7話 この世界に逃げるコマンドは存在しない
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これだから虫は嫌いなんだ。あいつら、こっちの事情なんて知ったこっちゃないんだから。
僕の全身を走るように嫌悪感が駆け巡る。
あの魔物のことを知らないのに「キモい」と感じるということは、僕は前世から虫が嫌いみたいだ。
まあ、あんな大きい魔物を虫と呼べるのかは疑問だが。
「ママが気絶してるんなら、どうしようもない。逃げられるかは分からないけど、とにかく逃げなきゃ――あれ?」
身体が動かない。
いや、ある程度なら動かそうと思えば動かせるのだ。
ただ、母から離れようとするときだけ、何かに押さえつけられるように動けなくなる。
「ぐぎぎぎぎ……なにこれ! ママの身体にぎゅっとくっついて、離れないんだけど!」
まさに二つの磁石がくっつくように。どれだけジタバタと手足を動かそうが、離れられない。
そうやってもがいているうちに、どんどん近づいてきている。キモいキモい、キモーい!!!
「仕方ない。頼みの綱は……ママー! 起きて!!」
結局、これしかない。
テレパシーも実際の声も使い、母に語りかけながら身体を揺らす。とにかく全身から力をふりしぼるように、フルパワーで。
その甲斐あり、ピクリと一瞬、母の小指が動いた。
「はっ、おはよう! ママ! 助けて!」
「…………」
母は目を開くと、まじまじと僕を見つめていた。
「え? ちょ」
小さな僕を抱えあげ、薄く光る夜空に透かしてみたり、試しにパクっと口に入れてみたり、匂いを嗅いでみたり……まるで未知の生き物を、念入りに観察しているみたいに。
不思議と僕の身体も母の思う通りに勝手に動く。おそらく、母の何らかの力により、操られているのだろう。
「って、そんなことより、大変だよ! ママ、ほら、あっちを見て!」
母が指を刺した方をチラリと振り向く。
(なんだ。ただのキラーマンティスか)
どうやらあのデカくて凶悪なカマキリは、キラーマンティスというらしい。
母は軽く一瞥しただけで、あの魔物に興味を失った。
そんなことより、と、僕を観察することを続ける。
「え? え? 大丈夫なの?」
(ああ、大丈夫だ、あいつは私の罠にかかっているただの獲物でしかない。ほら、魔力を目に宿しながらみてみるがいい)
「え? うん」
魔力の使い方は教えられなくても身体が知っている。
言われた通り、僕は魔力を目に宿してみた。
「あっ、ほんとだ。何かママから出る糸(?)のようなものに絡まってるね……って、僕の身体にも巻き付いてる!?」
これのせいで僕は自由に動けなかったんだと、妙な納得感がストンと腑に落ちた。
(ああ、生まれたての赤子に襲ってこられると面倒だからな。無力化するにはこれが一番速いんだ)
「ええ……生まれてすぐママを襲うなんてしないよ。流石にママには勝てないしね」
と、僕は呆れたが、どうやら僕が少数派だと知るのは、もう少し後のことだ。
長年の戦いだけの歴史のせいで、この世界は悪・即・斬――いや、全生き物・即・斬みたいな風潮が普通だ。
たとえ生まれたての赤子であろうと、もはやその考え方はDNAに染み付いている。だからこそ、目に入った生物は死に物狂いで殺しに行く場合が多いのだ。
「って、ママ、そんなにほっぺたを突っつかないでよ。そんなことより、あのカマキリを先にどうにかして! 糸で囚われているといっても、ずっとシャキンシャキンってしてて怖い!」
(不思議だ。息子のこのモチモチのほっぺ、何故かずっと触っていたくなる)
「聞いてないし!」
母は何故か瞳孔を爬虫類のように縦長にしながら、ずっとムニムニ、ムニムニと、ほっぺを触ってくる。ふぁっさふぁっさと羽を揺らしながら、無言、無表情で。
おそらくあまり表情が顔に出るタイプではないのだろう。
「ほら、ママ! あの魔物がちょっとずつ近づいてきてるよ! 僕のほっぺをハムハムしてないで、ほら!」
魔力の糸で絡めているとはいえ、あの魔物には大きな二つの鎌がある。少しずつ糸を切りながら、ゆっくりと近づいてきているのだ。
(さて、そうだな。ゆっくり話がしたいことだし、そろそろうっとうしい魔物には消えてもらおうか)
母は小指をクイッと軽く動かす。すると小指につながっていた大量の細い糸が、キラーマンティスの首元を締め付けるように囲む。
「なるほど、ああやって糸で首をチョンパするんだ、かっこい――」
ドカーン!
僕の言葉は、大きな爆発音にかき消された。
「……え?」
しばらく僕は放心していた。放心せざるを得なかった。
首が糸で締め付けられたと思ったら、キラーマンティスの頭が木っ端微塵に爆発した件について。
頭をなくしたキラーマンティスは、ピクリとも動かない。
(ふむ、やはりこのやり方が一番手っ取り早いな)
キラーマンティスを爆発させた元凶は、チラリと絶命した死骸を一瞥すると、何事もなかったかのように僕を抱え始めた。
それから、僕の羽をさらさらと撫でたり、僕のほっぺに自らのほっぺたをくっつけてみたり、魔力的な何かで僕を上から下までスキャンするみたいなことをしてみたり。
なんで魔物を倒したときより、僕とスキンシップしてる時の方が満足げなんですかねえ。
……でも、なんだろうこの気持ち。
あんな物騒な事した後でも何にも表情が変わらなかったのに、僕に向ける瞳の奥がとてつもなく優しい。
トクンと、心臓が高鳴る。
ギュンと来た。
ビビビッと来た。
……あっ、そうか。
これがときめきか。
僕は今、ときめいているんだ。
「ママの戦い方、すっごく天使っぽくないね! ていうか、もう僕のママってことでいいよね! ママ! 僕を認知して! お願い!!」
僕はテンション高く母に詰め寄った。
(はにゅ! その下から見上げるの、やめてくれ! 私の心がどうしてかぴょんぴょんと跳ね回り、どうにかなりそうになるんだ!)
「認知してくれたらやめるからさ! お願いお願い、おねがーい!!」
(分かった、分かったから、そのキラキラした目をやめてくれ!)
「わーい、やったー!!!」
しばらくの間、僕は魂が喜ぶままに、「認知されたの舞」を踊り尽くした。
そんな僕を、母は羽をゆっくりはためかせながら、優しく見守っていたのだった。
しばらくして。
(だが、さっきの言葉……天使らしくないとはどういうことだ? 私なぞ、天使の中では穏やかな方だぞ?)
「はい?」
その後母から知っている限りの天使族の戦い方を聞いてみた。
ある男は体内の水分にアクセスして生物の内側から爆発させる。
ある女は結界に閉じ込めて空間ごと爆発させる。
ある人は目に見えないくらい小さな粒子の爆弾を操る。
どうやらこの世界の天使族は爆発が好きなヒャッハーな人種らしい。
「え? 糸を刃物みたいにして、首チョンパとかは?」
(覚えておくがいい。殺し合いにおいて、斬撃など斬りつける行為は弱者にしか通用しない)
「え、でも……ママだってあの鎌とか刀とかで斬られたら……」
「ふっ、鋼の要塞に対して、刃物など無意味だろう。そういうことだ」
自分は要塞ってか。かっけえ。流石推しだ。
この世界では斬るという行為は弱いらしい。斬るくらいなら叩いたほうが威力があるとのこと。もしあのカマキリが母を斬ろうとしても、母の肉体は刃物を通すことがないそうだ。
……まあ、確かに母って鋼鉄みたいに身体が硬いから、そう聞くと納得しちゃった。
(で、息子も天使族だろう。どんな爆発の能力があるんだ?)
母からの純粋な視線が刺さる。僕が「色」を聞くのが何より好きなように、母も「爆発魂」を聞きたくて仕方ないようだ。
でも、あのえと、うーん……
「能力はないけど、ムカつくリア充を爆発させるのは好きかな、あはは……」
僕は力なく笑うことしかできなかった。




