31
「二人で話してみるといい」
そう言ってグラファール様は、竜の姿に変じてどこかへ飛んでいってしまった。
勘だけど、シリルフォース様に会いに行ったんじゃないだろうか。
いずれにしても残された僕は、一人でパトリシア嬢に向かい合う。
「誤解があるようなのですが、私は旦那様、グラファール様の家令で、単なる従僕、つまり平民に過ぎません」
僕がそう言えば、彼女は頷く。
……そうか、わかってるのか。
だからなんでわかってて、婚姻の相手に僕を選ぶのか。
「あの戦いにしても、旦那様が敵味方の区別が難しいと仰ったので、同行しただけなのです。ですから、私には敵を打ち倒したりとかなんだとか、英雄的な力はないんですよ」
更に言葉を重ねたけれど、やっぱり彼女は頷いた。
それもわかってるんだ。
本当に、パトリシア嬢の考えが読めない。
「では何故、僕を婚姻相手にしたのですか? それがどうしてもわからないのです」
考えに考えて、僕は結局、素を曝け出した。
セバスチャンとして、誰にも侮られぬようにこれまで背伸びしてきたけれど、もしもこのまま彼女が僕の伴侶となるなら、その相手にだけは素のままの僕を知って欲しいと思ったから。
すると僕の言葉にパトリシア嬢は少し微笑んで、
「声です。あの時、私は、毒杯を弟に飲ませるところでした。まだ何もわからぬ小さな弟に、お家の為とはいえ、私もあの子も、生きての辱めを受けぬ為とはいえ、この手で殺し、それから死ぬところだったのです」
そんな言葉を口にする。
ほんの少しも淀みなく、けれどもその声には、凄味すら乗って。
或いは彼女の時間は、その時から進んでないんじゃないだろうかと、そう思わせるくらいに。
「そこに聞こえてきたのが、貴方の声でした。竜の咆哮よりも先に、はっきりと、私達を助けに来たと告げてくれた声。……その声に心惹かれた事が、そんなにもおかしいでしょうか?」
パトリシア嬢の声も、瞳も、熱を帯びてる。
その言葉に嘘がないと、まるで訴えかけるように。
「我が家も、シュリル伯爵家も、私の気持ちを認めてくれました。竜との縁を持つのが第一。しかしそれが叶わねば、私の希望通りに、その声の主、竜の家令、セバスチャンに嫁いでも構わないと」
だけど、或いはだからこそ、僕は疑問に思ってしまう。
「……たったそれだけの事で?」
どうして、たったそれだけの事で、彼女はそこまでできてしまうのかって。
グラファール様が婚姻の話を受けるか否か、パトリシア嬢にはわからなかった筈なのに。
「そうですね。もしかしたら、貴方様にはわからないのかもしれませんが、それだけの事が私にとってはとても大きかったのです。そして、その事はあの竜様にも伝わったようですね」
まるでそれがわかってないのが僕だけだったかのように、彼女は言った。
その言葉に、僕は僅かにムッとする。
いや、そんな場合じゃないのはわかってるんだけれど、パトリシア嬢が僕以上にグラファール様をわかってる風に言うから、何だか悔しかったのだ。
「ですが今すぐにわかってくれとは申しません。強引な手を使っている事も承知の上です。なので、せめて一年、お傍において考えてください。その間にお役に立って、私が必要だと思わせてみせます」
更に彼女はそう言って、その笑みを深くした。
あぁ、そこは思いを伝えてみるとか、そういうのじゃないんだ。
自分が必要だと思わせるって、その分かり易さも自信も、単なる好きとか嫌いの感情よりも、受け止め易くて心地好い。
そう言ってくれるなら、まずは一年、共にグラファール様にお仕えして、様子を見る事にしよう。
結局のところ、今の僕には誰かが好きとか嫌いとかよりも、グラファール様にお仕えする事の方が比重が重いから、それに付き合ってくれるというなら断る理由はなかった。
ちなみにこの話が終わった少し後、やっぱりグラファール様はシリルフォース様を連れて帰ってくる。
そしてシリルフォース様は、僕とそれからパトリシア嬢の話を聞いた後、呆れかえった顔で、
「私のグラファールも情けない所があるけれど、セバスチャン、主従だからって、そんな所は似なくていいのよ。パトリシアね。もしも困った事があったら、グラファールとセバスチャンは頼りにならないから、私に言いなさい」
なんて風に言われてしまった。
どうやらこの件に関しては、僕の味方はいないらしい。
正式に結婚するかはさておいて、ひとまずは婚約をするという形で落ち着き、パトリシア嬢はグラファール様の城に客人として滞在する事になった。
仮に結婚するにしても、物事には色々と準備が必要になる。
例えばその一つに、僕の父と母への、それから本家の当主であるアレクス伯父さんへの報告だ。
相手がただの村娘、町娘なら、父母は兎も角、本家への報告なんて要らないんだけれど、流石に貴族の姫君が相手となると、そう簡単に話は進まない。
場合によっては少しでも格を近付ける為に、僕がアレクス伯父さんの養子になって、パトリシア嬢には分家ではなく、本家に嫁入りする形になって貰う、なんて事にもなるだろう。
村長の家とはいえ、貴族に比べれば単なる庶民に過ぎないのだけれど、それでも庶民には庶民の、大切にしている誇りもある。
分家ばかりが栄達すれば、本家の立つ瀬がなくなってしまうのだ。
けれどもアレクス伯父さんは、
「本家、分家以前に、お前はセバスチャンだからな。そういう事もあるんだろうさ。……いや、貴族の姫君との結婚は、そりゃあ驚くけどな。竜に仕えてるって事に比べたら、あり得ない話じゃないだろ?」
なんて風に笑って、パトリシア嬢と結婚するかどうかは、僕が決めればいいと言った。
アレクス伯父さんの息子、つまりは僕にとっては従兄になるクロード従兄ちゃんも、
「こっちは気にしなくていいよ。爺さんがどれだけお前に厳しかったかは、幼い頃からよく見てきたしな。その上、戦争にまで連れてかれたってんだから、お前が誰と結婚しようが、妬む気にもならないよ」
そう言って僕の肩を軽く叩く。
親族の中でも本家の当主と、その後継ぎが認めてくれるなら、もう今回の話に文句をつける者は誰もいない。
「だけど、俺達はちゃんとお前の苦労を見てきてるが、そうじゃない奴もいる。竜に選ばれただけで華々しい活躍をして、貴族の姫君まで娶った……、なんて風に見る奴は、絶対に出てくる」
但しそれはあくまで僕の親族の中からは、って話だ。
今回の話はロワイスの中だけじゃなくて、王国中に広まる可能性があるから、詳しい事情を知らぬままにやっかむ者も多く出るだろう。
またこれにより、竜の家令、セバスチャンという立場には、大きな役得があると認識されると思われた。
そして実際、役得はあるのだ。
パトリシア嬢の事はさておいても、竜爵はもうすぐ町になろうかというロワイスを有する領主である。
その領主代行を務める事もあるセバスチャンは、貴族に準ずる権力者であると言っても過言ではない。
この職分を利用すれば、好きに私腹を肥やす事だって、決して難しくはなかった。
もちろん僕は、そんな真似をしてグラファール様の信頼を損ねるのなんか、真っ平ごめんではあるけれど。
する、しないに関わらず、それができる立場というのは、多くの人の目から見れば、魅力的に映るだろう。
「だからな。お前も領主様ばかり、竜ばかりを優先せずに、自分や、娶った姫君の事をちゃんと考えて守れよ。少なくとも父さんは、母さんや俺、お前の父親やミラの事も、セバスチャンをやりながらでも、しっかりと守ってくれたぞ」
アレクス伯父さんは、グラファール様だけじゃなくて自分や家族をもっと大事にしろと、少しばかりの小言をくれた。
爺ちゃんにはそれができてたんだから、僕にだってできるだろうって、そう言って。
先代のセバスチャン、あの爺ちゃんと、まだまだ未熟な僕を比べられてもって気持ちにはなるけれど……、あぁ、でも、誰かと結婚するなら、それができるように努力する事が、まずは最低条件なのかもしれない。




