9話 天使族に食事休憩は存在しない
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母に連れられ、母の縄張りの中心地へと無事にたどり着いた。
歴戦の猛者である母の縄張りはあまりに広大だ。見渡す限り、ここも深く暗い森。かなり遠くまで来たはずだが、僕が生まれた場所の景色とそう変わらないことから、どうやらこの辺りは相当な規模の森が広がっているのだろう。
勝手知ったる母の縄張りの中なので、かなり安全に僕を守ってくれるだろう。
だが、このままでは僕は無茶な修行をさせられてしまう。
僕は視線を斜め上に彷徨わせながら、母に懇願してみた。
「えと、ママ? 僕、少しやりたいことがあるんだけど……」
いかにも言い訳がましく言ってみたが、これはホント。
当初の予定では母を作るなんて思いもしなかったから予定とはズレたが、本当はセカイ様のウロコを使って、生まれてすぐにやりたいことがあったんだ。
(ふむ、その前に修行だ。最低限の基礎がなければ、何をするにしたって危険だからな。今のままではそこらに生えている木ですら危険だ)
が、聞く耳持たず。その目はギラギラと輝いている。
「じゃ、じゃあさ、その前に、僕、名前ほしいな! 知ってる? 名前を得ると、オトクなことがあるんだよ!」
ぴょんぴょん跳ねながら、上目遣いで訴える。
前世と違う男として生まれたというのは分かっているし、今世では中性的でかっこいい男になりたい気持ちもあるけど、今はそういうちっぽけなプライドは無視。
あ、ちなみに、名前があるとお得というのもホントだよ。セカイ様から聞いたもん。
「はにゅ!?」
母は羽をふぁっさふぁっさとはためかせながら、天を仰いでこめかみを抑えた。
これは効果ありか……!? どうだ?
(……とにかく今は修行だ)
ああ、やっぱり何を言ってもダメだ。
母は何も意地悪で言っているのではない。僕のことを本気で守りたいし、僕のことを大切に想っているからこそ、こう言っているんだ。
そんな優しい気持ちが痛いほどテレパシーを通して伝わってくる。
僕だって別に母を困らせたいわけじゃない。推しのやりたいことは、僕のやりたいことだ。わがままを言うのはこれくらいにしておこう。
僕が諦めると、母の大きな羽がふぁっさふぁっさと揺れ、瞳がキラリと輝いた。
(では、早速始めよう。生まれてからの一年、これはまさに黄金期間だ。時間を無駄にするのは、あまりにもったいない。ふふふ)
テレパシーと共に、母から知識が伝わってくる。
「ほうほう、そうなんだ」
この時期はいわば、強くなるための基礎を築く上で最も重要らしい。
能力の伸びもいいし、新しい技術を覚えるのも速い。さらに、ここでの経験が、後の成長曲線を決めることにもなる。スタートダッシュを決めることが、かなり重要なのだそうだ。
とにかくこの時期は強くなるには良いことづくめなので、頑張らない理由がないとのこと。
当たり前のように教えてもらったことだが、これは母が見つけた秘伝の知識だということを知るのは、もう少し後のことだ。
(さて、息子の身体を調べてみよう。体内に細い魔力の糸を入れるが、少し我慢してくれ)
母は僕の身体に触れ、魔力を流し始めた。
「んっ」
なんか、身体がむずむずする。身体の中からくすぐられているようで、こそばゆい。
(ふむ、魔力の癖がなく、浸透が容易いな。良い魔力だ。これなら、あの修行方法がいいか)
「えっと、僕は何をすればいいの?」
(なに、難しいことじゃない。あえて言うならば、何もしなくていい。ふふふ)
「何もしなくていい?」
どういうことだろう。
それだけなら、ひ弱な僕でもできそうだけど……
(見たところ、息子の身体の動きには妙な癖がある。天使族らしくもなく、男らしくもない、奇妙な動きの癖だ。まずはそれを矯正する)
動きの癖……ああ、なるほど。
そっか、僕は前世で人間の女性だった。ほとんど覚えていないし、全く意識していなかったけど、前世の影響が無意識に出てたんだ。
という考えを伝えるために、僕は前世のことを話した。すっごく気軽に、ノリで。だって、推しに隠し事とか嫌だもん。
「でも、動きの矯正ってどうやって――」
突然、僕の身体が、僕の意思ではピクリとも動かなくなった。声を出すことすらできない。
(では、組手を始めよう)
僕と母は、目にも止まらぬ速さで殴り合いを始めた――全自動で。
僕が見たこともないようなものすごい速さで右ストレートを繰り出したと思えば、母はクイッと避ける。母が回し蹴りをすれば、僕はのけぞって回避する。
母が僕の身体をマリオネットのように操っているのだろう。
なるほど確かに僕は何もしなくていい。ある意味簡単だ。
……でも。
(わははははは!)
すっごく楽しそうにしてるところ失礼します!
(なんか僕の身体の全身の筋肉がミシミシ言ってるんだけど! 身体がものすごい悲鳴をあげてるんだけど!)
操られているとはいえ、感覚はちゃんとある。それがとにかくキツイ。
今の僕では決してできないような高次元の体捌き。そりゃあ身体だって悲鳴をあげる。今の僕の筋肉は、ズタボロだろう。
(なあに、心配するな。天使族の身体は治りが速い。どれだけ傷つこうが、筋肉痛程度なら数時間も寝れば全快するだろう)
流石、全人種戦闘民族だ……って、逆に言えば、筋肉痛みたいなことは天使族にもあるってことじゃん! 後にくる筋肉痛が恐ろしいんだけど!
(一旦、一旦ご飯休憩とかは!?)
なんとかテレパシーで休憩の要請をするも、「天使族は食事を必要としない」と一蹴。なんなら、テレパシーをする余裕があるのかと、もっと激しくなってしまったほどだ。
(では、ウォームアップは終わりだ。そろそろギアをあげ始めよう)
ひ、ひええ。
結局、一度目の組み手は三日三晩続いたのだった。
◆
地獄の筋肉痛に耐えながら、少し寝て回復。
それから更に組み手。
休憩し、母の羽に埋まり推し吸いし、時には女性らしくおしゃべりに励む――っと、僕は今男なんだった。
そんな風にして僕はモチベーションを保っていた。
この修行のおかげで、確かに身体はありえない速度で強くなっている。戦う上での視線の動き、呼吸法、度胸、身体の使い方、癖の強制までも、ついでにしっかり身についている。
それでも同時に組み手の激しさも上がるので、しんどさは一向に変わらない。
(ただ、なんだろう……? こんな無茶苦茶な修行、心が折れると思っていたけど……案外平気だ)
これが平気なんて、前世の感覚なら絶対におかしい。
ってことは、強さを求めなかった僕にだって、戦闘民族の血はしっかり流れているってことだね。
(ふむ、息子は成長することに迷いがないな。普通ならある程度成長すれば身体が満足するのだが……肉体面はザッコ雑魚だが、精神面はかなり優秀。これは素晴らしい才能だ)
そう言って僕を褒めるが、それって当然じゃないの?
母によると、全然当然じゃないらしい。普通なら成長の途中で身体が「これだけ成長したんだから、もう限界」と思い込んで、自ら成長に枷を作ってしまうのだそうだ。
でも、僕にはその感覚が生まれつきない。これはありえないことらしい。
ってことは、もしかしたらこの考え、前世が影響しているのかもしれないね。
少し寝て回復し、また組み手。それ以降も同じようにずっと組み手。
組み手、推し吸い。組み手、おしゃべり。組み手、また組み手。とにかく、組み手。ついでに推し吸い。
「すぅぅぅぅぅぅぅ…………」
(なあ、その私に羽を埋めて胸いっぱいに吸うの、恥ずかしいからやめてもらえ――)
「なら、ママも僕の頬袋に触るの禁止ね。やってること同じようなものだから、交換条件ね。でもさ、一度知ってしまった快楽を手放す。そんなこと、できる……?」
僕が悪魔のような笑みを浮かべながら、言い終わる前に問いかけると、母は「これからも存分に吸うように」と、即座に手のひらを翻した。
にゅふふふふ、これがWin-Winというやつだよ。
時には空を旋回しながら、時には水の中で、時には森という障害物を徹底的に利用しながら。様々なシチュエーションで組み手を行い、戦闘パターンを身体で覚えさせていく。
楽しい。僕は今すごく楽しい。
気持ちいいほどの身体能力の伸びと、母のそれはもう楽しそうな気配につられ、僕自身も乗ってきたみたいだ。
それに、強くなると母という推しが嬉しそうにする。もうこれ、最高の推し活じゃん。推しが喜ぶのなら、努力はもう苦痛じゃない。
母が嬉しそうにするだけで僕はときめき、ときめくと無限にエネルギーが湧いてくる。まさに永久機関だ。世界はときめきエネルギーで回っている。
とにかく。師匠が母で本当によかった。




