6話 この世界に会話は存在しない
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僕のきらめく自由な発想により、蛮族系お姉さんを「ママ」と決めた直後。
「はぬ!?」
「ママ、綺麗なハスキー声だね。でもあれ? 天使族は基本的に声でのやり取りをしない種族のはずじゃ……?」
僕は声に出すほうが馴染み深いので実際に声を出すつもりだが、天使族が実際に声を出す時は、気合を入れたり、相手を威嚇するときのみだ。
それなのに声に出てしまっていることから、母はかなり混乱しているのだろう。
……そんな混乱するようなことあったっけ?
(な、何が起こった!? 何だこの生命体は!? こんな弱そうな見た目なのに、恐るべき威力だ! この胸のざわめきはなんだ!? ママとは何だ!? 湧き上がる衝動はなんだ!? 毒、毒か!?)
母の混乱が直接テレパシーで伝わってくる。
……いや、多分これ、伝えようとして伝えてるんではない。混乱しすぎて、気持ちがダダ漏れなだけだ。
「おーい、ママ、落ち着いて。流石に心の声を聞いているみたいで申し訳ないからさ」
そのようなことをテレパシーでも直接声でも伝えてみるが、効果なし。
そんなことを考えている間もずっと、ママは正面から張り付いた僕を凝視しながら、フリーズしている。
ただ、背中の大きな羽だけが、ふぁっさふぁっさと揺れていた。
「ママの背中の羽、気持ちと連動してるのかな? 犬の尻尾みたいで可愛いー」
確かセカイ様は『この世界に可愛い人種など存在しない』って言っていた。
けど、全然可愛いんだけど。母は一般的に言えば可愛くないってこと?
確かに天使というには圧が強く、凶悪そうな見た目だけど、全然愛でれるけどな。見た目も普通にかっこいいし。ゴツゴツした肌も安心感があるし、母から香る土と血の匂いも好きだし、傷の残る肌も素敵だし、ほのかにツンとする刺激臭すら全部可愛い。
「もしかして母が可愛いと感じられるのは、前世のおかげなのかな?」
エピソード記憶がごっそりないので内容こそ全く思い出せないが、確か日本人って「義務教育」という高度な教育を施されているはず。
きっとその時「可愛い」に関する授業を徹底的に行うのだろう。絶対そうだ。
だって僕は自然と「強いはカッコいい。カッコいいは可愛い。つまりお姉さんは可愛い。証明完了」という完璧な計算を、一桁の暗算を解く時のように直感的に導き出していたもん。
その程度のことは常識な世界の魂から生まれたから、僕の「可愛いのストライクゾーン」は大きいんだろうね。
母が一向に正気に戻らない。仕方ないので、もう少し新たに生まれた自分と向き合ってみることにする。
「それにしても僕という存在、不思議だなあ」
縄張りの作り方、天使族の特徴、魔物や魔力のことなど、誰に教えてもらわずとも当然のように知っている。
生まれたときから大人なことや、生まれた瞬間からある程度の知識や知性、強さがあるのが当たり前ではないと思うのは、前世を持つ僕だからこそだろう。
「何より、夜空に浮かぶ星から生命が生まれるってのも、なかなかロマンチックだね」
そう、僕はあの夜空に浮かぶ星の一つだった。太陽すらないせいか、どこを見ても暗闇の中、ほんのりと地上を薄く照らしてくれる星々。あれらのうち、何個かはきっと生命の卵のはずだ。
これってなんだか素敵じゃないかな。ま、この感性だって、前世があるからそう感じるのだろうけどね。
「うーん、もう考えることもないな。なら、外見チェックでもしようかな」
ただ、ここはどこを見渡しても暗闇なので、鏡になるようなものなんてない。
「あ、そうだ。ママの瞳なら鏡代わりになるんじゃないかな」
僕は薄く発光しているし、母の目は今ひん剥かれていて大きい。これならいける気がする。
僕はフリーズしている母の両頬を両手で包み込んで、至近距離で覗き見ることにした。
(!????!!!???)
この時、彼女は限界であった。
この世界には「可愛い」は存在しない。殺し合いしかしてこなかった世界だ。生命は当然力を求めて進化する。故にこの世界は、基本的に敵を殺すことのみに特化した生き物しかいない。
そんな世界で、突然の「可愛い」の暴力。耐性の全くない彼女には、あまりに強力な威力だった。
(このキラキラした卵からどんな子供が生まれてくるか気になってきてみれば……なんだこの生物は!? なんだこのキラキラした目は!? なんだこのもちもちとしたほっぺは!? 意味が分からない。意味が分からない!!)
動揺。混乱。パニック。彼女の頭の中は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
この世界の生物は、赤子であろうと強さと知性を持って生まれてくる。そうではないと生き残れないからだ。
だというのに、目の前の生物にはなんの脅威も感じない。触れる肌も柔らかいし、力強さも全くない。なにより、自らの内でドロドロに煮詰められた殺意は、どんな生物だろうが“圧”として漏れ出すはず。隠すことなど絶対に不可能。
それなのに、あの肌を刺すような圧や殺意がこの生物には皆無なのだ。
(とにかく、気をしっかり保て! あの過酷な殺し合いの日々を思い出せ! 強力な毒を受けようが、呪いを受けようが、傷だらけになろうが、全身が腐ろうが、私は生き残ってきた。未知の相手だろうが、私は負けない!)
全身にフルパワーで魔力を張り巡らせ、身体を戦闘モードへと滾らせる。究極まで細くした魔力の糸を、丁寧に丁寧に、そして、幾重にも全身に巡らせていく。
これは彼女だけの特殊な身体強化。心身にかなりの負担がかかる究極奥義だが、全てはこの未知の生物に対して、決して膝をつかないために。
ただし、これは悪手であった。
完全防御とも言える防御力、全てを壊す破壊力、さらには、世界がより鮮明に、よりスローモーションに認識できるようになるのだが……そんな事をしても「可愛い」には無意味。それどころか、より可愛いが強調されていくだけであった。
――彼女がそんなことになっているとは露知らず、生まれてきた男はとにかくマイペースだった。
「なんか母の心臓が飼い主の帰ってきた犬みたいに暴れているけど……自分の姿を詳細にチェックしたいから、一旦気にしないでいっか」
全体像はなんとなく見えても、顔までは分からないからね。
……うんうん、なかなかいい感じに生まれてきたね。
目は大きいし、まつげは長いし、全体的に顔のパーツは整っている。ただ、この小ささと、柔肌と、モチモチの頬袋があるせいで、愛玩動物にしか見えない。
全体のイメージとしては、未完成なようで完成されているような。無垢さと無防備さを備えたような。そんな感じかな。
「うーん、男として生まれたのはよかったけど、これじゃあセカイ様みたいなイケおじに育つのは無理そうだな」
僕が男として生まれたかったのは、グラマラスなお姉様とキャッキャウフフしたかったからだ。他にも理由があるはずだが、はっきり思い出せるのはそれくらい。
っと、思い出したというのは正確ではないか。魂にこびりついた理由のない欲から察したって感じ。
それを思うと、案外この姿は悪くないのかもしれないね。
「最後に、ちょっとだけ表情チェックしよっと」
母の間近で、ニコッと笑ったり、決め顔をしてみたり。
「ぐふっ!?」
なぜか突然母が後ろにズドンと倒れた。正面から抱きついている僕も、一緒に倒れ込む。
でも、僕を優しく抱えて倒れてくれたからか、不思議なほど衝撃はなかった。
倒れただけなのに、地面がめちゃくちゃ凹んでいる。こんな岩石みたいに硬そうな土が、ペコンって。
なぜだか分からないが、倒れるという行為に相当の威力があったみたいだ。
「よし、これで気兼ねなく表情チェックできるね!」
この男、母が気を失ったことなどお構いなしである。
「何となくだけど、人からどう見られるかをチェックするのは重要な気がするんだよねー」
気を失った母の瞳を鏡がわりに、喜んでみたり、悲しんでみたり、驚いてみたり、天使の羽を動かしてみたり。
とにかく様々な表情を試していく。
この男が満たされるまでに、ゆうに一時間は要した。
「さて、表情チェックしゅうりょー。さて、そろそろ僕の能力でも……ん?」
ふと気づけば、背後から迫りくる何者かの気配を感じた。
「あっ、こんちゃーす」
目が合う。
見上げるほど大きな、巨大な漆黒の鎌を持つ黒緑色の魔物。凶悪なカマキリのような怪物が、僕を見下ろしていた。
「えっと、ママ、守ってもらったりは……」
ペチペチと頬を叩いても、母は動かない。原因は不明だが、どうやら完全に気絶しているようだ。
「そうだった! ここは『危険で物騒な世界』だったんだ。生まれたらまず安全なところに避難しようと思ってたのに……忘れてた!」
そう、この森には凶悪な魔物がうじゃうじゃいる。今までが偶然平和だっただけ。
シャキンシャキンと血塗られた両手の鎌をかき鳴らす魔物を見て、僕の背筋に汗が伝う。
黒くて大きな複眼は、確実に僕を捉えている。ニタニタと笑いながら、ゆっくりと僕に近づいてくる。
「あっ、僕の人生、終わった」




