8話 この世界に教育は存在しない
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僕は母の背中に乗り、夜空を飛んでいた。どうやら母は僕を自らの縄張りに持ち帰ることにしたらしい。
「ふんふんふ~ん♪」
母にお持ち帰りされながら、ルンルンで鼻歌を歌う。
母の大きな羽に埋まって推し吸いなんてしちゃったり。うーん、最高!
楽しい、僕は今、すっごく楽しい。
(……私が怖くないのか?)
それは突然だった。
一筋の涙をこぼすように告げられたその言葉。その言葉は、様々な感情を孕んでいた。
「ん? 全然怖くないよ? だってママだしね」
母の気持ちは複雑すぎるからこそ、僕はシンプルに答える。何にも考えず、即座に。
明確な理由はないけど、そうした方が良いと思ったんだ。
「なんなら、僕はあの虫の方が怖かったくらいだよ」
追加で言うと、母は目を見開いた。
それからしばらくの間、母は無言だった。表情もピクリとも動かない。その姿はまるで、自分の中の複雑な感情をゆっくり整理しているかのようだった。
僕はそれ以上何も言わなかった。ただ、少しだけ母の大きな背中にギュッと力を込めた。
これだけ力強い母が、僕には迷子の子供にしか見えなかったんだ。だから、ついね。
(いや、おかしい。やはりおかしいぞ。通常、知性ある弱者は私の圧により近づくこともできないはずなのだが……もしや、力を隠している……?)
母の中で何か結論が出たのか、また突然母が口を開いたので、即座に返す。
「いやいや、そんなことないよ。僕は弱者も弱者。戦闘力という話なら、多分ママの思う通りの強さしかないと思う。だって僕、力を望まなかったんだから」
(力を……望まない???)
心底理解できない。母の言葉、感情、動きの全てがそう物語っている。
……ま、そりゃそういう反応にもなるか。
この世界は約一万年間、戦いのみを繰り返していた。そんな世界で力がいらないなど、死にたがりでしかない。
(ふむ、まあ、確かに無作為に殺し合う時代は終わった。終わったが……とはいえ、今だあの時の影響が色濃く残っている。そんなのでは、一人で生き残れないぞ?)
「あ、それそれ。僕も聞きたかったんだ。その無作為に殺し合う時代が終わったの、だいたいいつ頃くらい?」
(ああ、約二十年ほど前のことだ。定期的に赤く輝いていたあの衛星が、突如光らなくなった。それからは『ああ、もう無意味に殺し合わなくて済む』という気持ちになったんだ。
あれはまるで、なにかから解き放たれたようだったな。
おそらくだが、他の知性ある人種も同じ事を感じていただろう)
セカイ様によると、刈り上げ君は神力を使い、夜空に浮かぶ月のような衛星を経由し、「ひたすらに殺し合え」という強迫観念を植え付けたそうだ。
幼い頃から洗脳の光を浴びせさせ続け、闘争本能を強引にかきたたせる。その影響で、どんな生き物も攻撃性が増し、他者を殺し、自らの縄張りを増やすことに夢中になってしまうそうだ。
だからこの世界に生きる人々は、あの名もなき衛星のことを忌まわしく思っている。
「(解放日が二十年前ってことは……うん、僕は二十年ほど輪廻の輪にいたってことだね)」
衛星が赤く光らなくなったおめでたい日を、母は「解放日」と呼んでいたので、僕も使わせてもらう。
(ん? 何か言ったか?)
「ううん、ひとりごとー」
ごまかすように羽をはためかせて下手くそな口笛を吹くと、母は「ぐうっ!」と苦悶の表情を浮かべ、心臓の場所を手で抑えた。
……えっ、なんで?
「で、僕が一人では生き残れないって話だったね。それはその通りだよ。だから、僕を守ってくれる?」
僕がコテンと首をかしげてお願いすると、たっぷりの間を開けて、母はこうこぼす。
(いいのか?)
それは母の心の底の底から出た、素直で淀みのない魂の言葉だった。ようやく救われた――その言葉には、そんな大きな感情が孕んでいた。
……でも、僕が厚かましくお願いしている方なのに、「いいのか」とは、どういうことだろう?
そんな疑問は母の追加の説明ですぐに解消されることになる。
(解放日の後、無駄な戦いしかしてこなかった私は、何をすればいいのか、他に何ができるのかが分からなかった。
何かをしたい気持ちはあれど、どうすればいいのかが……何一つ、これっぽっちも分からなかったのだ)
「うんうん」
まるで、心に積もったぐちゃぐちゃな闇を、ゆっくり解きほぐすように。
長年誰にも言えなかった心のうちを、僕に話してくれている。そう判断した僕は、しっかり母の目を見て、全力で思いを汲み取る準備をする。
(ほとんどの者が今まで通り過ごした。私達は戦うこと以外、何も知らないからな。みんなどうすればいいのか分からないから、結局今まで通りに生きるしかできないのだ)
「うんうん」
テレパシーは、ただ言葉をやり取りするだけでなく、気持ちも伝えることができるからだろう。母のやりきれない気持ちが、痛いほど伝わってきた。
現状を変えたくても、やり方がさっぱり分からない。力はあれど、力しかないことに心の底からうんざりしている。
……ああ、心が痛い。胸が苦しくなるくらい締め付けられている。
聞いている僕ですら泣きそうになっているのだ。母はもっと辛かったのだろう。
(だから、私は嬉しいんだ。この力を誰かのために使うことができる。意味のある使い方ができる。その道を示してくれて、本当に嬉しい)
「そんな、大げさだよ」
僕はただ、こんな世界でも普通に親子として暮らしたかっただけだ。大したことはしていない。
(思えば、私はずっと、この力を守り育てるために使いたかったのだ。それがようやく分かった)
「というと?」
(私は生命の誕生の瞬間を眺めることがなにより好きだった。
どうせ何もやることはないんだ。それならと、危険を承知で様々な場所を巡り、糸を張り巡らせ、卵を探した。
なんとなくそうすることが楽しかったんだ)
「うんうん」
(ただ、生まれたての赤子は、生まれたてであろうと一人の戦士だ。
圧倒的強者である私の圧を敏感に感じ、決死の覚悟で戦いに来るか、時に賢い者は実力差に恐れ逃げ惑うかの二択でしかなかった。たとえ私に敵意がなくともだ)
「圧倒的強者……自分で言っちゃうんだ」
(ああ、私に勝てるものなど、この世界にそういないからな。それは紛れもない事実だ)
なんかかっこいいな。推しが強くて嬉しいです、はい。
(強者である私が近づくと、迷惑がかかる。そうなることが分かっているのに、私は同じことを無意味に繰り返していた。生まれた赤子はたまったものではなかっただろう)
レベル一の勇者が街を出ると、ラスボスが出迎えていた。みたいなことかな?
(何故そんな事をしていたのか、自分で自分の行動が分からなかった。ただ、息子に“守って”と直接言われ、ようやくこの気持ちがはっきりしたんだ。
『ああそうか。私は今まで、若い生命を守り育てたかったのだ』と)
形にならないふわふわした気持ちが、しっかりとした形になったんだね。
そのことが本当に嬉しいようで、あまり表情筋の動かない母が、はっきりと笑みを浮かべている。
推しの幸せは僕の幸せ。母が幸せで僕も飛び上がるくらい嬉しい!
(私に使命を与えてくれてありがとう。怖がらないでくれてありがとう。道を示してくれてありがとう。守らせてくれてありがとう。孤独から救ってくれてありがとう)
なんで泣きそうになりながらお礼を言うのだろう。それを言うなら、僕の方がありがとうだよ。
「こちらこそ僕のわがままを聞いてくれてありがとう! これからよろしくね!」
(ああ、これからビシバシ鍛えていくから、こちらこそよろしくな)
「うん! よろし――え? 鍛える?」
鍛える?
……鍛えるって言った?
これから一緒に仲睦まじく暮らす流れじゃなく……?
あー、なるほど。
そういえば雰囲気に流されて聞き流していたが、守りたいじゃなくて、「守り育てたかった」って言ってたっけ。
まあ、優しく鍛えてくれる分にはいいんだけど……なんでだろう。肌がピリピリする。
まさにこれ、嫌な予感ってやつじゃないかな?
「あのー、どうかお手柔らかにお願いします」
これは僕の直感でしかないんだけど、なんか、めちゃくちゃ無茶な修行とかさせられそうな気がするんだ。気の所為であってほしい。僕の直感よ、外れてくれ。
(ふふふ……)
うーん、いかにも加減ってものを知らなさそうな目。まるで幼稚園の男の子が、好きな虫をポケットに入れちゃうみたいな、そういう残酷な無垢さが垣間見える。
うん、ダメだこりゃ。




