第15話 盗みの疑い
「研究用の標本が、ゆうべ盗まれました」
氷室は目尻にしわを寄せたままそう言った。
朝一番に呼び出された支部長室だった。机の向こうに支部長、その横に権藤。俺とリタは机の前の椅子に並んで座らされ、氷室は客用の椅子の前に立っている。
「二階の、本部の区域に置いていたものです。その区域に、ゆうべ、黒瀬さんと赤城さんがいらしたと聞いております。……権藤君」
「見ました」
権藤が短く答えた。
「本部の札を越えて、部屋の中にいたのは、黒瀬と赤城です」
「盗むところを、見たんですか」
俺が聞くと権藤はわずかに眉を寄せた。
「それは見ていない。だが、そこにいたのは確かだ」
見ていないことを見たとは言わない男だ。だからこういう時には何より強い証人になる。
「俺たちは、何も持たずに出ました。権藤さんの横を通って」
権藤は少し間を置いた。
「……手に何も持っていなかったのは、見た。お前たちが出ていったあと、私も部屋を出た。その時も、石は並んでいた。そのあとのことは、知らん」
「ええ」
氷室がやんわりと引き取った。
「ですから、そのあとで。夜のうちに、どなたかと戻られたのでしょう」
そのあとの部屋を見た者は、こっちには一人もいない。言い返すすべがなかった。
「それに、黒瀬さんは先日、広間で、本部の箱に手をかけておられたとか。調査班の者が、覚えておりました」
「台車を持ち上げるのを、手伝っただけです」
「ええ、ええ。そうでしょうとも」
氷室は穏やかにうなずいた。何一つ信じていない顔だった。
「標本の行方は、本部で探しております。それまで――いえ、式典の日まで、お二人には、ダンジョンに入らないでいただきます。本部の安全管理部として、お願いいたします」
お願い、と言いながら、断る道はどこにもない。
「はあ⁉ 盗んでなんかないわよ! あそこにあったのは――」
身を乗り出したリタの袖を机の下で引いた。
あの卵のことを口にすれば、こっちがあれを何だと分かっているか氷室に教えることになる。
氷室が小首をかしげた。
「あそこにあったのは?」
「……何でもないわよ」
「そうですか」
目尻のしわは刻みつけたように動かない。
「式典には、予定どおり出ていただきます。公開測定は、疑いを晴らす場にもなりましょう。……ああ、それから。盗みがありましたので、式典の舞台は、念のため、本部の者に昼も夜も見張らせます」
支部長が氷室に向き直った。
「本部の区域のことに、支部は口をはさめません。……そういうことですね」
「ご理解いただけて、何よりです」
氷室は軽く頭を下げて部屋を出ていった。権藤もそのあとに続く。扉の前で一度だけ振り返り、何か言いたげに俺を見たが結局、何も言わずに背を向けた。
扉が閉まるのを待って支部長が言った。
「黒瀬君、赤城君。ここを出たら、式典の日まで、君たちはダンジョンに入れない。話があるなら、今のうちだ」
俺はゆうべのことを話した。
札の奥の部屋に並んでいた二十八の石。その中で動く岩食いの形の影。調査班の三人の話――当日は朝から温めて、公開測定が終わる頃に卵がかえるようにする。かえった子は特別班が片づけ、それまで特別班は入り口の外で待つ。
「部屋は、エリザのドローンが録っていました。でも、調査班の話し声までは、入っていなかったそうです。映っているのは、本部の連中が、本部の部屋で、本部の石を数えているところと、札を越えた俺たちだけです」
けさエリザからリタにそう知らせがあった。ゆうべは二階の通路から足音が近づいてきたので、ニールと札の外の暗がりへ抜けて隠れていたという。調査班の前では声もかけられない。知らせる前に権藤が入っていってしまった――とも。
支部長はすぐには答えなかった。
「……岩食いの、卵か」
支部長は机の上で両手を組んだ。
「本部の封は、支部では切れない。本部の区域にも、支部の手は入らない。訴えるにしても、届け先は本部の安全管理部だ。氷室部長の机に、戻るだけだろう」
「式典を、止められないの?」
リタの問いに支部長はゆっくりと首を振った。
「式典は、本部の催しだ。私には、止められない」
それから顔を上げた。
「だが、黒瀬君の見立ては、前にも一度、当たっている」
一階のかじり跡の報告を権藤に退けられた時のことだ。その次の日、三階に女王が出た。
「証拠もなしに本部の催しへ口を出せば、支部ごと黒瀬君をかばったと取られる。そうなれば、当日、私は会場に入ることもできなくなる」
少し声を落として続ける。
「招いた探索者のうち、支部の者には、いざという時は客を逃がすよう、それとなく伝えておく。当日、会場で何かが起きたら、その時は支部長として、非常時の許しを出す。会場の探索者に、スキルを使わせる。……今の私にできるのは、そこまでだ」
~~
広間を抜けてダンジョンの外に出た。
入り口の前でリタのスマホが立て続けに震えた。画面を見たリタの顔色が変わる。
「……何よ、これ」
協会本部のお知らせだった。七番ダンジョンで本部の研究用の標本が盗まれた。関係する補助探索者から事情を聞いているとあった。
名前はどこにも出ていない。だが今、補助探索者と聞いて思い浮かぶ顔は一つしかない。
リタが昨日のコラボ配信のアーカイブを開いた。その手の中の画面を横からのぞく。
>ニキが泥棒とかありえん
>本部のお知らせ見た?
>補助探索者ってニキのことだよな
>式典の前に潰しに来てて草
>測定ゼロの次は泥棒扱いかよ
>でも本部がわざわざ出すってことは……
「配信で言ってやる。盗んでなんかないって」
「やめとけ」
「なんでよ!」
「何を言っても、言い逃れにしか聞こえない」
リタが唇をかんだ。
「……もう、手を引こう」
「は?」
「支部長には話した。何かあれば、許しを出してくれる。あとは、任せりゃいい」
これ以上首を突っ込めば今度こそリタの資格まで飛ぶ。やらせなら、お前の資格も終わりだ――権藤にそう言われて息をのんだ、あの時のリタの顔を覚えている。
「逃げるの? 泥棒扱いされたまま?」
「俺は、一年、目立たずに終わらせたいだけだ」
「私は、歴史に名を残すの! 泥棒の監督で名前が残るなんて、まっぴらよ!」
リタはスマホを握りしめて背を向けた。
「……もういい」
赤い髪が人通りの向こうへ遠ざかっていく。
腕輪で呼び戻されることも、なかった。
~~
その日の夕方、左の手首が光った。
腕輪に引っ張られて、たどり着いたのは『Black Cat』の黒い扉の前だった。
カウンターの真ん中でリタがグラスを前に座っていた。こっちを見もしない。
「……呼んだのは、お前だろ」
「来なさいって言っても、来ないでしょ」
マスターが俺の前にジョッキを置いた。
「聞いたぞ。泥棒だってな」
「マスターも、俺がやったと思うか」
「思ってたら、店に入れてねえ」
背中で扉がきしんだ。
「黒瀬。……ここだったか」
作業着のままの班長だった。ヘルメットを小脇に抱えてカウンターの端に立つ。
「うわさは聞いた。お前が盗みなんぞするか。それより、妙なもんを見た」
班長はヘルメットをカウンターに置いて俺のほうへ一歩寄った。
「式典の舞台は、うちの班で組んでる。広間の奥の、部材を積んでた壁ぎわだ。広げた脇道の口の、ちょうど前になる」
あの脇道の口は部材の山のすぐ裏にあった。舞台を組めばその陰に隠れる。
「けさ現場に入ったら、舞台の下に、本部の封をした木箱があった。音響の機材、と書いてある。ゆうべ、俺たちが引き上げる時には、なかったもんだ」
班長が自分の手のひらを見下ろした。
「どかそうとしたら、本部の連中が飛んできて、触るなとさ。だが、その前に、ちょっと持ち上げかけた。石みてえに重くて――板が、温かかった」
ゆうべあの殻に当てた手のひらを握りしめた。
俺たちが逃げ、権藤も部屋を出たあとで卵をあの広げた脇道で運び上げれば――出るのは舞台の裏だ。
盗まれたんじゃない。本部が自分で移して俺が盗んだことにしたに違いない。
何かを通すための道だと、おととい思った。その何かがこれか。
ゆうべ見たものをマスターと班長に話した。
マスターは黙って聞いていた。グラスを拭く手が途中で止まる。
「岩食いの卵は、熱でかえる」
ぼそりとマスターが言った。
「かえった子は、子猫ほどの大きさだ。女王みてえな鎧もねえ。腹をすかせて、何より先に、岩をかじる」
なんでマスターがそんなことまで。聞きかけてやめた。
岩をかじる。
崩落の日、落ちてきた天井。瓦礫の下で、すがるように俺を見ていた三浦の目。
人でいっぱいの広間で二十八の卵がかえったら。
――目の前で人に死なれるのは、ごめんだ。
あの日もそう思って力を使った。
「……やる」
口に出すとリタがようやくこっちを向いた。
「最初から、そう言ってるでしょ」
「舞台の下を、見張れたらいいんだがな。本部の連中が、あの箱に何をするか。それさえ残せれば」
俺が言うと班長が顔を上げた。
「人は置けねえが、ドローンなら置ける。組んでるのは、俺たちだ。大きな道具箱に入れて運び込んで、ふたを少し開けたまま、舞台の下の隅に置いとく。見張りの連中も、職人の道具箱の中までは見ねえ」
「私のドローンは、式典の配信に使うし……」
リタは少し考えてからスマホを取り出した。手短に話すと、スピーカーにしたスマホからエリザの声が返ってくる。
『予備のドローンなら、ございますわ。人が動いた時だけ録るようにしておきますわ。電波も出しませんから、見つかる心配もございません。その代わり、取り出すまでは、何が録れたか、わたくしにも見られませんけれど』
班長がうなずいた。
「舞台の電源につないどきゃ、式典が済むまで録り続けられる。ただ、舞台を仕上げたら、俺たちも下には入れねえ。取り出せるのは、式典が終わってからだ」
『ニールに、明日の朝、現場に入る前の班長さんへ届けさせますわ』
通話が切れると俺は班長に聞いた。
「舞台のまわりは、どうなってるんですか」
「舞台は、もう骨組みができてる。照明をつるす鉄の枠も、立てた。門みてえな形で、舞台をまたいでる」
班長は指で宙に門の形を描いた。
「照明は、客のほうへ前に張り出して、つるした。脚の根もとは、岩の床にアンカーで留めてある」
アンカー。岩の床に穴を開け、太いボルトを打ち込んで、鉄の板ごと留めるやつだ。作業で何度も打った。岩が持っている限りびくともしない。
――岩が、持っている限りは。
根もとの岩をかじられたら。
前に重い枠だ。根もとが外れれば前へ倒れる。
「……客の上に、倒れる」
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