第14話 卵
「見張りは、おりませんわね」
暗がりの奥からエリザの小さな声がした。
その夜、俺とリタは七番ダンジョンの二階の通路の奥まで来ていた。
協会の明かりは奥へ行くほどまばらになる。今日の昼、見張りの男が立っていた札の前はほとんど真っ暗だった。手もとの懐中電灯を向けると、光の輪の中に白い丸いものが浮かんだ。エリザが両腕で抱えたドローンだ。その後ろで大きな丸い盾の影が動く。ニールだ。
四人そろって入れば目立つ。エリザとニールは俺たちとは別に先に入って待っていた。
札の奥のものを、どこかへ移される前にこの目で確かめる。昼に一階の行き止まりで四人でそう決めた。昼はあの見張りがいる。だから夜だ。
その見張りの姿はどこにもない。夜の二階には探索者もまず来ない。人を立たせておくのは昼のうちだけらしい。
配信はしない。撮るのはエリザのドローンだけだ。その白い明かりも今は消してある。明かりといえば、四人がめいめいに持った小さな懐中電灯ぐらいだった。
鉄の棒の下をくぐる。昨日、俺が越えなかった棒だ。
札の奥の短い通路は広げられていなかった。昔のままの細い道で大柄な者は横向きにならないと通れない。その先がぼんやりと青白い。懐中電灯を消しても足もとは見えた。
短い通路を抜けると部屋に出た。後ろからニールが盾を胸の前に抱え、横向きになって出てくる。
作業員の道を通っていた頃は、少し広くなっただけの場所だった。それが今は教室ほどの広さに削り広げられている。右手の壁ぎわには、削った岩のかけらが背丈ほどの山になって続いていた。
部屋の向こうの壁には大きな口が黒々と開いている。昨日、広間の奥で見たあの広げた脇道のこちら側の端だ。
そして床にはあの石が並んでいた。
丸い灰色の石が二十いくつ。どれもソフトボールほどで、内側から青白い光をにじませている。まわりには昨日見た木箱がふたを開けたまま置いてある。部屋を照らしているのはその石の光だけだった。
俺は一番手前の石の前にしゃがみ込んだ。
近くで見ると表面はざらついていて本物の石のようだ。だが内側の光に何かの影が透けている。
影が、動いた。
丸まっていたものが寝返りを打つように向きを変える。小さな頭の先に平たい影が二本、突き出していた。
作業で何度も運んだ形だ。
「……岩食いだ」
「え?」
リタが俺の隣にしゃがむ。
「中に、岩食いがいる。こいつは、石じゃない。卵だ」
後ろで息をのむ気配がした。振り返るとエリザとニールも肩ごしにのぞき込んでいた。
リタがそっと指先で殻に触れた。
「……温かい」
俺も殻に手のひらを当てた。おととい台車の木箱を押さえた時と同じ温かさだ。外から運び込まれたのに中から温かかった箱。その中でこつんと鳴ったもの。
「撮りますわ。部屋じゅうが映るところに、置いておきます」
エリザが腕の中のドローンを放した。白い機械は音もなく浮かび上がって、俺たちが入ってきた口の天井近くで止まる。
「入ってきた道は、見張っておきます」
ニールがその口の脇の暗がりに下がった。エリザも隣に並ぶ。
俺とリタは卵の列をたどって部屋の奥へ進んだ。列は向こうの壁の脇道の口近くまで続いている。いくつあるのか数えておきたかった。
作業員の講習で見た図の横に、岩食いで子を産むのは女王だけだと書いてあった気がする。
ならこの卵は――
ごろごろと車輪の音がした。
部屋の向こう、広げた脇道の坂の上で明かりが三つ揺れている。
「……来た」
リタが声を殺す。
入ってきた口までは卵の列を抜けて十歩以上ある。走ればあの明かりに背中をさらす。
俺はリタの腕をつかんで、右手の壁ぎわの岩の山の陰に飛び込んだ。山と壁のすき間に二人で身を縮める。
車輪の音と足音が坂を下りてくる。ヘルメットの明かりが三つ、岩の山の上の壁をかすめていった。がちゃりと何かを床に置く音がして、岩の山の向こうが急に白く明るくなる。
岩のすき間からそっとのぞいた。
男は三人。みな灰色の作業着だ。台車の脇の床に作業灯が一つ置かれ、白い光を卵の列に向けている。光が届くのは台車のまわりと卵の列の奥のほうだけだ。入ってきた口のあたりと天井は暗いまま沈んでいる。
三人のうち一人に見覚えがあった。おととい木箱に触った俺の腕を払いのけ、今日の昼は札の前に立っていたあの男だ。
三人は卵の列の前にかがみ込み、顔を寄せて声を落とした。
「……二十八。数は合ってる」
見張りの男が卵の列を指でなぞりながら言った。
「ぬくいな。ここに置いとくだけで、中で動きだしやがる」
もう一人が卵の上に手のひらをかざす。
「当日は、朝から温めるんだったな」
「ああ。公開測定が終わる頃に、ちょうど卵がかえるようにな。温める箱は、もうできてる」
「かえった子は」
「特別班が片づける。それまでは、入り口の外で待機だとさ。中が騒ぎになってから、入ってくる段取りだ」
「……客は」
少し間があった。
「知らんよ。上が決めたことだ」
背中を、冷たいものが伝った。
公開測定。人でいっぱいになる式典の広間だ。そこでこの卵をかえすつもりなのか。
リタが俺の袖をぎゅっと握った。
エリザのドローンは、入ってきた口の天井近くに浮いている。三人の低い声は部屋の反対の端の天井までは届かないだろう。
その口の脇の暗がりで卵の光をかすかに返していた丸い盾のふちが、ふっと動いた。ふちはそのまま細い通路の奥へ消える。エリザも一緒だろうか。わけが分からないまま息を詰めた。
そのすぐあとだった。
入ってきた口のすぐ内側で明かりがともった。
懐中電灯の丸い光が卵の列の上を滑って――岩の山と壁のすき間で、止まる。
まぶしさに目を細めた。調査班のいる側からは岩の山が陰になっている。だが入ってきた口からは、このすき間がまっすぐ見通せるのだ。
「そこまでだ、黒瀬。赤城」
聞き覚えのある平らな声。
権藤だった。
「試験室に残っていたら、夜中に、お前たちが奥へ入っていくのが見えた。からくりの種でも仕込みに来たかと思って、あとをつけたが――二階で見失った。この明かりが漏れていなければ、分からなかったところだ」
光が俺とリタの顔をかわるがわる照らす。
「本部の、立ち入り禁止の札を越えたな。規則違反だ」
自分もその札を越えて来ているくせに。
「誰だ!」
作業灯の前で三人がいっせいにこちらを向いた。岩のすき間の向こうで見張りの男の顔がこわばる。
「聞かれたか……!」
三人が卵の列を回り込んで岩の山の奥の端から駆けてくる。手前の端には明かりを向けたまま権藤が先回りしていた。
まぶしい光の向こう、入ってきた口の天井近くで、白いものがすうっと細い通路の奥へ消えた。エリザが外から引き戻したのだろう。
足音が迫ってくる。逃げ道は背丈ほどの岩の山の向こうにしかない。
リタが岩の山を見上げた。
「無資格、跳んで!」
リタが右の手のひらを上に向け、下からすくい上げるように俺に向かって振り上げた。
「軽く!」
体の芯からすっと重さが抜けた。
ここで俺が自分に何か命じればリタのかけたものは消える。口を閉じたまま床をけった。
岩の山をひと跳びで越える。隣でリタもふわりと宙を渡った。
卵の列のすぐ手前に降りると体に重さが戻ってきた。人を軽くしておけるのは、ほんの短い間らしい。
入ってきた口へ走る。権藤の脇をすり抜けた。権藤は手を伸ばしもしない。
口の脇の暗がりは空っぽだった。
細い通路を、体を斜めにして抜ける。鉄の棒の下をくぐって二階の通路へ飛び出した。
振り返ると、細い通路の奥からヘルメットの明かりが三つ、壁につかえながら迫ってくる。
リタはすぐ横にいる。
その明かりだけを、見据えた。
「消えろ」
三つの明かりがそろってふっと消えた。
真っ暗になった細い通路でどさりと人の倒れる音がした。誰かが誰かにつまずいたらしい。くぐもったののしり声が続く。
その細い通路の向こうに、作業灯に照らされた部屋が四角く切り取られて見えている。
その中に権藤が一人、立っていた。
追ってこようともしない。懐中電灯の光を床に並んだ卵の上に落としたまま動かない。
「行くわよ!」
リタに腕を引かれて走りだす。
エリザとニールの姿は権藤の明かりに一度も入っていない。あの部屋にいたと権藤が言えるのは、俺とリタの二人だけだ。
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