」
窓口の職員に俺は言った。
「一階の奥の割れ目で、岩食いのかじり跡を見つけました。二階の崩落の時と同じ、えぐったような溝です。それも、新しい」
若い職員は困った顔で奥を振り返った。
「岩食いでしたら、崩落の件の担当の者を呼びますね」
奥の机から立ってきたのは、権藤だった。
割れ目の場所と跡の形。俺の話を権藤は最後まで聞かなかった。
「二階の崩落なら、片づいている。迷い込んだ一匹の仕業だ。その一匹は、もう死んでいる。報告書は、私が書いた」
「その一匹だけじゃないんです。削りかすが、まだ白かった。削った岩は、二日もすれば、ほこりをかぶって灰色になる。崩落の日のやつが死んだあとに、別のやつがかじった跡です。一階には、初心者が――」
「測定ゼロの元作業員が、魔物の跡だと?」
権藤の口の端がわずかに上がった。
「私が十回測って、十回ともゼロだった男だ。そんな男の見立てを、協会が取り上げると思うか」
「ちょっと! ちゃんと調べなさいよ! 映像だってあるんだから!」
リタが俺の横から窓口に身を乗り出した。その腕の画面にコメントが次々と打ち込まれていく。
>感じ悪っ
>十回?
>十回落とした試験官ってこいつ?
>測定ゼロってマジ?
>ゼロであれやったの?
「赤城。配信の小道具に、協会を使うな」
権藤は奥の机に戻ると書類に目を落とした。もうこちらを見もしない。
報告書は、私が書いた――あの一言で分かった。迷い込んだ一匹で片づいたと自分で書いた件を、今さらひっくり返したくないのだろう。
一階には試験に受かったばかりの初心者が大勢いる。その足もとを岩食いがかじっているかもしれないのに。
振り返ると三浦が唇をかんで権藤のほうを見ていた。
「……ひどくないですか、あの人」
「いつものことだ」
三浦はしばらく黙っていたが、やがて俺に向き直った。
「黒瀬さん。あの時は、本当に、ありがとうございました」
松葉杖のまま深く頭を下げる。
「瓦礫の下で、もうだめだと思ったんです。息が、どんどんできなくなって。そしたら、黒瀬さんの声がして……」
「……脚、お大事にな」
それしか言えなかった。こういうのは苦手だ。リタの腕の画面がやけににぎやかになる。
>瓦礫の下にいた人か
>ええ話や
>無資格ニキ、また照れてる
「あらあら」
広間の入り口のほうから高い声が響いた。
大きく巻いた金色の髪を揺らして女が歩いてくる。白い上着に金の縁取り。頭の上に浮かんだ白いドローンには赤いランプがついている。向こうも配信中らしい。後ろに続くのは、大きな丸い盾を背負った背の高い若い男だ。
「配信、拝見しましたわ。元特待生のリタさん。補助なんか連れて、ずいぶんにぎやかですこと」
盾の男はその後ろで困ったように笑っている。
横を見るとリタの顔からさっきまでの勢いが消えていた。
「……エリザ」
低い声だった。腕の画面のコメントもざわつきはじめる。
>エリザ様きた
>因縁の二人
>元特待生って言い方よ
リタの言っていた登録者百八十万の配信者。この金髪の女がエリザか。
「わたくしは明日、三階の岩場で、大きな配信をいたしますの。珍しい魔石が出たそうですわ。リタさんも、猫探しばかりしていないで、ご覧になって?」
エリザは口もとに手の甲を当てた。
「オーホッホッホ!」
三階の岩場。
三階は中ほどの階のすぐ上だ。岩食いが上がってくるならまず通る階になる。
俺は思わず口を開いていた。
「三階に行くなら、気をつけろ。岩食いが、浅い階まで上がってきてる」
エリザが初めて俺を見た。頭のてっぺんからサンダルまで。
「補助のあなたに、ご心配いただかなくて結構ですわ。岩食いごとき、わたくしの敵ではありませんもの」
「ご忠告、ありがとうございます」
盾の男がやわらかく頭を下げた。
「月末のランキング、見てなさい!」
リタがエリザに指を突きつける。
「ええ、楽しみにしておりますわ。行きますわよ、ニール」
「はい、エリザ」
二人は売店のほうへ歩いていった。
リタはその背中をじっと見ている。両手が拳に握られていた。
元特待生。何があったのかは、知らない。
リタの腕の画面はまだ騒がしい。
>バチバチで草
>リタちゃんがんばれ
>明日エリザ様の配信も見るわ
「赤城。黒瀬」
窓口の奥で権藤が立ち上がっていた。顔がこわばっている。岩食いの話をエリザの配信の前でまでされたのが、よほど気に入らなかったらしい。
「明日、試験室で、測定をやり直す」
権藤はまっすぐドローンを見た。見ている連中に聞かせるように。
「あの映像が作り物なら、お前たちは審判をだましたことになる。裁判所に申し立てる。黒瀬は、元の刑どころでは済まん」
ダンジョンへの立ち入りを五年禁じる刑。それよりも重くなるということだ。
「それから、赤城。やらせなら、お前の資格も終わりだ」
隣で、リタが息をのんだ。
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