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朝起きて、顔を洗って歯を磨き、髪を整えてから、家令の服に袖を通す。
そして最後にセバスチャンの証であるモノクルを右の目に当てたら、準備は完了だ。
部屋を出てまずは使用人が使う食堂に向かう。
「おはよう、ロギンさん」
すると食堂では城の調理を任されている料理人、パトムさんが既に働き出しているので、彼からパンとチーズ、ミルクの朝食を受け取った。
何時もは挨拶を交わせばこれらの朝食をさっさと胃に詰め込み、朝の仕事にとりかかるのだけれど、今日は一つだけ言っておかなきゃならない事がある。
「おはようございます、パトムさん。ですが僕の……、いえ、私の事は今日からはセバスチャンと呼んでください」
僕がセバスチャンの名を受け継いだ事を告げるのは、パトムさんが一人目だ。
名前を受け継ぐ……、それはつまり前のセバスチャン、爺ちゃんが昨日、亡くなった事を意味してて、
「……そうか、セバスチャンさんは、あぁ、名前を受け継いだんだね。わかったよ、セバスチャンさん、これからもよろしく」
パトムさんは一瞬目を伏せて、けれども空気が悪くならないようにすぐに顔を上げると、そう言って笑ってくれた。
まるで僕を励まそうとするかのように。
その気遣いが、とてもありがたい。
前のセバスチャン、爺ちゃんは、この村の中心に居る人だった。
そもそもこの村を作ったのが、爺ちゃんと、爺ちゃんが集めた最初の住人達だったという。
村が生まれた時も、村が大きくなっていく時も、常に先頭に立ち続けたのが爺ちゃんだ。
随分と昔に村長は引退していたけれど、それでも家令として竜と村人の間を繋ぎ、働き続けていた爺ちゃんの死が村に与える影響は、きっと大きい。
でもその影響を、少しでも小さくするのが、爺ちゃんから家令の役割を、セバスチャンの名を継いだ僕の役割だった。
朝食を食べ終えたら、完成してからまだ然程に時間の経ってない城を見て回って、程よい時間になれば中庭に向かう。
そこにいるグラファール様を起こす為だ。
広い中庭に寝そべり、その巨体には似つかわしくない小さな寝息を立てるのが、城の主である竜、グラファール様。
この城が完成してから、城で過ごす時は基本的に人間の姿になるグラファール様だが、こうして中庭で寝ている時だけは、本来の、竜の姿に戻る。
そしてこの竜の姿が、何度見ても見惚れそうになるくらいに偉大で、格好いい。
「旦那様、旦那様、朝ですよ。起きてください」
僕は声が届くように両手を口の横に当て、グラファール様に朝を告げる。
爺ちゃんは城が完成した後も、それ以前に領主の館があった頃も、そこには部屋を持たずに自分の家から城や館に通ってた。
一方、僕は十五になった頃から、最初は領主の館に、城が完成してからは城に、部屋を貰って住んでいるので、こうしてグラファール様を起こすのは以前から僕の役割だ。
起こすのが役割だと言っても、グラファール様は基本的に寝起きが良いので、声を掛ければすぐに起きる。
何時も決まって、まずは目だけを開けて周りを見、それからゆっくりと首を持ち上げるのだ。
多分、何かの拍子に周りを壊したり、誰かを潰したりしないよう、起きたその瞬間から、或いは寝ている時ですら、細心の注意を払ってるんだろう。
実は村には、グラファール様の竜の姿を怖がるものも少なくはない。
優しい領主であると皆も知ってるのだけれど、竜としての姿は生物としての格の違いを思い知らされ、どうしても恐怖を感じるのだそうだ。
この城で働く使用人も、寝ているグラファール様には極力近付かなかった。
寝ている竜を起こすなんて怖くないのかと、聞かれた事も、実は三度くらいある。
ただ僕は、グラファール様を怖いと思う他の人の気持ちが、本当に全く理解できないので、その質問には首を傾げるしかないのだけれども。
爺ちゃん曰く、僕は赤ん坊の頃からグラファール様を全く怖がらなかったらしい。
他の赤ん坊は、グラファール様が人間の姿になっていても、怖がって泣き喚いたみたいだけれど、僕だけが全く泣かなかったそうだ。
家令としての後継者に選ばれたのも、これが理由だという。
ただそんな僕でも、これからグラファール様に、爺ちゃんの死を告げる事だけは、……少しばかり怖かった。
「ああ、ロギン、おはよう」
目を開け、首を持ち上げたグラファール様が、僕に朝の挨拶をしてくれる。
それからゆっくりと、身体を大きく広げて伸びをしたかと思うと、次の瞬間には、そこに立っていたのは一人の人間、そう、人間の姿に変じたグラファール様だ。
「おはようございます。旦那様。ですが今日からは、どうかセバスチャンとお呼びください」
僕は少し緊張して、その言葉を口にした。
セバスチャンは、グラファール様が爺ちゃんを家令にした時に与えた名前だという。
爺ちゃんの遺言とはいえ、それを勝手に受け継いだ事を、もしかすると咎められるかもしれない。
グラファール様にとって、爺ちゃんは特別だったから。
「……そうか。なんと言っていた?」
寂しそうな表情を隠そうともせずに、グラファール様が問い掛けてくる。
昨日、最期の日、見舞いに来たグラファール様を、爺ちゃんは早々に追い返したらしい。
見舞いに来た主を追い返すなんて、なんというか爺ちゃんらしいなぁと思うのだけれど、これは多分、グラファール様を軽んじての事じゃないんだろう。
寧ろ爺ちゃんにとっても、グラファール様は特別だったんだと思う。
ちゃんと特別に思ってるから、自分の死を見せて、殊更に落ち込ませたくなかったのだ。
「自分が死んでも変わりなく働け。ただ、旦那様が少し落ち込むかもしれないから、数日だけでもできる限り明るく振るまえ。そしてセバスチャンを名乗れ。後は任せたと」
何故なら、爺ちゃんが僕に言い残した言葉の多くには、グラファール様の事を案じる気持ちが込められていたから。
もちろん他にも少しばかり言ってたけれど、……そこは僕の胸に秘めておく。
赤ん坊の頃に勝手に未来を決めてしまった事に関する話なんて今更過ぎたし、僕は寧ろ爺ちゃんには感謝しかしてない。
「あいつらしいな。……わかったならば今日からはお前がセバスチャンだな。よろしく頼むぞ」
そういってグラファール様は、少しだけ笑ってくれた。
よかった。
無事にセバスチャンを引き継げた。
竜に仕えて補佐するなんて、セバスチャン以外の誰にも許されない贅沢だ。
そのセバスチャンに僕を選んでくれて、その役割をこなせるように育ててくれて、爺ちゃんには本当に感謝をしてる。
爺ちゃんともう話せない事は悲しいけれど、それでも僕は何事もなかったかのように働き、それから少なくとも数日は、できる限り明るく振舞おう。
それが僕のセバスチャンとしての最初の仕事なのだから。




