17
「おぉ、セバスチャン、この子は泣かないぞ!」
人の姿に変じた竜は、私の孫の一人をその腕の中に抱きながら、嬉しそうにそう言った。
竜が来てから、そろそろ八年が経つ。
村の人口は増え、道は町まで整備されて商取引は活発化したし、牧場でグレートホーンの家畜化も始まっている。
長男に続いて次男も次女も相手を見つけて結婚し、孫が幾人も生まれた。
私は孫が生まれる度に領主の館に連れてきて竜に見せているが、泣かなかったのはこの子、ロギンが初めてだ。
いや、それどころか、とても楽しそうに笑ってる。
ロギンは大物になるかもしれない。
他の赤子は、私の孫以外の子を含めても、竜を前にすると生き物としての圧倒的な違いを感じるのだろう。
火が付いたように泣き喚く。
たとえ竜が人の姿に変じていても、それは少しも変わらない。
その腕に抱かれても平然としてるのは、或いは相当に鈍いんだろうか?
あんなに雑に抱かれているのに、よく笑っていられるなぁと不思議にすら思う。
「旦那様、この子に、竜の姿も見せてあげて貰えますか?」
私は手を伸ばして竜からロギンを返してもらい、竜にそう頼む。
すると竜はもちろんだと頷き、私を伴って裏庭へと向かう。
裏庭で真の姿に戻る竜。
竜から人間の姿になる時は兎も角、逆に人間から竜の姿になる時は一気に巨体が出現する為、慣れてる私でも少し驚く。
しかしロギンは、目を丸くはしてるものの泣き出すような事はなく、それどころか、次の瞬間には笑いながら巨大な竜に向かって短い手を伸ばし、……それが届かないことに驚いていた。
あぁ、この子だ。
私はその姿を見て確信し、心を決める
ロギンは私の次男の二番目の子だが、持ってる権利を上手く分散して子らに譲り、どうにか不満は抱かせないようにしなきゃいけない。
「旦那様、私はこの子を次の家令として育てます」
竜に向かって、私はそう宣言する。
差し当たって、まずは長男に村長としての役割を譲り渡そうか。
自警団でも責任ある役職に付いていたし、村の有力者との繋がりも作っていた。
次男も文官の纏め役になっているから、二人が協力すれば十分に村は回せるだろう。
もちろん暫くの間は、私が補佐に付くし、村の有力者達にも協力を求める。
それに村長という役割も、何時までもあるとは限らない。
村がこの調子で発展を続ければやがては町になり、今の村長は人々の纏め役の一人、有力者の一人という位置に落ち着くと思う。
「な、なんだ? 急にどうした。セバスチャン、俺の家令をするのが嫌になったのか!?」
私の言葉に竜が慌てたように言うが、別にそんな事はない。
寧ろ村長としての役割を譲って家令と、その後継者の教育に専念するのだから、好き嫌いでいえば真逆だろう。
それにしても、やっとあの大量の仕事から解放されるのか。
竜の家令と村長の兼任は、そうするしかなかったとはいえ、中々に大変だったから。
「違います。ただ私もいい歳なので、後継者を考えなければならないのです」
単に私も年を経たので、何時までも元気ではいられないというだけの話だ。
もしも竜が、私が死んだ後は領主なんて辞めて山に帰るというなら家令の後継者なんて不要だが、それはそれで事前に言っておいてくれないと、村が混乱に陥るから、色々と準備が必要になる。
「俺はお前にこそ、ずっと家令でいて貰いたいと思っている。……知っているか、セバスチャン。竜の血は人に長寿を齎すとされている事を」
竜が何か寝言を口にしているが、私はそれを遮るように首を横に振った。
幸いにも今の言葉を聞いているのは私だけだから、それは与太話、噂話の類を竜が口にしただけだと片付けられる。
本当に、もう少し考えて喋って欲しいものだが、いや、でもそれだけ私を家令として大切に思ってくれているのだとしたら、嬉しく思わない訳でもない。
「先に言いますが、嫌ですよ。下手に長生きして、妻に先立たれたら悲しいでしょう」
その血を与えるだのなんだの言われる前に、私は拒絶を口にする。
私一人で長生きをさせて貰うなんて、そんなの真っ平ごめんだ。
いや、だからって妻も一緒ならいいって話でもないのだけれど。
「お前に死なれたら俺が悲しいのだが!?」
竜がすかさずそう言い返すので、私は少し笑ってしまった。
まぁ、そうだろうなぁとは思う。
その言葉を欠片も疑わないくらいには、もう竜との付き合いも長いし、主人と家令という関係ではあるが、少なからず友情も感じているから。
「それは別にいいんですよ。それなりに悲しんでください。ですが私は、こんな私を支えて共に生きてくれた妻と、大体同じくらいの時期に、私の方が少しだけ早く死んで看取って貰うと決めてるんです」
私は敢えて、なるべく素っ気なくその言葉を斬り捨てて、自分が望む終わりの姿を口にした。
あまり大きな声では言えないけれど、実は私は、もう十分に竜に感謝をしている。
竜が来なければ、後継者がどうこうなんて言ってる余裕は、きっと今もなかった筈だ。
今年の収穫の出来不出来に一喜一憂し、時には口減らしを考え、季節を越せずに亡くなる子の数を数えて、それが死を迎える頃まで続いただろう。
或いは、老いれば子等の足を引っ張らぬようにと、少しでも早い自らの死を望んだかもしれない。
だが竜が来た事で、村は豊かになり、失われる命は大きく減って、未来を考え、備える余裕ができた。
それはまるで奇跡のようで、私は竜に感謝をしてる。
故に私は、未来が少しでも竜にとって良いものとなるよう考える事で、この恩を返したい。
後継者を選び、教育するのも、その一つだ。
「そもそも、人間は竜のように長く生きられるようにはできていません。身体だけじゃなく、心も。仮に長寿になる事を選んだ私は、やがて私じゃない何かになるでしょう」
ただ、私がずっと竜と共に在るというのは、それはどうしたって不可能だろう。
仮に竜の血で長く生きられたとしても、果たしてそれは今と同じ私だろうか
竜を自分が長く生きる為の餌だとしか思わない何かになり果てないだろうか。
私は、そんな私にはなりたくない。
「ですが旦那様、人間は己の死から逃れたいと欲する業に囚われています。今の話は二度と口にしないでください。さもなくば、無数の人間が列を作って、竜の血を最後の一滴まで欲するかもしれませんので」
私は脅すようにそう言った。
いや、これは竜の血が長寿を与えるという話が広まったなら、かなり現実に起こり得ると思われる未来だ。
実際に私だって、私自身の生死に関してだから鼻で笑うフリができたが、もしも仮に、村の開拓がはじまったばかりの頃、長女の命が失われようとしている時にその話を耳にしていたら、竜の前にひれ伏してでも、或いは隙を突いて傷付けてでも、血を得ようとしたかもしれない。
だから本当に、心の底から、二度とその話はしないで欲しいと思ってる。
私だって常にそれを笑い飛ばせる訳じゃないから。




