28
見えてきたシュリル伯爵領の町は、既に上陸した敵兵が雪崩れ込んでいて、各所で戦闘が起こり、陥落は間近に見えた。
予想よりも攻め込まれていて、とてもじゃないが明日まで持ち堪えられそうには見えない。
これはトルトマステアの軍が強いからか、それともシュリル伯爵領の兵が不甲斐ないのか、或いはその両方か。
いいや、周辺貴族の裏切りで思ったように迎撃態勢が整えられず、更には王都からの援軍が間に合わないとなれば、兵の士気が下がるのも当然だろう。
まだ陥落していなかっただけマシである。
しかし逆に言えば、僕とグラファール様はギリギリだが、陥落前に間に合った。
援軍のあてがなく士気が下がっているなら、竜というとびっきりの援軍は、シュリル伯爵領の兵の心を燃え上がらせる炎になれる筈。
「旦那様!」
思い切り身を乗り出して、町を見下ろす高台にある城を指差す。
あそこがシュリル伯爵の居城だ。
敵兵の一部は既に城近くに迫っていて、まずはそれを何とかしなきゃならない。
「わかった」
グラファール様は僕の意図を察し、大きく翼をはためかせると一気に加速し、そしてシュリル伯爵の居城の上に、圧し掛かるように着地する。
普段は、ふわりと重さを感じさせぬように地に降り立つグラファール様なのに、今日はずしんと、足を乗せた城や、その下の大地を揺らすような衝撃を発して。
けれども、それが効果的だった。
突如として現れた巨体、竜の姿に、城の守備兵も、迫りつつあった敵兵も、思わず動きを止めて、まるでここだけ時までもが止まってしまったかのように、シンとする。
「こちらにおわすは、竜爵、グラファール様である。我が主は、王国貴族の誼によって、シュリル伯爵に助力する。愚かな侵略者、トルトマステアの兵士達よ。竜の怒りを知るがいい!」
その隙を逃さず、僕はできる限りの声を張り、グラファール様の参戦をシュリル伯爵領の兵士と、それからトルトマステアの兵士に向かって告げた。
僕の言葉が終わるや否や、グラファール様が大気を割らんとするかのような咆哮を、その口から発する。
竜の息は高熱を帯び、竜の声は心を砕く。
吟遊詩人が竜の恐ろしさを歌う時の定番の言葉らしいけれど、正にその通りに、グラファール様の咆哮を浴びせられたトルトマステアの兵達は、一部は意識を失ってその場に崩れ、そうならなかった者もパニックになって逃げだして、城を攻めるどころではなくなった。
たった一声でこの有様なのだから、正に竜は偉大である。
「なぁ、セバスチャン。……俺はそんなに怖いか?」
しかしそれをなした当のグラファール様は、少しばかり不満げに、僕に向かって問う。
僕は咆哮が齎した結果と、そのグラファール様のギャップがおかしくて、少しばかり笑ってしまったけれど、
「いいえ、とても格好いいと思います」
素直な気持ちでそう答えた。
一旦、城はこれでいい。
だがグラファール様の登場で、トルトマステアの兵達は一時的にパニックに陥っているけれど、時間を与えればやがては持ち直すだろう。
その前に、そのパニックを士気の崩壊に変える、心を完全に圧し折ってしまう必要がある。
故に、次は海上だ。
この町には港があって、その向こうが海である。
海上には既に沈んだ三隻の軍船と、それらを沈めたのであろう、八隻の軍船の姿が見えた。
トルトマステアの軍船は、帆と櫂の両方を使って動く。
このタイプの船は櫂の漕ぎ手に人を多く乗せなきゃならないが、戦いとなれば、その漕ぎ手がそのまま兵士になれる。
今、町に攻め込んでいる兵士は、その漕ぎ手達だ。
つまりこの船を全て潰してやれば、町に攻め込んだ兵士は帰る場所を失う。
大きく翼をはためかせ、空へ舞い上がったグラファール様は、一隻の船に近付くとその口から吐息を吐いた。
船の帆は一瞬で消し炭と化し、その余波で甲板が燃え始める。
この火事で船が沈むにはまだ若干の猶予があるが、消し止める事は不可能だ。
船に残った者にできるのは、大急ぎで海に飛び込み、泳いで陸地に辿り着くのみ。
尤も陸地に辿り着いたとしても、その頃には恐らく戦いは終わってて、捕虜となるだけだろうが、それでも命を落とすよりはマシだろう。
と、そんな風に思っていたのだけれど……。
グラファール様が身を翻すと、傍らを巨大な火球が通り過ぎ、先程の船に命中してそれを轟沈させた。
「あの船です!」
モノクルで見れば、一隻の船の甲板に五人の魔術師が並ぶ姿を発見した。
先程の火球は、あの魔術師達が協力してグラファール様を狙ったらしい。
尤も狙いはあまり良くなかったらしく、命中したのは味方の船だが。
とはいえあの程度の命中精度でも、海戦では大きな武器となるんだろう。
或いはシュリル伯爵の船を沈めたのは、あの火球の魔術だったのかもしれない。
「あの程度なら問題ない。……が、俺には問題なくともお前が火傷を負うと困るな。さっさと叩くぞ」
しかしグラファール様はその火球の威力を、鼻で笑った。
ロデナ先生曰く、魔法とは神話の時代に、神々や竜、ドヴェルグ等の一部の存在のみが、創造主より与えられた力だという。
そして魔術は、その後の時代に人間や他の種族が魔法を模倣し、自ら編み出した神秘の法だ。
この話をする時、ロデナ先生は、魔術は与えられたものじゃなくて自ら得たものだと誇らしげだったが、……単純な事実としては魔術は魔法に劣る。
竜であるグラファール様はその魔法の使い手なのだから、魔術なんて意に介さないのも無理はない。
一度高さを取ったグラファール様はそう言って、また一気に加速すると、魔術師達が乗っていた船の甲板に、その勢いのままに着地した。
慌てふためいた魔術師達が逃げた船の甲板に、グラファール様の足が突き刺さって、船はその衝撃で真っ二つに折れる。
その瞬間、誰かがその割れた船の甲板を蹴って、グラファール様の背の高さにまで飛び上がった。
狙いは、僕か。
真上から振り下ろされる剣。
だが、そう来る事はこの船を叩く前から予想はしていた。
流石は伝説の種族、ドヴェルグが作ったモノクルと言うべきか、魔術師達の傍らに明らかに普通とは違う様子の剣士がいて、そいつが衝撃を利用して飛ぶ様も、逃さず見せてくれていたから。
僕は慌てず、懐から取り出した物で、振り下ろされる剣を受け取める。
必殺の一撃を受け止められた剣士の顔には驚愕の表情が浮かぶ。
それは絶対の自信を持った一撃を受け止められたからってだけじゃなくて、……それを受け止めた物が精巧な造りではあるけれど、華奢な一本のペンだったから。
僕はその隙を逃さず剣士の腹に蹴りを入れ、グラファール様の背を踏ませる事なく、海に叩き落とした。
実は、爺ちゃんから受け継いだセバスチャンの証は三つある。
一つはロワイスの誰もが知るセバスチャンの証であるモノクル。
そしてもう一つは、今しがた剣を受け止めたこのペンだ。
モノクルのように特別な機能がある訳じゃないけれど、竜の魔法が掛かってて、このペンは決して壊れる事がないという。
その証拠に、今も剣を受け止めたけれど、ペンには傷一つ付いてない。
「俺はそれを、そんな風に使う為に渡したんじゃないんだがな。まぁ、お前の身が守れたなら、それでいいか……」
ちょっと呆れた様子のグラファール様が、翼をはためかせて高度を取った。
あの戦士は間違いなく人間離れした実力者だったが、それでも海に落ちてしまえばもう何もできないだろう。
強い、弱いの問題じゃなくて、人間というのは水の中ではその力を十分に発揮できない生き物なのだ。
ちなみにセバスチャンの証の最後の一つは、主であるグラファール様にも内緒である。
「旦那様、次はあの船です!」
それから後もグラファール様は次々と船を破壊していき、やがて勝ち目がない事を悟ったか、トルトマステアの軍は降伏を叫んだ。




